第十七話 友よ

「お、かいちょーにふくちょー! やっと帰って来たっスね」


 病院で銃撃戦発生との報を受けて大急ぎで戻ってきた二人を、リタは前庭の救護テントでそう出迎える。傍らにはネリも一緒だ。

 負傷した右手を白い包帯で処置した彼女に、その他の目立った外傷はない。病院も警察が駆け付け物々しい雰囲気ではあるが、混乱は落ち着いているようだ。


 この病院は任務で負傷した学生や教職員等を収容するための、『学園』の下部機関として機能している。

 その為病院で何か非常事態が起これば理事長やら『学園』幹部、そしてアラタを含む生徒会メンバーにすぐに報告が行くようになっていた。


「リタ、怪我は?」

「拳だけっス。それも軽傷なのでご安心を!」

「相変わらず武闘派だね、リタは。元気そうで良かったよ」


 久方ぶりの再会となったジョンにそう言われ、リタは「学園の突撃隊長っスから!」と笑って返す。

 そんな後輩の様子を見て、アラタは苦笑し頭をかいた。


「さっきまでドンパチやってたようにはまるで見えんな」

「切り替えが早いんスよ、かいちょーと違って」


 アラタは軽くリタの頭を小突くと、銃撃戦前後の話を聞いた。


「……疑惑は確信に、ってことだね」


 低い声で言うジョンに、アラタは神妙な面持ちで頷くと、ネリの手を取った。


「トーマスの後ろは、分からないか?」


 ネリは静かに首を振る。アラタは一言、「そうか」とだけ呟いた。


「あとはルカの報告とロッコの容態次第っスね。加減出来なかったんで怪しい所っスけど」

「あの状況で加減しろって言う方が無茶だ。お前は良くやったよ、リタ。ネリも、良く生きててくれた」


 リタの言葉に、アラタはそう返して肩を叩く。

 リタは思わず目を見開いた。


「……私こんなに素直に褒められたのはじめてかもっス。かいちょー、大丈夫っスか? 少し休みます?」

「お前は俺をなんだと思ってるんだ。俺だって褒めるときは褒めるさ」

「……やっぱり疲れてるっスね、かいちょー」

「だね。相棒、空港で合流したときも老けて見えたもん。ちょっと休暇でも貰ったら?」


 リタとジョンに口々にそう言われ、アラタはまた苦笑した。

 確かに、疲れていないといえば嘘になる。ここ数日は、色々なことが重なりすぎた。

 フェイの弟を名乗る謎の少年と、『セラフィムの意志』なる秘密組織。

 仕組まれたフェイの偽装亡命と、知らぬ間にその計画に加担させられていた事実。

 総統の暗殺未遂と、ドナルド・アーヴィング理事長の退任。

 そして、トーマスの背信。

 振り返れば様々なことが起こりすぎて、どっと疲労感がのし掛かる。

 だが、ここで立ち止まる訳にはいかないのだ。


「休んじゃおれんよ。あの人に、申し訳が立たない……」

「かいちょー?」


 音が遠く聞こえる。視界が歪む。


「ここで休んだら、あの人は許してくれない……許して、許……許して下さい、先輩……先輩」


 身体に力が入らない。

 病床でしっかり休んだはずなのに。


「相棒!」


 倒れそうになったアラタの体を、咄嗟にジョンが支える。

 一行の必死の呼びかけすら、アラタにはぼんやりとしか聞こえていない。


「トーマス、なんで……なんで。先輩、俺はどう、どうすれば……フェイ先輩、どうか、許して下さい……俺は、ぁぁ、殺して、下さい。殺して、殺、こ、殺せ。殺せ……!! リタ! トーマスを、殺せ、ぇ!! 今、すぐ!!」


