第二十三話 迎え

 アルトベルゼ北部の町ホワイトヒルは、昼夜物々しい雰囲気に包まれていた。

 この町でギャングの抗争が始まってから、もう三週間ほどの時が経つ。

 町の至るところで行われる銃撃戦と、機能不全に陥った警察組織のせいで街道から市民の姿は消え、不気味な静けさだけが残っていた。


「ホットコーヒーを一つ。砂糖はいらない、ミルクだけで」


 そんな沈黙した町のがらんとしたコーヒーショップに入店し、ルカはカウンター席に座って注文した。

 物静かなマスターは久々の客に驚きながらも、何か他のことを口にすることなく頷き、コーヒーのドリップを始めた。

 北部はもう、本格的な冬が訪れはじめている。

 ルカは両手に履いた手袋を脱いでコートのポケットに押し込むと、改めて店内を見渡した。

 誰もいないと思っていたが、どうやら先客がいたらしい。

 黄色いフードを目深に被った若い男。人相までは読み取れなかったが、それほど気にすることでもない。ルカは目線をもとに戻すと、思考にふけり始めた。


 次期総統職継承競争のレースから外れて蚊帳の外になってしまった『学園』、もといアラタに今の戦況や状況を伝えるための「目」として、ルカは抗争が始まった直後からこの町に滞在している。

 ホワイトヒルで抗争するギャングは、双方ともに『中央』と『警備局』の息のかかった組織だ。

 殺人、強盗、人身売買、麻薬密売その他諸々の犯罪行為をもみ消す代わりにこれらのギャングを便利な道具として操ることは、それほど珍しい行動ではない。

 その中でも、現在ホワイトヒルを舞台に争う二つのギャングは、特に名が通った“伝家の宝刀”。

 アダムス総統の体調も日増しに悪化している。どちらの勢力も、この戦いの結果が将来を決める分水嶺になると察しているらしい。


(ここには『警備局』の支部がある。『中央』はそれをさっさと潰して政権内の求心力を自分側に引っ張るつもりだったんだろう)


 一連の抗争も、『中央』側のギャングが乗り込んできたことから始まった。

 最初の攻撃で決着をつけられず、ずるずる二週間もの間事態が泥沼化していることに、『中央』のウィルソン部長は相当焦っているはずだ。

 警察を抑え込んでいられる時間にも限度がある。それに、この件で総統や政権中枢から不信感を持たれてしまっては本末転倒だ。


(『警備局』のロック局長からしたら、長期戦はもってこいのところだろう)


 事実、『警備局』の支部には、ここ数日大勢の民間警備員が大量の物資とともに出入りしたり、ギャングと取引しているのを確認している。

 警備会社は、ロック局長の息が掛かった事実上の私兵部隊と見てまず間違い無い。

 その証拠に『警備局』の元職員だった人間の姿も数多く見られた。

 長期戦に持ち込み、その間に『中央』の圧力で身動きの取れない地元警察や政権内部の有力者との交渉に臨むのだろう。


(問題は、ヴァルトシュタイン中将がどちらに転ぶか)


『学園』は衰退したとはいえ、未だその影響力は無視できる程度のものではない。

 理事長のヴァルトシュタインがどの側に立つかによってこの戦いの終わり方も、この国の未来も大きく変わってくるはずだ。

 舞台はこの町から、再び政治の場に戻るだろう。膠着こうちゃくし始めたここでやれることも、もう少ない。


(……そろそろ引き際かな)


 今日、明日にでも荷物をまとめて一度セントラルシティに戻り、アラタ達と合流し今後の方針を練り直しても良いかも知れない。

 “戦場”で得たい情報も粗方全て集められたことだ。この辺りが、帰還するベストなタイミングにも思える。


(セントラルのチュロス入りシェーキが懐かしいぜ……)


