夕闇色の記憶

薄川 零

夕闇色の記憶 序章 虚無に連れられて

 約10キロ痩せた。


 5月のあの夜から、どれくらい経ってから計ったかは定かではないが……10キロという数値は記憶している。

 17歳……高3。まだ育ち盛りなのでお腹は空く。

 然しながら、母が毎日持たせてくれる弁当の、ご飯の上に乗っているおかずだけを少し食べると……それ以上、食が進まなくなっていた。

 仕方なく持ち帰り、毎日コッソリとキッチンのディスポーザーで処理していた。


 わかっているさ。

 いわゆる……恋煩いだった。

 僕の『初めてのすべて』を捧げた……めぐみさんへの……。


 「あの夜」とは、1985年5月12日……ヴァイオレット・ムーン来日武道館公演初日の前夜……彼らの通訳を務めていためぐみさんと約4ヶ月半ぶりに再会し、過ごした……最後の一夜。

 彼女はそのあと……女優の修行のためにロスへと……ハリウッドへと旅立ってしまった。

 そのこと自体については……例えば「僕を捨てて行った女」等々の恨めしさのような感情は、一つも抱いていなかった。

 一晩中……話し合って、ぶつかり合って、そして……愛し合って辿り着いた……二人で決めた結論だったのだから。

 それでも……恋は終わったとしても……『恋心』は、消し去ることができなかったんだ。


 バンド活動も動きは無く……ただ『何も無い』状態で、日常が過ぎ去る。

 『何も無い』を言い換えれば……僕にとっては『生きていく希望』のことだった。


 『虚無』だけが僕を、どこかへ連れ去ろうとしていた。


 そんな絶望的経験が……高校3年生の夏休み期間の僕を、どこかへ遊びに行かせるでもなく……銀座数寄屋橋地下のレストラン街の店で、ひたすらバイトに明け暮れさせていた。

 何かを……忘れ去るためであるかのように。


 日払いではなかったが実質、その日に稼いだバイト代を2階のレコード店で使ってしまっていたようなもので……自分を音楽漬けにすることで、哀しみから逃れようとしていたのだろう。

 その『音楽漬け』以外は『何も無い』まま季節は過ぎ去り……誰を好きになることもなく、夏は終わった。


 9月の始業式の日、授業が無いので登校はエスケイプ……とある機関へ初訪問。

 『とある機関』とは……?


 当時、父は勤め先である角山書店から出版されたすべての書籍を社から渡されて、毎日のように自宅へ持ち帰って来ていた。その中にあった文庫本を出版したのが、その『とある機関』だった。

 その文庫本を読み終えた数日後が、その機関への初訪問……以後、出入りするようになり、そこの人達との新たな交流が始まった。

 メンバーの大半は、高校生から(稀に中学生も来たりした)を含む20代30代の若者と少数の中年壮年層であり、その頃から僕は、学校以外の付き合いを中心に動くようになっていた。


 何の団体かはあえて伏せておくが……自分と、これから登場する彼女の……否、彼女『達』の名誉のために述べておくと……おかしな宗教団体や、怪しげな自己啓発セミナーではない点だけはお断りさせて頂く。

 言論団体以上政治団体未満の出版機関……と言ったところだろうか?

 以降……『事務所』『機関』またはシーンに応じて『組織』と呼ぶ。


 但しそれほどお堅いことだらけでもなく、誰かのアパートに集まって飲んだり、持ち家のご夫婦のお宅へ集まってご馳走になり、そのまま老若男女も関係なく雑魚寝で泊めてもらえたり。


 冒頭に述べた「あの夜」……めぐみさんと再会し、再び結ばれ……そして『永遠』の別れとなった、あの夜以来……親の知らない人の家に泊まるのも、親からは徐々にとやかく言われなくなっていた(さすがに『無断』は良くないので連絡は入れたが)。


 そんな、機関の方達との交流の中で出逢ったのが、大学院生の彼女。

 7つ年上の彼女との恋が始まるとは……この時点ではまだ、知る由もなかった。

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