第三十一話 約束

 その日のセントラルの空は、終日重い雲が覆っていた。

 聖堂へ入る直前、アラタはふと足を止め、そんな曇天を真っ直ぐ見上げる。


「緊張しているのか?」


 隣にならんだ新理事長がニヤリと笑う。アラタは静かに頷いた。

 既に他の人間は、全員聖堂の中に入っている。周囲には、アラタとヴァルトシュタインの二人だけだ。


「ええ、もちろん。今まで神様みたいに教えられてきた人を殺すんですから」

「“天使”を殺したお前が、“神”殺しは恐れるか。面白いもんだな。

 しくじるなよ? 閣下だけをしいしても意味は無いんだ。ミサの最後数分間は、聖堂の中からお前以外の警備が消える。チャンスは一度きりだ」


 そう言って念を押すヴァルトシュタインに、アラタはもう一度強く頷いた。


「分かりました」

「よし。……逃走経路は事前に伝えた言った通りだ。

『中央』のウィルソンとスタンフィールド総裁の仕業にして聖堂から逃れて軍部を掌握。いいな?」

「はい」


 心配性なヴァルトシュタインに淡白に返すと、アラタはさっさと聖堂の中に足を踏み入れた。

 心臓が、痛いほどに脈を打っていた。



 *



「……居ない」


 アラタの家に合鍵で侵入したリタは、空になった部屋を見て呆然と立ち尽くした。

 三日以内に帰ってくるとの話をジョンから聞かされて、今日がその最終日にあたる。

 今朝学校に来ていないのを確認したときから、嫌な予感はしていたのだ。

 学校から走ってきた為か、焦りからか、冬だというのに全身から汗が吹き出し息苦しい。


 なにか、良からぬことが起きている。そんな根拠のない確信が胸の中に広がっていく。


(流石にゲーセンにはいないだろうし、『キャンパス』か? それとも病院?)


 ここから徒歩でも行けるのは病院だ。そこならネリだっているし、『学園』の関係者も多い。それになりより、アダムス総統もいる。

 総統の暗殺に向かったのなら、きっとそこだ。  


(止めなくちゃ……)


 そう思い振り返ったとき、開け放たれた玄関の向こうに、背の高い男が立ち尽くしているのが目に見えた。


「相棒は、病院にはいないよ」


 ハツカネズミの様な色素の薄い肌と髪に青い瞳の、よく知る男……アラタのかつての相棒で、生徒会の副会長。ジョンだ。

 覇気のない、か細い声でそういう彼は、リタが近づくなりその場に崩れ落ちて何もかも吐き出すように続けた。


「本当はボクも死ぬハズだった! デモ鎮圧に見せかけてボクが死んで、暴動が加熱することを理事長は望んでた。……でも、そうならないハズだったんだ」

「落ち着いて下さい! 一体何があったんですか? 一体どういうことですか?」


 いつの間にか目を赤く腫らしていたジョンは、しゃくり上げながらも大きく息を吸って、ぽつぽつと話し始めた。


「理事長は、端から民主派を潰して政権を握るつもりだった。神父や総裁と仲良くしてたのは、その準備の為だった。

 民主派に国内で暴動を起こさせ、その鎮圧の為に軍部を動員。

『セラフィムの意志』のメンバーに指揮権を掌握させると同時に閣下を含めた政権中枢メンバーを暗殺してクーデターを起こす。……それがシナリオだった」


 一呼吸置いて、ジョンは続ける。


「昨日のセントラルでのデモは、その為のものだった。あそこでボクが死に、民主派に首都直下で暴動を起こさせれば、政権は無視できない。

 でも、総裁もバカじゃない。理事長の企みにはとっくの昔に気づいてた。

 だから例え暴動が起きたとしても、総統閣下が暗殺されないように病院から城の中に匿うつもりだったんだよ。でも……」

「暴動は置きずに、デモは解散。平和裏に終わりましたね。ならかいちょーは、閣下の居る病院じゃ――」

「違うんだよ」

「え?」


 ジョンは立ち上がると、リタの肩を摑んで言った。


「閣下は退院した。今は大聖堂でミサに参加している。情勢不安を理由に予定はトップシークレットとして扱われている。

 ミサは、キミがここに来る十分前からスタートしてる。もう、間に合わない……彼はきっと、閣下を、その場にいる皆を殺す。

 アラタ・L・シラミネは、フェイさんを計画に使った理事長を許さない。

 きっと新理事長まで手に掛けて、誰からも追われるようになる。その果てに、あの人は殺される」


 気がつくと、ジョンの目尻からは大粒の涙が溢れていた。

 地面に雫がこぼれ、じわりじわりと吸い込まれていく。


(かいちょーが、誰かに殺される)


 それは、許されざることだった。

 アラタに引導を渡すのは、他の誰でもない。自分だ。

 そう、かつて約束したのだ。それを反故にするなど、許されるわけがない。


(……行かなきゃ。何が何でも)


 リタはジョンの手をそっと離すと、一言、


「私は行きます」


 とだけ言い残し、颯爽とその場から走り去る。

 ただ、真っ直ぐ前だけを見て。

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