第四章 意志を継ぐ者
第十八話 継承者達
雨粒が、窓を叩く音がする。
自宅療養を命じられて数日、アラタは特に何もすることが無く、一人シングルベッドに横たわっていた。
左腕の傷は始めの頃と比べるともう随分痛まなくなってきてはいるが、荒事に耐えうるかと言われると微妙だ。
ゲームセンターにでも行って気晴らししようにも、この雨の中を歩くのは気が引ける。
オンラインの格ゲーを一緒にやれる友人は、既にアラタの元を去ってしまった。
静かな部屋にただ一人。アラタは天井のシミを見つめながら、何度目かわからぬため息をついていた。
つい、二分前までは。
「……なんでお前がここにいる?」
「そりゃ宅配便のフリしてピンポンしたら、かいちょーがまんまと玄関開けたらっスよ」
油断大敵っスよぉ、と、当然のように家の中に押し入ってきたリタは、部屋を物色しながらそう言った。
「かいちょー、なんか面白いもんとかねぇんスか? 見えないところに隠したムフフ本とか」
「ある訳ねぇだろバカ!」
「えぇー。そんなこと言って、こことかに隠してるんじゃないッスかぁ?」
アラタの方を振り返ること無く、リタは四つん這いになって今度はベッドの下に腕を伸ばす。
アラタの諦めたように嘆息すると、湯沸かしポットのスイッチを入れた。
「……うっそ、ホントにない。ロッコの家にはあったのに」
「なんでロッコの事情を知ってんだよお前は」
「前は良く遊びに行ってたんスよ。二、三冊借りパクしてるムフフ本もあるっス。あいつ、結構いい趣味してますよ」
「俺はお前が恐ろしいよ」
リタに拳で顎を打ち抜かれたロッコはなんとか一命を取り留めたものの、脳に受けた深刻なダメージが元で未だに意識を取り戻さない。
誰も口には出さないが、もう二度と目覚めることは無いだろう。
「かいちょー、本棚はびっくりするぐらいすっかすかっスもんねぇ。つまんな」
立ち上がって本棚に対面したリタは小生意気にそう言って鼻で笑った。
後頭部に手刀を食らわせてやりたかったアラタだが、生憎と距離がある。鉄拳制裁はまたのお預けだ。
丁度、ポットの湯が沸いた。アラタは二人分のコーヒーを淹れると、丁寧にテーブルまで運んでやった。
「悪かったなつまらん本棚で。欲しけりゃその伝記以外全部くれてやるよ」
「いや別に結構で……って、その伝記そんなに大切なもんなんスか? かいちょーが物に執着するって珍しいっスよね?」
アラタは本棚の前まで行って伝記を抜き出すと、自慢げに鼻を鳴らして言ってやる。
「この伝記は先代会長からの誕プレ、というかお下がりだ」
リタが驚きのあまり目を見開く。アラタにすればしてやったりだ。
「えぇ!? こんなボロ本がっスか!?」
アラタは思わず苦笑した。
確かにテープやらなにやらで補強された跡の残る日に焼けたボロボロの装丁と、その中のヨレヨレになったページはまごうことなきボロ本だ。
だが、アラタにとっては命よりも大切な、
「ボロ本言うなボロ本。……あの人な、俺に渡すまで何するにもこの本を肌見放さず持ってたんだよ」
「お、昔話っスか? 聞きたい聞きたいっス!」
リタは吸い寄せられるように椅子に腰掛け、二人はテーブル越しに向かい合う。
マグカップから沸き立つ白い湯気がベールのように広がる中、アラタは伝記の末尾のページを広げたまま、ぽつりぽつりと噛み締めるように語り出した。
フェイの書き記した『DLP.』の文字列を、無意識に指先でなぞりながら。
*
「アラタ君、今日誕生日だろ? これあげるね」
その年は記録的な寒波の影響で、十一月中頃には既に多くの街が冬の様相を呈していた。
『学園』の生徒にとって誕生日と言うのはただの戸籍上の設定に過ぎず、別段気にするものではない。
生徒の過半数は実際の生年月日が不明な孤児やストリートチルドレンなので、自分の生まれた日にそもそも執着がないという理由もある。
そしてそれは、アラタとて同じことだった。フェイと出会うまでは。
