第十五話 帰還

『学園』の生徒は高等部に進級するまで、基本はランダムに選ばれた同性の同級生とルームシェアをする。

 ルームメイトは三年毎に入れ替わり、「相棒バディ」として常にツーマンセルで行動をともにする。

 ここで築かれた信頼関係は深く強固なものになり、いずれ生徒達が高等部や各機関に就職した際に役に立つ。


 この日中等部に無事進級を果たしたアラタは段ボール一箱分の荷物を抱えて、割り当てられた学生寮の部屋に入った。

 誰がルームメイトになるのかは、当時部屋で出くわすまで分からない。今までの相方とはいずれも上手くやれていたとはいえ、ほんの少し不安だ。

 アラタは口に加えたカード状のルームキーをドアノブ上部のパネルに押しあてて解錠すると、ノブを脇に挟んで捻り押し開ける。


 眼前に広がるワンルームの白い部屋。

 今日この日から相棒となるその少年は、廊下に出てくるなり柔らかに微笑み口を開いた。


「お、きたきた!

 ボクの名前はジョン・ドゥ。よろしくね、『相棒』」


 温かな日の光が、少年のハツカネズミのような白い髪を照らしていた。




 *



 独立広場の事件から三日。アラタは今、空港外の喫茶店のテラスにいた。

 ジャック・グレイ国際空港。セントラルシティから南東に数キロの湾内に作られた空の玄関口は、今日も多くの人々でごった返していた。


「予定通りならそろそろ、か」


 スマホの時計を見て、アラタはふとそう呟く。

 時刻は午前十時過ぎ。約束の時間まであと三十分程度ある。少し早く着きすぎたようだ。

 既に注文してあったLサイズコーヒーは半分近くまで減り、もう随分ぬるくなってしまっている。

 アラタは小さくため息をつくと、スマホをポケットにしまって天井を見上げた。その、直後のことだった。


 カランコロン、と、来客を知らせるドアベルが店内に響き渡る。アラタはなんの気無しに店の出入り口の方に目をやって、思わず腰を浮かせた。


(おいおい野郎、考えてること同じかよ……)


 あまりにも目立つ真っ白なスーツとソフト帽に、コバルトブルーのネクタイを締めた、身長一八〇センチ強の人物が、そこにいた。

 ジョン・ドゥ。『学園』の生徒副会長にして図書委員長。そして、かつてアラタのルームメイトでもあった。

 人種、性別、戸籍名。果てはどの高校に『生活実習』に赴いているのかさえ完全に秘匿された、元理事長ドナルド・アーヴィングの『最後の切り札』。

 対外工作任務の為大洋を渡って東の大国「北グルべ連邦」に『留学』していたが、この度アルトベルゼに帰って来た。


 帽子からはみ出た、銀にも似た白い短髪が店の照明に照らされている。

 端正な顔立ちと、その宝石のような青い瞳に見つめられ、出迎えた女性店員は少し頬を赤らめていた。

 そんな店員と、クールに優しく微笑みながら会話する姿はまさに、童話に出てくる「王子」そのもの。口にバラでも咥えさせれば、きっと本物にだって勝てるだろう。


(相変わらずの天然タラシめ)


