第七話 密命

 ゲームセンターに行き損なって不平不満たらたらのリタをなんとかなだめて、アラタはスマホ越しに伝えられた集合場所の喫茶店にやって来た。

 高層ビル群の合間にひっそりと佇む小さなこの店は独立戦争直後からある老舗で、よく学園の生徒や教職員が情報等をやり取りするのに使われている。

 店に入り、指定されたテラス席の方を覗いて、アラタは一瞬固まった。リタも少し驚いたような顔をしている。


「理事長……っスね」

「あぁ、まさか直々にお出ましとはな」


 理事長、ドナルド・アーヴィングは、午後の緩やかな西日の射し込むテラスの一番奥の席で、一人優雅にコーヒーを喫していた。

 総白髪のオールバックは陽光で銀色に輝き、時折そよぐ秋風に揺らいでいた。

 リタの呟きに、アラタは小さく頷いて周囲の気配を探りながら席に近づいていく。

 刺客の居る様子はどこにも無い。店内にいる客は、全て学園の関係者らしい。その証拠に、全員左手に黒いミサンガをつけている。

 アラタはそれだけ確認すると、テラスへ出てドナルドに声を掛けた。


「ご無沙汰しています、“教授プロフェッサー”」


 “教授”は、外で彼を呼ぶときの暗号名コードネームのようなものだ。

 世間では、ドナルド・アーヴィングという男は元陸軍将校の国立大学教授であり、同時に立法院の古参議員としても知られている。

 学園の存在は、国家の重要機密事項だ。彼がその理事長を務めていることも、会話の詳細な内容も、当然世間に知れ渡るわけにはいかない。


「……うん、定刻通りだな。リタ君も来たか」


 ドナルドはコーヒーカップをコースターの上に置き、ゆっくりと顔を上げて微笑んだ。

 一見すると物静かで優しげな老紳士といった出で立ちだが、その狼を思わせる青い双眸は冷たく強い光を放って二人をじっと見つめている。


「この時勢です。万一のことがありますので、連れてきました」

「一人は流石に不安っスから、着いてきました」


 どんな立場の人間に会っても、物怖じせずに砕けた言葉を使うリタに、アラタは内心苦笑しながら席につき、間もなくやって来た店員に追加でコーヒーを二つ頼んだ。

 しばらくして、注文したコーヒーが席にやって来る。アラタは店員が店の中へ戻っていったのを見送って、ドナルドの方へ向き直った。


「それで、話とは?」


 隣のリタが、砂糖とミルクの入ったコーヒーを飲みつつ周囲を警戒している。

 ドナルドは頷くと、静かに口を開いた。


「上からの通達だ。君の就職先が決まった。例年通り警備局だ」


 アラタとリタは思わず眉をひそめた。


が黙っちゃいないでしょう?」


 現下、アルトベルゼは大きく三つの諜報組織・派閥が存在し、高齢のアダムス総統の跡目争いを水面下で繰り広げている。

 一つは古参の政権幹部や軍高官、世襲議員が支持する伝統の『学園』、もう一つは現場叩き上げの軍人や青年将校に人気の新興勢力『警備局』。

 そして最後に、軍の中堅幹部や若手官僚を中心に支持を集める“国軍の要”国防省中央情報部――通称『中央』――。

 アダムス政権発足当初から総統の後ろ盾を得て猛威を振るっていた『学園』の権勢は、去年と先日、二度に渡る致命的な失点で地に落ちた。

 総統はそれでも『学園』……と言うよりはドナルドに全幅の信頼を寄せているが、老境を迎えた彼が『学園』をかばいきれるかどうかは怪しい。

『警備局』も『中央』も、『学園』から大勢の卒業生を送り込まれ、半ば支配されていた組織だが、その学園優位の体制も今や瓦解の一途をたどっている。

 ドナルド・アーヴィング。彼が後継者競争から脱落して命を落とすのは、最早時間の問題だろう。

 そんな空気感が学生にも直に伝わるほどに、情勢は『学園』に凄まじい逆風となっている。


 正直言って、アラタは全く気乗りがしない通達だった。

 そもそも今の会長職も、フェイを手に掛けた末に上から与えられたポストだ。

 誰かに指示を与える、集団をまとめるといった能力があるようには、アラタ自身全く思えなかった。どちらかというと、リタ同様現場で活動する方が得意なタイプだ。

 アラタのそんな少し不満と不安を織り交ぜた問いに、ドナルドはまた頷いて返した。


「それを黙らせるために、上はテストを行うつもりだ。十一月二十九日、緑の館でな」


 緑の館は、セントラルシティの中心部に位置する独立広場に建っている。

 正式には『アルトベルゼ独立記念堂』という名だが、多くの国民がその屋根の色から緑の館と呼び、親しんでいる。


「独立記念式典、ですか」


 毎年十一月二十九日の独立記念日にはこの建物の前で記念式典が開かれ、統一総統はここで大規模な政治集会と演説を行うのが恒例となっている。


「そうだ。詳しくはまた情報が降りてき次第連絡する。……それと、もう一つ。こっちは私からのお願いだがね」


 ドナルドはボソリと呟いて、テーブルの下からアラタに一枚の紙切れを手渡した。手触りからして、どうやら写真らしい。

 誰の写真かは、見ずとも分かった。『警備局』内部で、今ドナルドが一番その動向を気に掛けている人物は、自身のライバルに当たる男――警備局局長以外に有り得ない。


「恐らく、テストの前に職場見学があるはずだ。その時に、その身辺を……頼んだ」

「出来うる限りのことはします」


 学生は、あくまでも『学園』の下にある。忠誠は国家ではなく、『学園』に向けられている。それがたとえ、卒業後であったとしても。

 アラタは写真を服の内ポケットにねじ込むと、もうすっかり冷たくなってしまったコーヒーに口をつけた。

 視界の端に、店の外の道路からこちらをじっと見つめる誰かの人影が見えた。その手には、拳銃が一つ、握られている。


「店ん中頼んだ」


 アラタはリタにそう素早く言い残すと、椅子を蹴飛ばしテラスの柵を飛び越え、人影に飛びかかった。

 乾いた発砲音が三発。いずれもアラタの耳をかすめて消えていく。

 黒い背広にソフト帽、紺のネクタイを締めた、目尻に小じわの目立つ初老の男。それが、道路からドナルドの命を狙った刺客だった。

 アラタは丸腰のまま男に組み付き、地面に押し倒して無力化する。だが、


「セ、ラフィ……ム、よ……」


 直後、男はそう言い残すと、泡を吹いて脱力した。

 呼吸をやめた鼻、振るわなくなった脈、開いた瞳孔……口の中から、ほのかにアーモンドのような甘い香りがしている。


「クソ、自決したか」


 顎の下に当て、脈を取っていた指をそっと外すと、アラタは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。

 背後のテラスで、リタはドナルドを背にかばって追撃に備えている。

 店内の『学園』職員も、同様に店内外を慌ただしく警戒している。

 アラタはゆっくりと立ち上がると、スマホを取り出し警察と救急に電話した。



――――――


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