「先輩、これって……」
相変わらず無人の生徒会室で手渡された一冊の古びた本に目を落とし、アラタは思わず呟いた。
“ジャック・グレイ”と題されたそのボロボロの伝記には見覚えがある。
フェイが何をするときも肌見放さず持ち歩き、何度も何度も読み返していた子ども向けの伝記だ。
内容といえば単純なもので、英雄ジャックがいかに独立戦争を率いて戦うことになったのかと言う
簡単で、単純で、薄っぺらなお話だが、フェイがこの本をことさら愛していたことを、アラタはよく知っている。
だからこそ、誕生日だからとこの本を渡されたことが驚きなのだ。
それにそもそも、フェイは人に何かを与えるときは基本消え物を選ぶ。
スパイとして痕跡を残さないためというのもあるのだろうが、ともあれ形に残る物を渡してくるのは珍しかった。
驚きの声を漏らしたアラタに、フェイは静かに頷いた。
「そう。これからの世を担うキミにはもっと勉強してもらわなきゃいけないからね。だから、あげる」
「……本当に良いんですか?」
「もちろん! どのみち、もう私には必要の無いものだから」
そう言って笑うフェイの顔は、どこか無理をしているようにアラタには思えた。
このところ確かに遠方へ行く任務が多かったから、疲れが出ているのだろうか。
アラタは再び手元の伝記に目を落とす。
古びてボロボロになってはいるが、大切に扱われていたのがよく分かる。
フェイにとってこの本は、
この礼は、同等かそれ以上のもので返さなくてはならないだろう。
「フェイさん、誕生日五月でしたよね」
唐突にそう聞くアラタに、フェイは困惑しつつ頷いた。
「えっ? う、うん……それがどうかした?」
「いえ別に。ただ、誕生日楽しみにしててくださいね」
「えっ!?」
「本、ありがとうございます。大切にしますね」
下校時間を知らせるチャイムが響き渡る。
さらに驚くフェイをよそに、そうとだけ告げてアラタは廊下の方へ足を向ける。
これで、プレゼントは生半可なモノでは済まされなくなった。今のうちから何を渡すか考えておかねばなるまい。
(これで少しは元気出してくれると良いんだけどな)
そう心中で独り言ちながら出口のドアに手をかけた、その瞬間、アラタはぎゅっと背後から力強く抱き締められた。
「ありがとね、アラタ君。その言葉だけで充分嬉しいよ」
耳許でそうフェイが囁く。彼女にしては珍しい、今にも泣き出しそうな震えた声で。
こんな展開になるとは思わず、かえってアラタは動揺する。
フェイのぬくもりと心音が、背中にじんわりと伝わってくる。
気が付くと、彼女はアラタの背に額を押し当て
アラタはどうして良いか分からずに、そっとフェイの手の甲に自分の手を重ね、握った。
そうする他に選択肢が思い浮かばなかった自分に内心腹を立てながら、アラタはそっと口を開く。
「……俺で良けりゃ、力になりますよ」
その言葉に、フェイはただうわ言のように何度も「ありがとう」と繰り返す。
すっかり暗闇の落ちた教室。
二人は随分長いこと、そうしたままでいた。
ようやくフェイが落ち着きを取り戻し、互いに家路につく頃には、夜空には大きな満月が昇っていた。
「綺麗なお月さまだね、アラタ君」
去り際にそう呟いたフェイの横顔を、アラタは今でもよく覚えている。
言葉の意味を知ったのも、伝記を渡してきた理由も、知ったのは取り返しがつかなくなってからのことだった。
一ヶ月後、フェイは北へ飛んだ。
*
「かいちょー、それじゃまた遊びに来ますね!」
「生憎明後日からは任務だクソ。もう二度と来んな」
気がつくと、空には夜の帳が下りていた。
アラタはそう言って家路につくリタを見送ると、玄関扉をばたんと閉じた。
建物の影から、様子をうかがう者がいることに気が付かぬまま。
「もうすぐですね、アラタさん」
ジェームズ・
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