第十六話 “武器”
トーマスは焦っていた。
死の床からなんとか持ち直したネリが、いつ目覚めてもおかしくなかったからだ。
病院の裏庭のベンチに腰掛け、冬晴れの日の下でトーマスは静かに項垂れながら、どうするべきか迷っていた。
頭の中で、絶えず反響するのはあの日のアラタの問い掛けだ。
――トーマス。お前の忠誠はどこに?
あれは、彼なりの最後通牒だったのかも知れない。
もはやアラタの忠誠が『学園』やドナルドではなく、国家、あるいは亡きフェイにあることは明白だ。そして彼はその敵を滅ぼすためなら、きっと手段を選ばないだろう。
トーマスがあの病室で口にした、その場しのぎの言葉のように。
(いっそ、アラタの方にひっくり返るか? それとも、このまま『セラフィムの意志』を貫き通すか……?)
フェイの伝説に魅了されたのは、何もアラタやリタだけでは無い。
この時代を生きる全ての工作員達が彼女に憧れ、崇拝し、その死に酷く胸を痛めた。たとえそれが、裏切りの末の死であっても。
フェイの死の真相を知る者達は、その瞬間を境にそれぞれ独自に動き始めた。
死を仕組んだ『警備局』と『中央』は、これを期に『学園』追い落としに拍車を掛け、喉笛にナイフを突き立てる形になった。
だが、追い落とされる側とて無抵抗でやられてやる義理はない。
ドナルド・アーヴィングは、起死回生の一手となる猛毒をこのときから……否、『警備局』と『中央』がフェイ・リーの始末を思案し始めた段階から、着実に準備していた。
北部地域を根城とする反体制過激派への接触。
“天使”の信奉者達のリストアップ。
『警備局』や『中央』内部への極秘の布教と、“毒”の施用。
そして、『意志』の偽造。
全ての工作に、トーマスは関与した。
ドナルドの手となり足となり“武器”となり、彼はあらゆる人脈と技量を駆使して企画を完成品に仕立て上げた。
『セラフィムの意志』のメンバーは、今や官民学あらゆる分野に存在し、今なおその根を広げている。
急速に巨大化し、高度に秘密化されたこの組織の全容を把握しているのは、ドナルドとトーマスの二人だけ。
猛毒は、ものの見事に効果を出した。
『セラフィムの意志』を己の手先と信じて止まない『警備局』と『中央』は、先日の独立広場での暗殺未遂事件を切っ掛けに激しい抗争を開始した。
事はトーマスの……全てを仕組んだドナルドの思惑通りに動いている。
唯一、アラタへの密告を図ったネリを始末し損ねたことを除いて。
ネリはトーマスの右腕として、『セラフィムの意志』の構築に長く携わっていた。
アラタへの明確な翻意を示した彼を生かしておけば、トーマスの関与や偽られたフェイの意志がアラタに知られてしまう。
知られてしまえば、アラタはトーマスを許さないだろうし、『セラフィムの意志』の解体の為に動き始めることだろう。
アラタがそう決めれば、きっとその後にはリタやルカだけでなくジョンも続く事は明らかだ。
民主化運動に深く関わっているジョンならば、各地の活動家に呼びかけることで運動を加熱させることも可能だろう。
アラタの鶴の一声で、国が二つに分かたれる。
それだけは、それだけは何としてでも避けなくてはいけない。
内戦回避の為に、今トーマスが取れる手段は二つに一つ。
ドナルドに恭順してネリの口を封じ、アラタを行動不能にするか、アラタに与してドナルドの首を刎ね飛ばし、『セラフィムの意志』を社会の闇へ葬り去るか。
トーマスにとっては、どちらも選び難いものだった。
(そもそもアラタは、ネリを口封じしたところでホンマに足を止めるんか?)
疲れ果てたトーマスには、もう何もかもが分からなくなってしまった。
冷静さを欠いている自覚はある。だが、頭を冷やせる程の時間はない。
(フェイさん。俺は、誰の“武器”になりゃええんですか……?)
