第五十話 再会

 放たれた弾丸が、眼前に立つ男の左肩に吸い込まれる。

 黒いスーツを貫き、その下の皮膚を、肉を裂き、背後の階段に敷かれた赤いカーペットに突き刺さる。

 瞬間、貫通した傷口から赤い血潮がほとばしり、宙に舞った。

 横風にあおられ空中に広がったその血飛沫が、まるで真紅の翼のようにジェームズには見えた。


「姉さん、そこに居たんですね」


 気が付いたときには、自然に言葉が漏れていた。

 この瞬間、否、それよりもっと前から、彼の中には常にフェイが……フェイの意志が生きていた。

 我が身を顧みず前に出てきたあの覚悟、己を射ぬかんとする鋭い眼、その奥に宿る、燃え盛る炎が如き強い光。

 それを目の当たりにして、ジェームズは己の胸中に滾る炎が収まっていくのが分かった。

 満足だった。己でも信じられないほど、満ち足りていた。


「やっぱり、あなたには敵わない……」


 言い終えて、喉奥から熱く金臭い何かが込み上げてくるのに気が付いた。

 瞬く間に口の中に満ち、唇の隙間から溢れ出した赤黒いそれを見て、ジェームズはようやく彼――アラタの弾丸も己の胸を貫いていたのだと知った。

 拳銃を握る指先が冷たくこわばり、痺れ、思わずそれを地面へと取り落とす。

 阿鼻叫喚あびきょうかんの様相を呈する観衆達の叫び声すら遠く聞こえる最中、ジェームズはゆっくりと後ろに向かって倒れ始めた。

 不思議と、死への恐怖は無かった。

 ただ、確かな満足感と、ようやく敬愛した姉に会えるという喜びだけが、消えた炎の代わりに胸にあった。


 既にぼやけ始めた視界の向こうで、肩を押さえてその場に座り込むアラタと、それに駆け寄る若い女の姿が見える。

 

(お先に失礼しますよ、アラタさん。また、後ほどお会いしましょう)


 意識が途絶え地面に倒れ込む直前、ジェームズは自身の取り落とした拳銃を拾う白く細い腕を目にして、ほんの僅かに微笑んだ。



 *



「かいちょー!!」


 焼け付くように痛む左肩の銃創を抑え、階段に腰を落としたアラタにリタが素早く駆け寄った。

 傷口から赤黒い血が滝のように溢れ、黒いスーツや中のワイシャツを濡らしていく。

 サングラスを挟んだ向こうで、胸を撃ち抜かれたジェームズが力無く地面に倒れ込むのが一瞬目に映ったが、直ぐ様殺到した周囲の警備員達の中に埋もれて見えなくなった。


「今止血します! ……良かった、急所は外れてる。弾も抜けたみたいですね」


 自分のネクタイを止血帯代わりに銃創に巻き付けながら、ホッとしたようにリタが呟く。

 荒い息をつきながら、アラタは思わず苦笑した。


「いつもの下っ端みたいな口調はどうしたよ……普段なら『止血するっス』って言ってるとこだろうが」

「この状況でそんな下手くそなモノマネ出来るんなら、大事なさそうっスね」


 止血帯を結び終え、そう言ったリタと目を見合わせて、マスクを外したアラタは小さく頷き笑ってみせる。

 つられて笑みを見せたリタは、しかしすぐにうなだれると、絞り出すようなか細い声で言葉を発した。


「完全に油断してました。まさかあんな正面にいたのに、気がつけなかったなんて……本当に、ごめんなさい。ありがとう、ございます」


 今にも泣き出しそうな声で言うリタの背に、アラタは無傷の右腕をそっと回すと、優しく手のひらをポンと置いた。


「なら、次気をつけりゃいい。お前も、みんなも、無事だったんだ。生きてりゃ、いくらでも次がある」


 黒い布のようなもので覆われ、担架のようなもので何処かに運び出されていくジェームズを見送りながら、アラタは静かにそう言った。

 総統は安全な場所へと避難し、聴衆たちの混乱も次第に収まり始めた。

 最初に声を上げた女もすでに確保され、恐らく今回の首謀者だろうジェームズは死んだ。


(奴らの“次”は、無くなった)


 主要な幹部も軒並み身柄を抑えられ、唯一残ったジェームズさえも失った今この瞬間、『セラフィムの意志』もまた、同様に死んだのだ。

 フェイを心の底から崇拝し、それをしいした者共を呪い、彼女の残した意志こそがこの国を導くと信じていた彼らの最後の希望が、儚く潰えた。


(これで、全てが終わった……)


 アダムス政権末期から続く熾烈で醜い権力闘争が、フェイの真の意志を求める聖戦が。

 そして、愛した人の背を追い続けるアラタの旅路が、ようやく終わった。

 もし、アラタ一人だけの孤独な道なら、きっとここまで来ることは出来なかっただろう。

 そう思ったのと同時に、自然と口が動いていた。


「ありがとな、リタ」

「え?」


 驚いて聞き返すリタの顔を見て、途端に気恥ずかしさが滲んできた。

 なんでもない、とそっぽを向くと、アラタは誤魔化すようにリタの背をバシンと叩いた。


「そら、まだやるべきことがあるだろ! 俺は大丈夫だから、お前は自分の仕事をやってこい!」

「うおっ!? なんすかいきなり! パワハラっスか!?」


 跳ねるように立ち上がり、反射的にそんな軽口を叩いて憤慨するリタ。

 二人は互いに見つめ合うと、思わずふっと頬をほころばせ、笑みを浮かべた。


「じゃっ、行ってくるっス」

「おう。行って来い」


 駆け足でその場を立ち去るリタの後ろ姿が、人混みの中に消えていく。

 その瞬間までをじっと見送ってから、アラタもまた、ゆっくりと腰を上げた。

 見栄と恥じらいからリタを送り出してしまったせいで、ここから数百メートル程度離れた医務室まで一人でいかねばならない。

 相変わらず出血は酷いが、それでも弾丸が急所を僅かに掠めるに留まったことと、応急処置が早かったこともあり、大事に至らずには済みそうだ。

 少なくとも、医務室にたどり着くまでは意識を保っていられるだろう。


「さ、行こうか――」


 そう自分を鼓舞しつつ、重い足を踏み出した刹那、視界の端に、懐かしい人の後ろ姿が見えた。

 薄香色の髪をボブヘアーに整えた、学生服のよく似合う小柄な少女。

 人気のない広場の片隅の、鉄筋コンクリート造の小さな建物の影へと消えていったその人物を、アラタは良く知っていた。

 見間違えるはずのない、見間違えて言いはずのない、胸を焦がす程に恋し、愛し、殺した人。

 そんなはずはないと分かっていても、激しく心を揺さぶる衝動は、どうしようもなく抑えきれない。


「フェイ、先輩……?」


 震えた、蚊の鳴くような声が漏れる。

 気がつくと、彼女の消えた建物の方へと足が向いていた。

 医務室のある方角とはまるで別の広場の片隅へ、アラタはいざなわれるように歩みを進める。

 そして、


「動かないで!!」


 建物の影に入る寸前、背後からそう呼び止められた。

 聞き覚えのある、若い女の甲高く鋭い声。

 互いの間に走った沈黙と緊張の中、傷口から滲み出し地面に垂れる血液の、ピチャピチャと跳ねる音だけが、その場に静かに響いていた。

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