 そんなことを思っていると、丁度コーヒーが手元にやってきた。芯から冷えるような寒さに、温かいコーヒーは文字通りの生命線だ。


「ありがとう。頂きます」


 ルカはそう言ってコーヒーカップに右手を伸ばす。

 瞬間、手の甲に鋭いナイフが突き刺さり、カウンターテーブルに打ち付けられた。


「がっ……!?」


 コーヒーショップの店主からの予想外の一撃に、ルカは思わず身をこわばらせて硬直する。

 その一瞬の隙に店内にいた若い男が背後に迫り、ロープでルカの首を締め上げた。


「ルカ、すまん。許してくれや」


 今際の際、ルカの耳に聞こえてきたのは、そんなよく知る青年の声だった。


「と、ぉ……マ、ㇲ……」


 声にならない声を上げ、ルカの意識はじわりじわりと黄泉に落ちた。


「この国を守るためにも、アラタに……スタンフィールド閣下に好き勝手させる訳にはいかんのや」


 トーマスはそう動かなくなったルカに言うと、店主に目配せをして二人で彼の死体を店の奥へと運んでいった。



 *



 早朝、アラタは一人礼拝堂最前列の長椅子に腰掛けて、これまでに得た情報を整理していた。

 誰もいない、やや薄暗いこの場所は耳が痛くなるほどの静けさに満ち溢れ、不思議と心が落ち着く。ここ数日は毎朝、日課のようにアラタは日の出前からここにいる。

 日が登るにつれてステンドグラスに陽光が射し、清らかな朝日が礼拝堂全体を淡く照らし出す。

 そのあまりの眩しさに、アラタは思わず目を逸らした。


 アラタが教会に泊まって、早一週間が過ぎた。

 教会に潜伏している青年活動家達には神父が直々に「フェイの友人だ」と紹介してくれたお陰で、特に警戒されること無く日々を過ごせている。

 フェイの両親は、かつて過激派と民主派の双方をまとめ上げていた反体制派の伝説的指導者だったらしい。

 事故死だというのも恐らくはそう見せかけただけで、実際には政権側の暗殺だったのだろう。

 ともあれ活動家達にとって、そんな伝説の夫婦の忘れ形見だったフェイはよほど大切な存在だったらしい。

 お陰で、予想より遥かに容易に彼らの懐に潜り込む事ができた。


 エレノアは手紙が神父へ渡ったことを新理事長に報告する為、三日ほど前に教会を発った。狭いと思っていた部屋も、今では随分広く感じる。

 活動家達にも顔が利く彼女が居てくれたほうが安心だったのだが、初日の夜の件もあってそれを提案する気にはなれなかった。


「グッモーニン、アラタ。いつも朝早いわね」


 そんな眠たげな声と共に、一人の女性が礼拝堂に姿を見せた。ジェシーだ。

 ここ数日で彼女とアラタは、まるで元から知り合いだったかのように打ち解けた。

 はじめは約束通りエレノア――彼女はジョンだと思っているが――についての話や礼拝の作法などが主だった話題も、今ではすっかり友人のように他愛も無い雑談や冗談を飛ばせるようになった。