 アラタはそう苦笑して立ち上がると、ジョンに手を振って居場所を知らせる。

 視界の端でそれを見つけたジョンは振り向いてアラタを見留めるなり、パッと弾けるような笑みを浮かべて小走りで席までやって来ると、思い切り彼を抱きしめた。


「相棒ー! あっはは、ひっさしぶりだぁー! ボク寂しかったぞ!」


 友人とのスキンシップで、軽く抱擁ハグするのはよくあることだが、ジョンのこれはいささか情熱的過ぎる。先程までのクールさは何処へやら、といった様子だ。

 店員や他の客が思わず注目を寄せる中、アラタはジョンの腕をタップして、苦しげに声を上げた。


「ジョン、分かった、分かったから離してくれ。落ちる! 落ちるから! 俺怪我人だから!」

「わっ、ごめん! 相棒に会えるのが嬉しくってつい……」


 直ぐ様ホールドしていた手を離し、ジョンは叱られた大型犬のように縮こまりながら席につき、申し訳なさげにそう言った。

 左腕の銃創は、まだ癒えてはいない。患部を軽く右手でさすりながら、アラタも席に座り直した。


 暗号名コードネームジョン・ドゥ。戸籍名・ヴァン・オルトマンス。

 彼女の名と性別は、アラタだけが知っている。


「ま、取り敢えず再会を祝して乾杯でもしよう」


 アラタはそう言って、呼び鈴を鳴らした。



 *



「それにしても、ヴァルトシュタイン中将が次期理事長とは……また厄介な人選だね」


 ここ数日の情勢を語ったアラタに、ミルクティーを舐めながら、ため息混じりに声を低めてジョンは言う。

 店内は大勢の客で賑い、またジョンの声が元々低いのもあってか、その言葉はアラタにしか聞こえていない。

 アラタも、難しそうな顔で頷いた。


「ドナルド理事長が退任してから、後継者争いは『警備局』と『中央』のタイマンになった。この前の広場での一件以降、その対立も激化してるらしい」


 アラタはそう言いながら、六枚の証明写真をテーブルの上に並べて見せた。

 二枚は軍服を着た男女一人ずつの『中央』職員が、残る四枚には『警備局』の制服を着た四人の男がそれぞれ写っている。

 いずれも、双方の組織で積極的に活動を行っていた若手の工作員だ。アラタとジョン、二人の顔見知りも数名いる。

 写真を一瞥したジョンが言う。


「もうこんなに“行方不明者”が出たの? 良く調べがついたね」


 アラタは小さく頷いた。

 彼らが表の世界に再び姿を見せることは、おそらくもう二度と無い。

 今頃深い海の底で魚の餌になっているか、山奥で冬ごもりを控えたクマの保存食にでもなっているのだろう。


「『学園』が完全に蚊帳の外に放り出されたとは言え、次期理事長の方針によっちゃまた三つ巴の競争になりかねん。

 今は取り敢えずルカに情報を探ってもらってる最中だ」


 ヴァルトシュタインは陸軍内部で“湖畔派”と対立する派閥の一つ、“円卓派”に属する上級将校だ。

 かつてはアダムス総統やスタンフィールド総裁も所属していたことのある名門派閥であり、キャリア組や軍上層部のエリートが多く在籍している。

 現場に近い中堅幹部や下士官から支持を受ける新興の“湖畔派”とは根っから反りが合わず、この二つの派閥は常に軍部の主導権を巡って相争い続けていた。

 そんな状況下でのヴァルトシュタインの学園理事長就任は、彼が軍内部で追いやられて失脚したとも、逆に後継者争いの舞台に名乗りを上げたとも受け取れる。


 元々、それほど存在感のある将校では無かった。どちらかというと事務仕事や裏方での調整が得意な、華々しさとは無縁の地味な人物だ。

 “円卓派”でも中心の方に居た印象はなく、またアダムス総統と特に親しい友人と言う訳でもない為、詳しい情報も少ない。


(だからこそ、どう出るかが読めない)


 ロック局長とはかねてより昵懇じっこんだったという噂もあるが、さりとてウィルソン部長と特別不仲で対立しているというわけでも無い。

 むしろウィルソンとは同じ学校での先輩後輩として、時折意見を交わすこともある程には親しいらしかった。


 先行きは愚か、今なにが起こっているのかさえ不鮮明な状況だ。

 ルカがもたらしてくれる情報には、黄金以上の価値がある。


「理事長が代わってせっかく状況がシンプルになると思ったら、また大変なことになっちゃったね」


 そう言って、ジョンは頬杖をつきながらクスクスと笑う。

 アラタは呆れたように呟いた。


「そう言う割には楽しそうだな? ドナルド理事長の『愛妾』サンよ」

「その呼び名はよしてくれよ相棒。あの人にとってボクはただ、便利な武器なだけさ」


 応えると、ジョンは少し寂しそうな顔になって付け足した。


「誰も、ボクを人間だとは見ちゃくれない」


 アラタはカップに残ったコーヒーを一息に飲み干すと、吐き捨てるように笑い飛ばした。


「おいおいバディ、そんな言葉は脳ミソをビッグフットと入れ替えられてから言うもんだ。ツルツルすべすべ肌のお前が化け物に見えるかよ」

「まぁ足はおっきいけどね? 少なくともキミより一回りは」

「お、なんだ俺にマウント取ろうってか。いい度胸だその喧嘩買ってやるよ」

「ボクに勝てるの? 豆粒みたいなキミが?」


 しばらく二人はそう言って、テーブル腰に睨み合っていたが、やがて堪えきれずに吹き出した。

 こう言うノリが出来るのも、お互いを深く知るからこそ。

 アラタはひとしきり、疲れるまで笑い終わったあと、静かにジョンに手を差し出した。


「……おかえり、バディ。またよろしくな」


 ジョンは大きく頷くと、にっこり笑ってその手を取った。


「でも良いの? 「また」なんて言っちゃって。今の相棒が嫉妬するぞ?」

「そん時はそん時さ」



 *



 病院の集中治療室のすぐ手前。

 いまだ目覚めぬネリの警護をしていたリタは、不意に大きなくしゃみをした。


「……誰か私のこと噂してるっスねぇ」


 ネリの意識が戻ったのは、その瞬間のことだった。

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