 アラタはそううわ言のように叫んだきり、がくんと意識を失った。



 *



 アラタが気を失って六時間。彼はまだ目を覚まさない。

 積もり積もった疲労が祟ったのだろう。今はネリの隣にもう一つベッドを持って来て、そこに静かに横たわっている。


「今なら……殺せるんじゃ、ないか?」


 呼吸器を外して、かすれた声でそう呟くネリに、リタは苦笑いしながら首を振る。


「寝込みを撃っても張り合いないっスよ。それに、まだその時じゃない」

「その、時?」

「そ。この人が、何か決定的な間違いを犯した時、私は問答無用で眉間を撃ち抜く。

 だからまだ、その時じゃない。その時が来るまで、私はこの人を守り続ける。そう、約束した」

「フェイ、さん……と?」


 リタはこくんと頷いた。

 ぼつぼつ、と、天幕に何かが打ち付けられたような音がする。雨が降り始めたらしい。

 数時間ほどに外に出ていったジョンは、確か傘を持っていなかったはずだ。

 この時期の雨は、体を芯から冷やしてしまう。どこかで雨宿りするなり、雨具を買えていれば良いのだが。


「ネリ。お前はどうして、委員長を売る気になったんスか?」


 ふと、何気なくそう呟くリタに、ネリはゆっくりと答える。


「……俺達は、武器だ。でも、持ち主を選ぶことは……出来る……」

「『セラフィムの意志』は、お前の持ち主に相応しくなかった?」


 ネリは静かに頷いた。


「俺の、持ち主は……アラタさんだ。昔から、ずっと昔から……委員長は、気に入らん……」

「無茶苦茶私情じゃないっスか」


 リタは思わず吹き出した。ネリも釣られて笑みを浮かべ、「そんなもん……さ」と言い残して、また眠りについた。

 途端にテント内が静かになる。リタは呼吸器をネリの口に戻してやって、二人の寝息と雨音を聞きながら椅子に深く腰掛け直した。


「フェイさん。もしあなたが生きていたら、また違った結果になっていたんでしょうか。

 かいちょーと委員長の殺し合いが確定するような事態には、ならなかったんでしょうか」

「……死人に、口は無い」


 その声に、リタはハッと顔を上げる。

 目覚めたアラタは、上体を起こして真っ直ぐリタを見つめていた。


「かいちょー、いつの間に……まだ休んでなくちゃダメっスよ」

「まだやらなくちゃならないことが山ほどある。それが済んだら嫌ってほど休めるさ」


 そう言って制止も聞かずにベッドから降り、よろめくアラタをリタが寸でのところで脇から支える。


「ほら。やっぱり疲れが溜まってるんスよ。大人しく休みましょ?」

「……すまん」


 リタの呼び掛けにアラタは悔しそうに項垂れると、大人しくベッドに戻った。


「お医者さんが言ってたっスよ。最低一週間は絶対安静だって」

「過労死は故郷で生まれた言葉だ。俺には並の疲労なんて屁でもない血が流れてる。三日で充分だよ」

「かいちょーもガンコっスねぇ……そんなに死に急がなくても、そのうち私が殺してやるっスから大人しく一週間寝てて下さいよ。

 それとも、天使の迎えが来るより先に、今すぐ永遠の眠りにつきたいっスか?」

「天使は俺が殺したよ。きっと一生来ねぇから、やれるもんならさっさと殺せ」


 そんな風に二人が軽い口論になり始めたとき、テントにジョンが戻ってきた。

 白いスーツと帽子が濡れている。だが、不思議とそこにみすぼらしさや、みっともなさはまるで無い。

 水も滴る良い男とは、まさにこういったことなのだろうな、と思いつつ、口論を切り上げたアラタは顔をそらした。


「おや、痴話喧嘩に水をさしちゃったかい?」


 雨でぐっしょり濡れたスーツと帽子をラックに掛け、ワイシャツ姿のジョンが言う。

 スーツ程ではないが、しっかりと濡れたワイシャツから、黒いインナーと白い肌が透けて見える。

 アラタが露骨に目を逸らしたのを見て、ジョンはいたずらっぽく微笑んだ。


「そんな良いもんじゃないっスよ。頑固男を何とか言って聞かそうとしてる最中っス」

「あぁ言ってろ言ってろ。どうせ俺は頑固で意固地だよ。絶対に三日で復帰してやるからな」

「あー、相棒。残念ながらそうはいかないんだ」


 不貞腐れたようにベッドに横になるアラタの背に、ジョンが気不味そうに声を掛ける。

 思わず振り返ったアラタは困ったような、呆れたような表情で口を開き、すぐに「やってしまった」と言わんばかりに顔を背けた。

 耳の先がほんのり赤い。この様子だと、どうもフェイにはそういった事まで教わらなかったようだ。


(どこまでも奥手なヤツだな、キミは)


 ジョンはどこか嬉しいような気分になるも、すぐにそんな感情を抱いた自分がたまらなく嫌になり、心の奥でかぶりを振った。


「おいおいバディ、お前までリタの味方かよ?

 そりゃ俺だって万全じゃないが、お前はまだこっちに帰って来て日が浅い。代理を任せられる状態でも状況でもないだろ?」

「いや、そのことじゃないんだ」

「じゃあ何だ?」


 首を傾げてそう聞くアラタに、ジョンは声を潜めて耳打ちした。


「『学園』から、キミ宛の任務だ。キミに、会わせなくちゃいけない人がいる」

「いつ、どこで?」

「今から一週間後。場所は連邦中部プレーリー州バッファローレイクにある、サン・フレデリコ教会」

「……相手は学生運動家か?」


 ジョンは短く頷いた。


「ときが来るまでは自宅待機。それが『学園』からのお達しだよ」

「……分かったよ」


 アラタはため息をつくと、したり顔でニヤニヤしている後輩の額を指でピンと弾いて、頭をかいた。

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