第三十二話 射手

「お、アラタ君! キミも来たのか」


 聖堂に入って早々、最前列左手に座っていた『警備局』のロックが振り返り、相変わらずの大きな声でそういった。

 その隣には、アダムス総統とスタンフィールド総裁が並んで腰を掛けている。


「ご無沙汰しております」


 ヴァルトシュタインと並んで歩きながら、アラタはそう返事した。

 二人の声が反響する聖堂は、国内最大の宗教施設だというだけあって流石に豪華だ。

 特に目を引くのは、縦幅数十メートル強はあろうかというステンドグラスだろう。

 色とりどりに彩られたガラスで象られているのは、黄色い衣を着た裏切り者の棄教者が、自身が死に追いやった師の墓前に跪いて許しを請う、聖書の有名な一節だ。

 生憎の曇り空で暗く見えるが、日が差せばきっと更に綺麗に見えるのだろう。

 どうやらそれを自分が目にすることはなさそうなのが、アラタには残念でならなかった。


「怪我はもう良いのかね?」


 近くまでやってきたアラタの姿を見留めて、アダムスはそう声を掛ける。

 アラタは大きく頷いた。


「はい。もう痛みもありません。ありがとうございます」

「……そうか。そいつぁ、良かった」


 アダムスはそう満足気に微笑むと、正面の祭壇に向き直った。


「では理事長、俺はこれで」

「うん、わかった」


 アラタはそっとヴァルトシュタインに耳打ちすると、最前列右手の長椅子――『中央』のウィルソン部長のすぐ隣に腰掛ける彼を見送り、壁際に捌けて警備の体制を取った。


 アダムスとしきりに何かを小声で話し合うロック。

 その様子を微笑みを携え見守るスタンフィールド。

 ロックらの様子を横目でチラチラ確認しながら、してやったりとでも言うような顔で含み笑いを浮かべるウィルソン。

 そして、にかわが顔に張り付いたように表情を強張らせ、ウィルソンと小声で囁やき合うヴァルトシュタイン。


 警備の数は、アラタを除いて三名。出入り口に二人と、アラタの向かい側の壁際に一人。

 最大の障害は彼らだが、この三名はミサの終盤には後の準備で外に出る。そこが、最初にして最後のチャンスだ。

 間もなく、聖職者達が聖堂に姿を見せて開式を宣言する。

 アラタはそっと、目蓋を閉じた。



 *



「……寒いねぇ」


 雪雲に覆われた、寒夜かんやのセントラルのバス停。

 誕生日にアラタが渡した赤いマフラーを首に巻き、コートを羽織ったフェイが言う。

 耳の先が赤い。マフラーで隠しているだけで、きっと鼻先も同様なのだろう。

 これから北部での長期任務だというのに、大丈夫なのだろうか。


「先輩が北に行くとき毎度思うんですけど、本当に大丈夫なんですか? そんなに寒がりなのに」

「やー、最後はやっぱ根性だよねぇ。気合で耐えてる」


 あまりにも非合理的だが、実際これでなんとかなるのがフェイの恐ろしいところだ。

 それで納得しそうになったアラタに、フェイはボソリと呟いた。


「まぁでも、今回ばかりはそれに頼んなくても行けそうかな」

「どうしてです?」

「いや、これがあるからさ」


 そう言ってニッと笑いながらマフラーを指差すフェイに、アラタは気恥ずかしくなって目を逸らした。

 指先が震えるほどに寒いのに、何故か顔だけ火を吹きそうなほどに暑い。それをフェイに悟られたくなくて、アラタは彼女に背を向けた。


「おっ? どしたどした、恥ずかしいのかぁ?」

「そんなんじゃないです! なんでもいいでしょうが」

「へへっ、素直じゃないねぇ。キミは……」


 耳元で、フェイがいたずらっぽくそう囁く。

 そのとき、視界がパッと明るくなった。バスがやってきたらしい。


「来ちゃった、か」


 もう少し二人きりでいたかったけど、と、フェイは冗談か本気かわからぬようなことを言う。

 アラタもゆっくり顔を上げ、今まさに停車したバスを見上げた。


「それじゃ……行ってくるね」

「ええ。良いお年を」


 バスの扉が開き、フェイはタラップを踏んで中へ行く。


「……ねぇ、アラタ君」

「はい?」

「愛してるぜ」


 タタタっとタラップを駆け下り、フェイはアラタを抱き寄せ唇を奪う。

 温かな息が顔にかかる。柔らかな唇が押し当てられる。

 驚きと困惑で頭が雪原のように真っ白に染まる。

 だが、嫌悪感は無かった。むしろ、幸せだった。

 運転手や乗客の目などを気にする余裕は無い。

 この時間が永遠に続けばいいとさえ思うほどに、心が満たされていくのがわかった。


 どれだけの時間が経っただろう。フェイは静かに唇を離すと、満面の笑みを浮かべて言った。


「またね!」

「……はい!」


 フェイはバスに再び乗り込み、北へと旅立っていく。

 アラタは人目もはばからず、その姿が見えなくなるまで思い切り手を振り続けた。

 フェイを殺める、丁度二週間前のこと。

 死へと羽ばたくフェイの背を、アラタは幸福に満たされた心持ちで見送った。


 その引導を自らが渡すことになるとも知らず、果てに自身も裏切者の死をなぞることになろうとは思いもよらずに……



 *



 全ての儀式が終了し、ミサは閉会へと向かう。

 警備の姿は既に無い。この場にいるのは一人の司祭と四人の男、そしてアラタだけだ。


 巨大な大聖堂に、男達の聖歌が響く。

 罪穢れを負った自らの不孝を父なる神に懺悔し赦しを請い、神や天使、聖人達を賛美する古い歌。

 低く重厚なその歌声は釣り鐘の音のように反響し、空気を揺るがし天へと登る。


 と、不意にスタンフィールド総裁がアダムスに何やら耳打ちして歌唱を辞めると、速歩きで聖堂を後にした。

 その背をヴァルトシュタインが不安げに見送り、アラタへアイコンタクトを取る。

 アラタは、瞬時に計画の破綻を悟った。


(……してやられたな)


 ここは大聖堂。民主派養護の最大勢力の本山にして、あの神父の影響力が及ぶ場所。

 スタンフィールドは、民主派に強い繋がりがある。

 彼の行動は、理事長がまんまと出し抜かれたことを示すには充分すぎるものだった。


「これで、良かったんだ」


 今の状況こそ、アラタにとっては都合が良かった。

『警備局』も『中央』も『学園』も『セラフィムの意志』も政府も……そして、アラタ自身も、フェイの犠牲の上に成り立っている。

 次を継ぐのが『民主派』で良いのかどうか、それはアラタにはわからない。だが、それを選ぶ権利が無いことはよく知っている。

 アラタに今出来ることは、フェイを犠牲にした勢力の全てを、今ここで終わらせる。ただ、それだけだった。


 腰のホルスターから拳銃を抜き、アラタは前へ歩みを進めながら安全装置を解除する。

 聖歌の調べに満ち溢れた聖堂。雲の切れ間から差し込む光に輝くステンドグラス。

 もう、迷いは無かった。


「報いを」


 アラタは引き金を引いた。

 乾いた四つの発砲音は、血肉が飛び散る音と混ざって、聖堂の中にこだました。

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