第四十五話 師と弟子

 敵の襲来を知らせるけたたましいサイレンの音とざわめきが、どこか遠くから聞こえてくる中、アラタは薄暗い鉄筋コンクリート造の建物の最下層にある広間に立っていた。

 食いしばった奥歯が痛む。

 疲労と銃創で全身が悲鳴を上げる。

 拳銃を握る手は照準を合わせられないほどに震え、視界は涙で磨りガラス越しかの如くぼやけていた。


(この人を、殺すなんて――)


 出来るはず無い。

 先程まで殺し合いをしていた相手に向けるにはおおよそ似つかわしくない感情が、冷静になったアラタの胸中を支配する。

 これまでの日々の光景が、映画のエンドロールのように脳裏を次々掠めていく。


「先、輩……」


 震える声で思わず呟いたアラタの顔を、冷たい床に仰向けになって倒れたフェイは絶え絶えの息をつきながら微笑みをたたえて見つめていた。


「……キミは、本当に……優しい、奴だ、な」


 息をつき、声を発する度に苦しげに咳き込むフェイ。赤黒い血は、見る見る服や床を染め上げていく。

 目の奥から溢れ出す涙を拭いながら、アラタは激しくかぶりを振って膝をつく。

 歯の隙間から漏れ出した嗚咽が、コンクリートの壁に反響した。

 フェイは精一杯の力を振り絞り、アラタの目尻に浮かぶ涙をそっと指で拭った。


「ごめんね、アラタ君……こんな、役目を、背負わせ……ちゃって……ごめんね……」


 優しい声、優しい笑み、優しい手。

 その全てを、愛していた。


 もう、時間が無い。じきに基地の至る所に設置した爆弾の時限装置が作動し、辺り一帯は爆炎と瓦礫に包まれる。

 フェイも、そのことは重々承知の上だった。


「……もう、お別れ……か、な」


 階段を降りる、大勢の足音が聞こえる。

 フェイは涙を拭った手を下ろし、アラタの拳銃を持つ手に添え、ゆっくりと自分の眉間に銃口を突きつけた。


「…………許して、下さい。フェイ先輩……」


 空いた手で、フェイのだらりと床に垂れ下がった左手をとり、指を絡め、アラタはようやく喉奥から声を絞り出した。

 フェイは、最期にとびきり明るい笑みを見せ、頷いた。


「うん。もちろん…………大好き、だよ……アラタ君」


 直後、乾いた銃声が、慟哭と共にこだました。



 *



 互いの銃口が火を吹くと同時に、アラタは床を蹴って肉薄した。

 狙うは喉元、あるいは眉間。

 痛む足に力を込め、発砲しながら迫るアラタ。

 ドナルドは老体とは思えぬ身のこなしでそれをかわすと、アラタの側面に躍り出た。


 タン、タン、タンと、横跳びしながら放たれた三発の弾丸。

 内の一つがアラタの拳銃を正確に捉え、弾いた。


「くそっ」


 宙を舞い床面に転がる拳銃を尻目に、アラタは腰のポーチから素早く二本のマガジンを取り出すと、ドナルドの顔面めがけて投擲した。


「っ!!」


 視界を遮られ、咄嗟に左側へ飛び退いたドナルド。

 だが、そこにはベルトに差した鞘からナイフを抜いたアラタの姿があった。

 視界の下から風を切り、すくい上げられるように迫る刃。

 直後、湿気た土嚢袋を引き裂いたかのような鈍い音が、微かに響いた。


「ぐッ……やるなぁ、アラタ君……」


 身軽にさっと飛び退いたドナルドは、拳銃を握り締めた右手を押さえ、苦笑した。

 急所を狙ったはずの一撃だったが、まんまと防がれてしまったらしい。

 だが、収穫はあった。

 カラン、と、ドナルドの右手から拳銃が、滝のように滴る赤黒い血と共に床にこぼれ落ちた。

 アラタのナイフは、彼の血管と共に腕の筋か神経も斬り裂いたらしい。

 だが、ドナルドの目には、まだ闘志の炎が滾っていた。


「まだ、やりますか」

「……まだ、これからさ」


 ドナルドは左手で懐からナイフを取り出すと、静かに腰を落として構えた。


「さぁ、第二ラウンドだ」


 言うや、ドナルドは凄まじい勢いで突進した。

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