夕闇色の記憶 第二十五章 問題の核心

 昼近くにホテルから出て来た渋谷の街。

 ブランチ……否、もうお昼ご飯の時間だったが、何を食べたか思い出せない。


 記憶はお昼だけではなく、細かい道順がはっきりしない。

 代々木公園でデートの続きだったのだから……円山町からなら、前夜にチャーリントンカフェから来た道をそのまま戻るのが近道。

 だがそのルートは通らなかったはず。なぜなら記憶は、その反対側の道玄坂経由で、渋谷駅方向への坂道を下って歩いた風景。


 きっと、代々木公園という「目的地へ向かい最短距離で」なんてどうでもよかったのかもしれない。渋谷でも原宿でも、そのまま寄り添い歩き続けることができれば……


 それが二人の心の最短距離。


 近道なんかしなくても……目的地なんかなくても……心も躰も、しっかりと寄り添ったまま歩き続ける。

 こんなに愛し合っているのだから、引き裂かれるなんて有り得ない……そう確信したかった。

 例によって、何の論拠もないが……迫り来る現実に、その日だけは背を向けて……寄り添い歩き続けたかったんだ。





 代々木公園のベンチ……陽射しが暖かい。


「昨日さぁ……」


 ゆなさんから、前日の話……本当にいろんなことがあった一日だった。どの部分の話だろう? 楽しいトコだといいけど……。


「れいくんちにおじゃまして、出てくる時にお母さまに……キミをお願いしますって頼まれたでしょ?」

「うん」

「私も調子にのって、お預かりします、なんて言っちゃったから……」

「あぁ、あの時の……」

「だから……私としては、こうしてキミと一緒にいるのが普通なんだけど……」


 珍しく、結論を先に言わないゆなさん……何か真意を隠そうとしている?


「あの状況で出て来て、キミが一晩帰らなかったわけだから、当然……私とどこかに泊まってるって、お母さまは……」

「想像に難くないということだよね」

「でしょ? 普通にそう考えるよね」

「どう思われてるか、心配なの?」

「だって……いくらお願いしますって言われたからって、初めてお会いしたその日に、本当にお預かりしちゃったのよ」

「お預かりしちゃって、尚且つ頂いちゃった……」

「そんなトコ、補足しなくていいの!」

「だって……」

「だいたい、頂いちゃったのだって随分と前から……あ……やだもぉ!」


 さすがは律儀な文系ゆなさん。表現に誤りは許さない。でも……補足しなくていいと言っておきながら、自分で勝手に膨らませてるし。

 ただ、いつもの冷静でクールなゆなさんと、どこかが違う。


「と……とにかくね!」


 ちょっぴり焦った感じがいつもと違って……可愛い。


「ゆなさん……」

「なによ?」

「ウチの親なら、多分大丈夫だから」

「どう……大丈夫なの?」

「んーと……昨日も、特に何か反対されたり規制されたりしなかったでしょ?」

「そうだけど……」

「バスの中で、反対されなかったんだからいいじゃんって言ってたの、ゆなさんだよ」

「そ……そうだったわね」


 前日の、自由が丘へ向かうバスの中と、心配する側と宥める側が入れ代わっている。

 しかしそれも……お互いに心配している対象が異なっていたが故だと、その時は思っていた。

 即ちゆなさんはこの時、母がホントはどう思っているかが気になっており……一方僕は、前日のゆなさんの部屋での出来事が、妹さんを通じてご両親へ報告されてしまうことと、その反応……どんな沙汰が下るのかという恐れ……。


 しかし先ずは、ゆなさんに安心してもらう為にも、母の反応については説明しないと。


「前にも似たようなケースがあったけど、特に激しくは咎められなかったし」

「前にもって?」

「あれ~? 記憶力がいいから、何でも覚えてるんじゃなかったっけ? 話したでしょ。ヴァイオレット・ムーンの武道館ライヴ当日の朝帰り……」

「ああ……めぐみちゃんね……」

「めぐみちゃんて……『ちゃん』て言わないで……」

「いいじゃない。その女優、私より年下なんだし」

「うん……でも……」

「れいくんさぁ……呼び捨てにしないであげてるだけ、いいと思いなさいよ!」

「え? あぁ! ごめんなさい!」


 やっぱりゆなさん、いつもと違う。『過去の女の話』に……不機嫌?


「はぁ……。まぁ……いいわ。で? その時もお母さまには咎められなかったから、今回も大丈夫だってことよね」

「うん。前日にめぐみさんから電話がきた時、母が取り次いでくれたんだ。その日だけじゃないけど、母とは電話の取り次ぎだけで一度も会わせたことはない」

「ふ~ん……」

「でもゆなさんは、会って、ちゃんと挨拶して、直接お願いまでされたんだから……お預かりして、頂いちゃっていいんだよ」

「それはお母さまも……めぐみちゃんの時のことを弁えていらして……私とも、その……お預かりだけして頂かない……とは思っていらっしゃらないでしょうけど……」

「うん、そうそう。だから……心配なのはウチの親よりゆなさんのご両親の反応……」

「そうね。……ねぇ、新宿行こうよ」

「……?」


 今の……明らかに話を逸らした……?

 間違いない。今日のゆなさん、いつもと違う。否……昨日、バスが自由が丘へ到着した時からそうだったが……話題がやっと、問題の核心にきた途端に話を逸らすし。


 問題の核心…? そうか。この時気付いた。

 妹さんからの報告を受けた、ゆなさんのご両親の反応がやはり、この時の二人にとっては最大の脅威である点は、ゆなさんが一番よくわかっているはずだった。

 つまり……お互いに心配している対象が異なっているわけでは、決してなかったんだ。

 でも……いつになく、ごまかして話を逸らすなんて、ゆなさんらしくない。


「今日のゆなさん……やっぱりヘンだよ。どうしちゃったの?」


 このあと、そんな疑問が疑問としての意義を失う彼女の告白が……僕の心をより一層、ゆなさんに縛り付ける。



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