第四十九話 報い

 雑踏の中から、ジェームズは演説を始めたスタンフィールド総統――その護衛役を務める一人の女を見上げていた。


(遂に、この日が来た)


 ジェームズは胸の内に熱くたぎるような高揚と僅かばかりの緊張感を抱きながら、人知れず微笑を浮かべ上着の内ポケットに手を添えた。

 指先に、拳銃のグリップ部分の硬い感触が伝わる。


 この日の為に、全てを費やしてきた。

 セラフィムの意志などという狂信者達に身を投じ、体を鍛え、縁をつなぎ、悪事に手を染め、あるいは加担し、身も魂も、心の奥底に燃える炎に焚べてきた。

 この火が復讐の念から来るものか、姉と慕ったフェイへの愛から来るものか、それともそれ以外から由来するものか、ジェームズにはもう分からない。

 ただ、得体のしれぬ激しい業火が心を、体を、内側から焦がしていくことだけが確かだった。


(……アラタ・L・シラミネ)


 胸の内で、仇の名前を独りごちる。

 彼を殺すこと。それだけが今のジェームズの目的だった。

 本懐を無事遂げることが出来れば、この火の正体が分かるのだろうか。

 拳銃を取る手がじんわり汗で湿気るのを感じながら、ジェームズはボソリと呟いた。


「状況開始。全ては、天使のために」


 左耳につけたイヤホンから、二人分の返事が聞こえる。

 直後、会場に怒号が響き渡った。


「セラフィムの意志は、ここにあり!!」


 叫びの主は、亡き娘の面影をフェイに重ね、その死によって復讐の鬼へと身を落とし、檻の中から蘇ってきた『学園』の元教員。

 始まりを告げる役割として、彼女ほどの適役は他にいない。


(さぁ、始めましょう。アラタさん)


 貴方がここにいることは分かっている。

 セラフィムの意志の縁によって、貴方が出てこざるを得ない状況は作り上げさせてもらっている。


(最後の一押しは、直接おれが下しますから)


 どよめきとざわめきが辺りに満ちる。

 群衆の組む陣形が崩れ、ジェームズの眼前がパッと開ける。

 その正面に立つ若い女のSPに、ジェームズは素早く銃口を向けた。


「来いよ、英雄――」


 ジェームズは引き金に指をかけ、口の端を歪ませた。



 *



 会場のざわめきや自分の足音が遠くに聞こえる。

 目に映る全てが遅く感じられる中、アラタは大階段を一直線に駆け降りていく。

 頭がやけに冴えている。視界も普段より随分広いように思われる……切迫した状況に追い込まれたとき、人間はしばしばこうなるらしい。

 そのおかげで、アラタは記念堂を出たときから抱いていた違和感の正体をようやく摑み取ることができた。


(警備の数が、随分少ない……)


 数万人の集う式典を守るにしては、あまりにも人員が足りな過ぎる。

 その証拠に、今こうして拳銃を構えて立つ青年の姿に気づけている者は、アラタを除いて誰もいない。


(上手くしてやられた訳だ)


 理事長の最後の足掻きか、それともジェームズ自身の人脈か……状況は、あまりにも警備側に不利になっている。

 だが、例え彼が本懐を遂げたとしても、その次に撃ち殺されるのは彼自身。

 総統の眼前でテロ行為を行った者を逃がすほど、アルトベルゼのSPは鈍くはない。


(全部、織り込み済みか)


 階段を踏み、蹴る音が反響する。

 この先に待っているのが、成否を問わず死あるのみだとしても、それでもなお姉の仇を討とうと挑みかかる青年の喜色に満ちた表情。

 それをしっかりと目で捉えたとき、アラタは静かな哀しみと、深い共感を覚えた。


 あと数段で、リタの右肩に手が届く。

 ジェームズを撃つには、少なくとも更にもう一歩前へ出る必要がある。


(今の俺に、撃ち抜けるか……)


 拳銃の弾丸が届く距離は多く見積もっても五十メートル程度。

 それ以上前、確実に相手を仕留め切れる有効射程距離に足を踏み入れることは、防弾装備の無いアラタにとって死を意味する。

 ブランクのあるこの腕で、そんな互いの射程ギリギリの場所から、雑踏の中に潜む男の心臓を射抜けるのか。

 ――その答えは、アラタ自身が良く知っていた。


「リタ!!」


 アラタはそう叫んでリタの肩を力強く摑むと、彼女の前に躍り出た。

 瞬間、世界が元の速さに巻き戻る。


「会長……!?」


 驚嘆するリタを背に庇い、アラタは階段を駆け降り、拳銃を握る手を前へと伸ばした。

 その正面。人混みの中のジェームズは、凶暴な笑みを浮かべている。


「報いを受けろ、天使殺し……アラタ・L・シラミネ!!」


 雑踏を掻き分け前へ出るジェームズ。

 互いの射線、視線、殺意が交差し混ざり合う有効射程圏内の狭い空間。

 二人だけの目に見えぬ決闘場の中、互いの想いが重なった。


 一瞬の静けさの後、二つの銃声が轟き、鮮やかな血飛沫が秋空に舞った。

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