終章

第四十八話 本懐

 ドナルド・アーヴィング暗殺から数ヶ月。

 セントラルシティのビル間を秋風が吹き抜けるこの日、アラタは独立広場の中心にある記念堂――“緑の館”の中に設けられた一室にいた。

 ブラックコーヒーの良い香りが湯気とともに立ち上る小さな部屋で、アラタは身の丈に合わない豪勢な椅子に腰掛け、物思いにふけっていた。


 今日、名目上臨時総統の座にあったスタンフィールドが正式に自らの辞職と国民投票に伴う総統選の実施を宣言する。

 ドナルドの死後、軍部や政界の影に潜伏して身を隠していだ残存勢力を完全に駆逐し終え、混乱が収束したことが主な理由だそうだ。

 その混乱鎮圧の最大の功労者として、アラタはこの場でアルトベルゼの歴史が変わる瞬間を見届けることを許された。

 多くの人々が血を流してなお成し遂げられなかったこの国の民主化。

 フェイの両親が命を懸けて望み、フェイ自身も願っていたかも知れないその瞬間。

 そんな場面に、大勢の人々をその手にかけ、挙げ句総統暗殺などという凶行に及んだ自分が立ち会えるなどとは……。


(人生、分からないもんだな)


 マグカップに口をつけ、アラタは先日スタンフィールドが告げた言葉を脳裏でふと思い出す。


 ――君には、古い時代を看取る義務があります。アダムス総統を殺めた、君には……


 あれは、彼なりの思いやりのようなものだったのかも知れない。

 普通に呼んだのでは決して来ないだろうと分かって、あえてそのように言ったのだろう。言葉の中に、ほんの少しの本音を混ぜて。


(この式典は、葬式だな)


 アルトベルゼを曲がりなりにも一等国へと成長させたアダムス軍事政権。そして、それを影から支えた『学園』……その象徴だったフェイ。

 それら全てを過去へと葬り、未来へと進む儀式。

 新しい世代へとタスキを繋ぎ、過去を弔うこの瞬間に相見えられることを、アラタは胸の奥で深く感謝した。


「相棒、そろそろ始まるよ」


 三度のノックの後、エレノアがそんな言葉とともに小部屋の扉を開け放つ。

 背広に身を包んだアラタはサングラスを掛けマスクをつけると、静かに腰を上げた。


「あれ、相棒。防弾チョッキ無いの?」

「ん? あぁ……急に参加が決まったんで数が合わなかったんだと」

「なるほどねぇ……貸そうか?」

「いや、いいや」


 二人はそう言い合いながら部屋を出ると、赤い絨毯じゅうたんの敷かれた記念堂の廊下を歩き、勝手口から外に出た。



 *



 秋晴れとは程遠い曇り空の下、会場は主役の登場前にも関わらず、大勢の聴衆達の放つ熱気に包まれていた。

 民主化の機運が最高潮に達した今日こんにち、それを主導したスタンフィールドの支持率は爆発的に上昇している。

 その人気は、今や国民からの支持の元長期独裁を続けてきていたアダムス前総統をも上回る勢いだ。


「本当に、この国で民主化が成されるんだね」


 警備員に紛れて群衆を記念堂の影から見下ろしながら、そういうエレノアにアラタは小さく頷いた。

 百平方メートルの正方形に区切られたスペース一杯に押し詰められ、主役の登場を待ち望む人々の熱狂と喝采。

 今日この日、この場所からこの国の新たな歴史が始まる。だが……


(何かが、おかしい)


 会場全体を広く見渡しながら、アラタは眉をひそめた。

 何か摑みどころのない、何か足りないような奇妙な違和感が脳裏をよぎる。

 理性の部分ではない、本能的な部分の捉えた薄ら寒さ。

 作戦行動中にこういう感覚が訪れるときは、決まってブリーフィング時には認識されなかった重大な異変や危機が発生していた。

 作戦成功の可否に、自身の生命に関わる、重大な危機が。


(一体何が起きている?)


 群衆か、会場の外か、はたまた警備か、それ以外か……違和感の正体を必死に探す中、遂に緑の館からスタンフィールドが姿を見せた。

 大地を揺るがすほどの大きな歓声と総統コールをあげる人々。

 にこやかに手を振りながらそれに応え、広場と館をつなぐ階段の中ほどにある演説台へと降りるスタンフィールド。

 そのすぐ近くには、総統の身辺警備を任されたスーツ姿のリタが、少し緊張した面持ちで立っていた。


「流石のリタちゃんも、やっぱり総統警備は緊張するんだね」

「ん? あ、あぁ……そうみたいだな」


 違和感に気づいていないらしいエレノアに、アラタはとっさに生返事を返す。

 その様子に少し引っ掛かりを覚えたようだが、彼女はさして気にする素振りを見せずに舞台へと向き直った。


 スタンフィールドがマイクを握ると、大歓声をあげていた聴衆達が途端にしんと静まり返る。

 張り付くような静けさの中、淡々と演説を始めた総統の声をどこか遠くで聞きながら、アラタはなおも周囲を見渡し違和感の正体を探っていた。


(気のせい、か?)


 ドナルド暗殺以来、自主練やトレーニングこそ行っていたものの、アラタは実戦に出ていない。

 戦場から長く離れていたブランクが、勘を狂わせてしまったのだろうか。

 そう思ったとき、不意に群衆の左端の方から怒号のような叫び声がこだました。


「セラフィムの意志は、ここにあり!!」


 黒い覆面を被った女は天高らかに右手に持ったマチェット山刀を掲げると、辺りの人々を威嚇しながら掻き分け、前へ前へと進み出る。


(あんなもの、一体どこから?)


 その場にいる全ての人間の視線と注意が彼に寄り、どよめきと悲鳴が広場に満ちる。

 近場の武装した警備員が男を取り押さえるために殺到し、人混みの中へ分け入る。

 隙間無く詰め込まれた人々がパニックに陥り、正方形の均衡が崩れる。

 その崩壊した陣形の間隙に、アラタは見知った顔が覗いているのに気が付いた。


「……ジェームズ」


 孤独な幼少期に天使と出会い、彼女を姉として慕い、追いかけ、その仇を憎み、遂にこんなところまでやって来てしまった青年。

 フェイ・リーの神聖さを誰よりも信じ、愛し、その意志を成し遂げようと奔走した純朴な信徒。


 ――ジェームズ・Fフェイ・リー


 最前列のすぐ後ろに立つ、自分とあまりによく似た彼の手には、日の光に照らされて黒く輝く一丁の拳銃が握られていた。

 その鋭い眼光と銃口は、演説台に立つスタンフィールド……ではなく、その警護をするリタの方に向いている。


 これは罠だ。そう、直感が警鐘を鳴らす。

 ジェームズの目的は愛する姉の仇討ち。そのためだけにセラフィムの意志に身を投じ、今の今まで生き抜き、鍛え、隠れ、忍び、待っていた。

 あの男はきっと、リタに銃を向ければアラタが出てくると信じている。

 初めて会った、あの日の様に。


「バディ、後は頼んだ」


 アラタはそうとだけ言い残すと、ホルスターから拳銃を引き抜き、一直線に階段を駆け下りて行った。

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