 ジェシーの祖父を殺めていなければ、アラタはもっと彼女に心を許せていただろう。

 そう思わせるほどの人間的な魅力が、彼女にはあった。


「おはよう、ジェシー。そっちこそ、今日は随分早いじゃないか」

「なんか目が覚めちゃったのよ。ね、ちょっと歩かない?」


 そんな声に誘われてアラタは立ち上がると、ジェシーと連れ立って教会の外に出た。


 比較的温暖な中部地域も、早朝……ましてやこの時期になると随分と寒い。

 吐く息は白く湯気のように立ち上り虚空に消える。

 二人はまるで示し合わせたかのように、ごく自然に墓地へ、それもフェイ一家の墓前に歩みを進めた。

 彼女達の墓標には花束や菓子類が山のように供えられ、この家族がいかに活動家達から慕われていたのかを無言で語る。

 アラタはフェイの墓の前に屈み込むと、その墓石を静かに撫でた。

 ひんやりと冷たく、滑らかな手触りが伝わってくる。この下にフェイは居ないのに、こうしていると何故か触れ合えるような気がしていた。


「その人が、アラタの恋人だったんだよね?」

「……一方的に俺が好きだっただけだよ。彼女は多分、沢山いる後輩のうちの一人としか思ってなかったんじゃないかな」


 呆れたようにジェシーが言う。


「だとしたらひどい女ね、フェイって人は。貴方はこんなに毎日毎日お墓参りに来るような献身的な人なのにね?」


 アラタは、少し切なげに笑った。


「あぁ、そうだね。全く、とんでもない女に恋しちゃったもんだよ。ホントさ」


 北風が墓地を吹き抜ける。強い風だ。アラタは思わず顔をそらしてその冷風をやり過ごした。

 木枯らしのような冷たい風が、アラタ達の肌を掠めるついでに山積みになった墓前の供え物を崩して飛ばす。


「凄い風だったわね。もう髪がぐしゃぐしゃよ」


 風がひとしきり吹き終わったあと、怒ったようにそう言ってジェシーがうなだれる。

 アラタも、苦笑しつつ立ち上がった。


「ひどい風だったね。ジェシーは先に帰ってなよ。俺はお供え物元に戻してから帰るから」

「ええ、そうさせてもらうわ。風邪、ひかないようにね?」

「うん、ありがとう」


 アラタはそう言って教会に戻るジェシーを見送ると、「やれやれ」と言わんばかりに散らばった菓子の袋や花束を集めて元の場所に戻していく。

 その時、アラタは崩れた供え物の山の隙間から写真立てに入った一枚の家族写真が覗いているのを目にした。

 アラタは集めた供え物をその場に置き、写真立てを手に取りまじまじとそれを観察する。


 写真の隅には、十六年前の日付が残されていた。古い写真だが、それほど劣化はしていない。

 撮影場所は、この教会のすぐ前のようだ。

 スーツを着た身なりの良い東洋人の中年男性の腕の中には、三、四歳程の幼い少女が抱かれ楽しげな笑みを浮かべている。


(先輩)


 薄香色の髪とその面影から、アラタは直感的にそう分かった。

 そうして、そんな二人のすぐ傍らで微笑む、フェイと同じ髪色をした女性を、その腹を見て、アラタは背筋を凍らせた。

 肥満ではない。そこに生命が居ることをありありと感じさせる――彼女が妊婦であることをしめす、風船のように膨らんだ腹だった。


「でも、弟はいないはずじゃ……」


 思わずそう呟いて、アラタは全てが繋がったことに気がついた。


『パパとママは、ここでトラックに跳ねられて死んだ』


 かつてそう語ったフェイの言葉が脳によぎる。

 民主活動家の指導者だった両親は、恐らくは政権によって暗殺された。そして、その亡骸は、


『フェイさんの遺言に則り、彼女のお墓はご両親の隣に立てさせて頂きました。標の下は、どれも空の墓穴のままですが』


 数日前、神父がまさにこの場所で語ったように、ここにはない別の何処かにある。

 あるとするのなら、それは……


『アラタ君、ここだよ。この場所で、私は『学園』と出会った』


 暗殺の実行をし、幼いフェイを回収したのが『学園』ならば、その亡骸の始末も当然『学園』の仕事だろう。


 その答えに気づいたとき、不意にアラタは胸が空くような思いがした。

 全て、分かったのだ。


『98%』


 何故、存在しないはずの弟ジェームズに、あんな結果が出たのか。

 何故、ジェームズ達『セラフィムの意志』が『学園』内部で急速に拡大出来たのか。

 何故、あれほど厳重な警備網の敷かれた演説会場にジェームズが姿を見せたのか。


「ドナルド・アーヴィング」


 十六年前も、彼は『学園』の理事長だった。


 アラタは暑くもないのに額から汗を滴らせ、えも言われぬ笑みを浮かべる。


「理事長は『学園』も『セラフィムの意志』も支配下に置いて、今では影からこの国の乗っ取りを画策している……大方そんなとこだろう?」


 出てこいよ、ジェームズ


 ゆっくりと立ち上がったアラタは、物陰に向かって声を掛ける。

 ジェームズは嬉しそうな笑顔を見せて、その姿を現した。


「凄い推理力ですね、流石は姉さんの認めた方だ」


 ジェームズは手を叩いて形ばかりの称賛をしながら、ゆっくりとアラタに歩み寄る。

 アラタはポケットから取り出したスマホを墓標に叩きつけて破壊すると、おどけたように首をすくめて苦笑した。


「あの人にはよく自作クイズの実験台にされてたからな、お陰ですっかり俺も推理脳だ。細かいことばっか小姑みたいに気になってしゃーない。

 で、どうなんだよ。当たりか外れか、教えてくれよ。嘘は吐かないって約束だぜ? それもこの人の墓ン前だ」


 アラタは親指でフェイの墓を指さした。

 ジェームズは余裕そうな笑みを浮かべて頷くと、静かに口を開いた。


「それはご本人から直接聞くのが一番でしょう。案内しますよ?」

「ノーを言わせる気はないんだろ?」

「ええもちろん。さぁ、こちらです。車を待たせてありますから」


 アラタは促されるがまま、ジェームズとその場をあとにした。

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