夕闇色の記憶 第十二章 断ち切れず 影にふり返れば

 土曜日のデート……豪雨から逃れるように、初めて招かれたゆなさんのアパート。


「ゆなさん……今日、ありがとう」

「ううん、この雨のおかげよ。今まで呼んであげられなくて、ごめんね」

「妹さんの監視付きだから、仕方ないよ」

「ホントよね。あの子今日は、夜まで帰らない予定だって。それに、この雨じゃ当分帰って来れないわね」


 それは……この大雨が上がってしまえば成り立たない理屈なのだと……あの頭脳明晰なゆなさんが、この時何故気付かなかったのか。


「今度……」

「なぁに?」

「今度、ウチにも来て」

「ホントに? 私はいいけど、ご両親は?」


 即答できなかった。この日のお招きが嬉しくて、とっさに「ウチにも……」なんて言ってしまったんだ。

 またも、考えなしだった。こんなに嬉しそうな笑顔のゆなさんに……はっきりしてあげられない。その場の感情で、思い付きな発言をしてしまったことを後悔した。


 何も答えられずに俯いていると、またもやわかってしまったらしい。


「私だってさ……今日、100%の状態で呼べたわけじゃないんだから。その気持ちだけで嬉しい」

「ごめんなさい。ウチの事情なんて、ゆなさんトコに比べると……取り越し苦労かもしれないね」


 過去、特に母から……『年上の彼女』に対して嫌な顔をされた経験上……その彼女よりも更に年上のゆなさんを、母へ紹介することを臆してしまっていた僕。

 そんな、一つの不安要因に拠り、直接的には関係のない別の不安が頭を擡げ……気付いた時には言葉にしてしまっていた。


「ゆなさんは……いなくなったりしないよね?」


 そう言いながら、テーブル越しに伸ばした手を……そっと握ってくれるゆなさん。


「なに言ってるの? 悲しいこと……言わないの」


 テーブルの下……こたつの中でも、足と足が触れ合っているのがわかった。ゆなさんの長い足は、自由自在にどこへでも届きそう。

 一旦触れ合った足は、握り合った手と同様、もう離せなかった。

 ここでホテルと同じことはできないと、お互いわかっていれば尚のこと、抑え切れない気持ちが湧き上がる。


 僕を一番、捉えて離さなかったのは、絡め合った足でも、握り合った手でもなかった。

 いつからか、平気で隠さず投げかけて来るようになった……縋るような、切ない瞳。

 ゆなさんから溢れ出す憂いは……僕を捉えて離さない。


「私を信じて……ね?」


 愛おしい……心の底から、そんな想いが湧き上がる。


 こんなに大切な人を、両親に紹介する勇気さえ持てない、自分自身が悔しかった。そして、そんな自分の弱さ、事態を打開できない実力の無さ、幼さのせいで……今、目の前にいるゆなさんもまた……失ってしまうのではないかという不安。

 いつも、側にいたい……繋がっていたい……こんなに大好きなゆなさんを……言われなくても僕は、いつも信じている。


「そっちに……行っていい?」


 自然に……想いが言葉になり、気付いた時には彼女に届いていた。


「我慢できない?」

「ううん……我慢するため。これ以上、足を……その……ヘンな気持ちになっちゃうから」

「あ、ごめーん。足で……誘惑しちゃった? アハ!」

「ううん……ただ隣にいれば、今日はそれで満足。行っていいでしょ?」


 ゆなさんは一旦俯いたまま笑顔になる。そしてその表情のまま、パッと顔を上げ……


「じゃ、こっち!」


 握った手をそのまま引っ張るゆなさん。手は繋いだまま、引きずり込まれるように隣へ……こたつに滑り込む。

 ところが……僕が座ったと同時になぜか、二人一緒にバターンと横になってしまった。


 だから……ここではダメなんだってば。嬉しいけど……。


「ゆなさん、なんで……寝るの?」

「キミこそ……気が合うわね」


 そう言いながら、眼鏡を外そうとする彼女。

 そっと手を添えて……制止した。首を振りながら……今日は、外してはいけないんだ……と、瞳で訴えた。

 彼女にも通じたらしく、そっと……キスだけをした。

 そう……キスだけをし続けた……いつまでも……。


 今日は我慢する為に……と言う大義名分のもと……絡め合えば合う程、我慢しなければならないことが、硬く大きくなってしまっていたのもまた事実だった。

 ゆなさんもそれは、同じだったと思う。


 しかし、例えキスまでで止めておいたにしても……妹さんが予定を変えて、早く帰ってきたら同じことだった。

 否……僕と並んでコタツに居たという時点で、同じことだったんだ。

 せめてあの時、僕がわがままを言わなければ……例え純粋な気持ちであれ、隣に座りたいなんて言い出さなければ……。

 向かい合って座っていただけなら……「組織の打ち合わせで、舎弟が来ている」で通ったのかもしれなかったのに。




 キスだけをし続けて何分経過したことか……二人とも息切れしているのは……興奮を抑え切れず、息が荒くなっているのと……キスが長すぎて本当に息が続かなくなったのと、両方だった。

 ちょっと疲れてしまった二人。手だけは繋いだまま、二人で仰向けになり天井を向いて……余韻を楽しんでいたのかもしれない。


 雨は、いつの間にかすっかり上がっていて、陽の光が少しだけ……差し込んで来ていた。


 その時……


 気配もなく突然現れた……


 妹さん!


 びっくりした。当然、二人同時にバッと跳び起きた。お互いに……声にならなかった。


 先に発したのは妹さん。


「お姉ちゃん……何してんの⁉」


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