夕闇色の記憶 第十九章 大切なキミだから…

 ゆなさんに連れられて、初めて訪れたチャーリントンカフェ。

 正確には『多国籍通り』沿いということになるらしい。ハモンド坂へ合流した先の並びにあるハーブというイングリッシュ・パブなら、何回か入ったことはあるが……チャーリントンカフェは、ハーブよりワンランク……いや、それ以上に高級そうな雰囲気であり、実際に値もはった。


 地下への階段を降りた入口からでも、店内は土曜の夜の賑わいなのが判った。

 インド系かと思われる顔立ちと肌の色をしたイケメンな彼が、受け付けからホール、席への案内をスマートにこなしてゆく。 


 客層は皆、ゆなさんと同じくらいかそれより上の年齢層の人達ばかり。その彼等の視線の動きが、何となく嫌だった。

 まずはゆなさんへ注目。長身スレンダーで目立つから仕方ないが……次に僕を一瞥すると、露骨に怪訝そうな表情。席に着くまでの2~3組が、みんなそんな反応だった。


 僕は場違いなのかもしれない……なんて思った。考えてみれば当然のこと。僕のような、明らかに未成年が来る場所ではなさそう。


 保護者同伴でも、いけませんか……?


 普段は、人がどう見ようが知ったコトではなかったが……座ってからも、周りが何となく気になってしまった。


「キョロキョロしないの。落ち着きなさい」


 なんて、ゆなさんからも注意される。


 はい。目の前の貴女だけを見ます。


 レーブンベロイ、置いて無い。ハーブにはあるのに。ハイケネンも無いの? ドイツ連邦もネーデルラント連邦も全滅か。

 でも、ゆなさんと一緒にディナーをごちそうになるのに、何の不満も無い。


 クールスで乾杯!


 チャーリントン……そうでしたか。アメリカンなお店だったんですね。


 オードブルは……チーズとクラッカーや、生ハムとマンゴーの盛り合わせ。


 クールスを二本ほど飲んだあたりでゆなさんが、静かにつぶやく。少し酔った感じで、とても色っぽい眼鏡の奥。


「ねぇ……ワイン、飲もうよ」

「うん」

「どれにしようか? キミが決めていいよ」


 ワインか……。

 クラスの飲み会でも、まず出てくることはない。もっとも、3年生になってからのクラスでは、飲み会自体が一度も無かった。とにかく普段、飲む機会などない。

 つまり、5月のあの夜の……めぐみさんが取っておいてくれた、7万円のワイン以来ということか。

 そんなことを思い出しながら黙り込んでいると……


「どうしたの? 決まった?」


 と、ゆなさんが聞くので、思わず……


「白いのがいい」


 と、言ってしまった。

 勿論、味などわからず、どんな料理に合うのかどうかの知識さえ無かった上で。

 そう……あの時の7万円は、白だったんだ。スペインの……。


 ところがゆなさんは……


「ふ~ん、さすがねぇ。この赤のカリフォルニア・ワインじゃ、美味しくなさそうよね~」


 彼女は時々このように、僕のことを買い被っている。

 と、その時は思ったがしかし……実は、そんなに甘いゆなさんでは決してないことは、すぐに判明する。


「じゃ、こっちのスペインの……白の辛口にしようね♪」

「うん。僕も、それに目を着けてました」


 キミが決めていいよと言いながら、最終的な決定はいつもゆなさん。彼女の言う通りにしていれば、先ず間違いはないのだ。信じているから……。


 最後は任せて……ホッとしたところで、ボソッと……


「7万円のじゃなくて……悪かったわね」

「えっ⁉」

「アッハッハ~♪ もぉ……なに考え込んでるのか、分かり易過ぎ~! 面白~い!」


 ……また……わかっちゃった。


「あのぉ……前も言ったけど、よく覚えてますね。一回しか話していないことを……」

「記憶力はいいって言ったでしょ?」

「悪かったよぉ……今は、ゆなさんだけを見てるんだから、ホントだからさぁ……」

「知ってるよ。自信持ちなさいって言ったのも私だし、からかってごめんね。気にしないで!」


 完全に……彼女の掌の上なんだな……。


 スペインの白ワインに続いて……バターとガーリックの良い香りが、いかにも美味しそうな料理が運ばれて来た。


「これなに?」


 見たことのない形をした陶磁器の……焼き器? 数ヶ所の凹みに各々、これまた見たことのない食材が、バターに炙られまだジュージューと音を立てている。


「本当に知らないの? キミにしては、意外ね」


 隣には、食べ易い大きさにスライスされたバタール。


「エスカルゴっていうの。パンと一緒に食べるのよ。こうして……はい!」


 と、ゆなさんはバタールに『それ』を乗せ、渡してくれた。


「エスカルゴって……なに?」


 いたずらっぽい笑顔で、しばらく何も答えないゆなさん。


「まだ知らない方がいいわよ。絶~~対美味しいから、食べてみなさい!」


 ゆなさんがそう言うならと、初めて頂くエスカルゴ。


「どう?」


 また笑顔で見つめる彼女。


「うん、美味しい!」

「でしょ? よかった!」

「エスカルゴ……なんか、怪獣の名前みたい」

「アハッ! そうね。アレの象くらい大きいのがいたら、怪獣だわ」

「アレって? 何の肉? 魚でもなさそうだし」

「フフッ! 当ててみれば?」

「貝だ! 貝でしょ? 当たり?」

「貝に……似たようなモノはくっつけてるかな?」

「似たようなって……殻?」

「うん。殻は当たり!」


 バターとガーリックの香りがあまりに美味しいので、謎のまま次々と食べる僕。それを嬉しそうに、優しく見つめるゆなさん。

 美味しい白ワイン……謎の食材エスカルゴ……不安ながらも、二人の幸せな時間だった。


 結局、エスカルゴの正体は聞かず仕舞い。白ワインが進んだ二人はとても幸せな気分で……もう、謎はどうでもよかったんだ。


 幸せなまま店を出て……幸せなまま、円山町へと滲んで行った。


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