夕闇色の記憶 第十六章 溢れだしそうな…不安に
家の門を出て右を見れば、直ぐに自由通り……左折し真っ直ぐ歩いて行けば着くが、さすがに歩きは遠い。
自由が丘へはバスで行くことにした。
「同じ日に二人揃って……思い切ったこと、しちゃったね」
終点が田園調布行きのバスの中で、ゆなさんから話が切り出される。
『思い切ったこと』になったのは、あくまでコトの流れの中での結果であり、二人で決意のもとに臨んだことではなかったが、それにはあえて触れず……
「うん。ゆなさん側はまだわからないけど、うちは……とりあえず反対表明はなかったし」
「良かったじゃない! ついさっき『今度連れて来てくれる』って言ってたのが、もう実現してるし……それに……」
「それに……?」
「へへー♪ お母さまにキミのコト、頼まれちゃった❤」
保護者丸投げされたのが嬉しいのか、あくまでも楽観的なゆなさん。
楽観的……? でもどこか何か、微妙に違うような……。
確かに……心配事の一方が、この日の時点では取り越し苦労だったと判明し……それは良しとして、問題はゆなさん側。妹さんのあのテンション、ただで済むはずがないだろうな。
取り越し苦労で済んだ側の僕の方が、ゆなさん側の今後の反応についてナーバスになっていた。
一方ゆなさんは……今のところ表面上は、露骨に不安な表情はなく……逆に、どこかウキウキしたご様子。
このバスが田園調布行きなのがわかっているように、二人にも幸せな終点が見えていれば……こんなに不安な気持ちにならないのに。
「さっきからどうしたの? 反対されなかったんだから、いいじゃない」
「うん。でもゆなさん、家出して来ちゃったじゃん。妹さんからご両親に……」
「あ、駅入り口だって。着いたんじゃない? ここで降りるんでしょう?」
今……話を逸らした……? まさか……まさか、あのゆなさんが?
この時、僕はわかってしまった。本当は……ゆなさんだって不安だったのだと。
「自由が丘来たの初めて! キミに任せたから、迷子にならないでよ!」
そう言いながら絡ませてくる腕は……いつもより明らかに強く感じた。
やっぱり……ゆなさんも相当不安なんだな。
もうその件にはあえて触れずに……
「うん。まずは、チャールズブラウンまでお連れします」
ゆなさんと男女として交際を始めて……否、きっとその前……『舎弟』のような関係だった頃から、彼女には割と考え無しに言葉を発していて……そのことを特に問題とも思っていなかった僕。
でもこの日は、あえて触れずに胸に納めるシーンが何度もあった。
それは……ひとつ一つを、もしもまともに話していたならば……益々不安な二人になってゆく気がしたから。
それに……前向きに明るく振る舞ってくれているゆなさんに、なんだか悪いような気がしたから。
「あらぁ? 今川焼きじゃなかったの?」
「それは冗談って言った……あ! 本当はゆなさんが、甘いもの食べたいんじゃないの?」
「エヘッ、実はそう。あと、モンデュランのケーキも食べようよ。自由が丘来たなら、モンデュランでしょ!」
なんだかいつもより、とっても女の子なゆなさん……可愛いなぁ。
「じゃあまず、今川焼き……ふじたやさんへご案内します」
ふじたやさんもモンデュランも、買った物を店内で食べられるラウンジがある。ラウンジと言ってもふじたやさんの場合は、狭い店内に二人掛けのテーブルが4つ……こちらは座れた。
ゆなさんにはいつもおごって頂くばかりなので、今川焼きだけは、僕が支払わせてもらった。
次にモンデュラン……店内ラウンジは満席で、相当待つらしい。諦めてお持ち帰り。
「お持ち帰りで買っちゃったけど、どこで食べるの? ウチには戻れないし」
ケーキの話だというのに、やけになまめかしい目遣いで答えるゆなさん。
「今夜泊まるトコへお持ち帰り……で、食べればいいでしょ?」
それって、初めての……お泊り?
「せっかくだけど、チャールズブラウンは次の機会にして……渋谷に戻ろうよ! 今度は私の知ってるお店よ」
そうか……渋谷なら、いつもは『泊まらないけど2時間』なトコを…『今夜泊まる』トコにもできるというわけか。
「ちょっと……やだぁ! 今、エッチな顔になったよ!」
わかった? 僕って、すぐ顔に出るなぁ。でも……ゆなさんだってさっきの視線、お互い様でしょ。
もうそんなことで照れる関係でもないし、逆らわず隠さずに答える。
「うん。どうぞお持ち帰って下さい」
「もぉ……甘い物は夜までお預け! お酒が飲みたい!」
甘い物とは……モンデュランのケーキのこと? それとも……?
渋谷へ移動する東横線の中……ドア近くに立ったまま寄り添う二人。
端から見ても……明らかに年上で明らかに背が高いゆなさんと、18歳の僕がこんな風に寄り添う光景は……まるで、ゆなさんに抱きすくめられているかのようにも映るのかもしれない。
しかし……彼女の笑顔の裏に隠された、不安と怯える心を……知っているのは、世界中で自分だけ。
救えるのも、また自分だけかのような……錯覚にも近い気持ちで電車に揺られていた僕だった。
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