鈍い頭痛に耐えつつ思考を巡らせていると、病院から複数の銃声が聞こえてきた。
トーマスはすぐさま立ち上がって病棟の方を振り返る。
銃声はなおも絶えずに響き渡り、辺りが悲鳴で満ちてくる。
院内で、銃撃戦が起きていた。
(……ロッコ)
トーマスは二つに分かれた道の片方が消えていくのを実感すると、スマホを片手に静かに病院を後にした。
「……出てくれよ、頼むぜハニー。ほんま、マジで……」
今のトーマスにとって幸いだったのは、ネリが『セラフィムの意志』の創設者を知らないこと、ただそれだけだった。
*
リタは、目覚めたネリのすぐ枕元の椅子に座っていた。
「珍しく寝坊したっスね、ネリ」
呼吸器の下で、目覚めたばかりのネリが苦笑する。
「もうすぐ看護師さん達が来るはずっス。私が守るから、しっかり回復するんスよ?」
点滴の繫がっていない右手を握ってそう言うリタにネリは小さく頷くと、震える指でその手を規則的に叩き始めた。
「トン・ツー?」
真面目な顔をして、ネリはまた頷いた。モールス符号とは、もう四、五歳の頃からの付き合いだ。意識せずとも、母語のように読み取れる。
リタは手のひらを打つ信号を頭の中で一つずつ組み立てていき、思わず目を見開いた。
――
「嘘。委員長、が……?」
リタは更に深く事情を聞こうと口を開く。その刹那、背後から制音された銃声が響いた。
弾丸はわずかにリタの耳を掠め、病室の壁に弾痕を穿つ。
リタは反射的に懐の拳銃を引き抜くと、振り返って発砲した。
リタの拳銃にサプレッサーはついていない。乾いた轟音が、病院の廊下にこだました。
「話の邪魔すんじゃねぇ!! ぶち殺されたいんっスかロッコ!!」
晴れた窓に僅かに映った男の名を叫び、リタは病室の入口から廊下の物陰に向かって銃口を向ける。
銃声が聞こえたのだろう。建物の外や他の病室から、ざわめきが聞こえてきた。
(どうりで看護師が来ないわけっス……野郎、人払いしてやがったな?)
リタは舌打ちをすると、窓に向かって発砲した。窓ガラスが音を立てて弾け散る。ざわめきが、悲鳴に変わった。
こう言うときは、騒ぎを大きくして相手を焦らすに限る。
「暗殺は失敗っスね、ロッコ。今晩の内にはこれ、きっとネットニュースになるっスよ」
リタの言葉に、ロッコは毅然と返事する。
「だとしても、やらなくちゃいけないんだよ。
俺は“武器”だ。彼女の意志を成し遂げるための、この世の影に生きる全ての者が日の目を見られる国を創るための、意志と願いの弾丸だ」
リタは勢い良く病室から飛び出すと、物陰に向かって乱射した。
鼓膜が張り裂けんばかりの銃声が鳴り響き、廊下の壁や床、柱に弾痕を刻んでいく。
額には、はっきりと青筋が立っていた。
「てめぇみたいなカスがあの人を語るんじゃねぇ!! 外野が知ったような口利きやがって、脳ミソぶちまけられてぇんスか!?」
ロッコは何も言わずに柱の陰から腕だけ出して応戦し、短い銃撃戦を繰り広げた。
やがてリタは弾切れと同時に病室に身を隠し、素早くマガジンを取り替える。
その隙に病室から距離を取って隠れ直し、同様に弾丸を補給したロッコが残念そうに口を開いた。
「残念だ。フェイさんと同じ実習先に行くために血反吐を吐くような努力をしたお前なら、同志になってくれると思ったが」
「あんたら、思い違いも甚だしいっスよ。あの人が意志を残しているんなら、それを受け継げるのはこの世に一人しかいない!
それが分かんねぇ様なアホ共が、ゴタゴタ講釈垂れてんじゃねぇよ!!」
「やっぱりお前は会長の……いや、もう言葉は要らないな」
互いに覚悟は決まっていた。
二人は同時に廊下に飛び出すと、目を見合わせる間もなく引き金を引いて接近した。
けたたましい炸裂音に、割れ残った窓ガラスがガタガタ震え、目標を逸れた弾丸が硬いものに当たって高く鳴る。
二人は右に左に狭い廊下を蛇行しながら、背を低く屈めて銃を撃つ。
二人の距離があと四十歩も無いところまで縮まった。そのとき、突如リタの拳銃が沈黙した。
(
リタは足を止めることなく、咄嗟に拳銃をロッコに投げた。
横回転した拳銃が、ロッコの眉間に迫りくる。
ロッコは慌てて顔を逸らして回避する。が、その一瞬弾幕が途切れ体勢が僅かに崩れた。
「死ねッ!!」
瞬間、リタは一直線に肉薄すると、拳でロッコの顎を打ち抜いた。
ロッコの身体が、枯木のように床に倒れて静止する。
静まり返った病院の廊下。
銃撃戦の跡地には、拳から鮮血を流したリタだけが立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます