第二十五話 偽られた意志
その日は、木枯らしが吹くような寒い日だった。
珍しくアラタが風邪をこじらせ学校を休み、その日の生徒会室にはフェイとリタが二人きり。
願ってもいない幸福だったが、いきなりのことだ。リタの心は準備不足で、緊張と喜びから心臓が大きく鼓動する。
会長席ではのほほんとした顔でフェイがブラックコーヒーを喫していた。
教室は完全な沈黙に包まれている。何か話さなくてはと思うものの、口から言葉が全く出ない。
アラタならば深く考えることなく話題が自然と生まれたのだろうかと思っていた矢先、唐突にフェイがカップを置いた。
「こうやって二人になるの、久しぶりだねぇ。林間学校以来かな?」
「えっ? あっ、あぁ……はい。そうですね」
せっかく話を切り出してくれたのに、妙な生返事になってしまった。申し訳無さと恥ずかしさから、リタは思わずうつむいた。
そんな彼女に、フェイは柔らかに微笑みながら会話を続ける。
「セントラルシティが三つは入る大森林での班をツーマンセルに別けてサバイバル。キツかったよねぇ」
「……はい。超キツかったです。食料も現地調達だし、森にはグリズリーやらピューマやらもいましたし」
そう言いながら、二人は思わず目線を合わせて声を漏らしてしまう。緊張もほぐれてきた。
ひとしきり笑い終わったあと、またフェイが一口コーヒーに口をつけて話し出す。
「初日のテントの中でした話、覚えてる?」
「もちろんです! 憧れてる人とか目標の人はいるのか、でしたよね」
そう言ってから、恥ずかしくなってリタは直ぐ様赤面した。
フェイとの会話を忘れるわけがない。そのときなんと答えたのかも、彼女の表情や言葉も、一言一句全てをよく覚えている。
リタの返事に、フェイは嬉しそうに頷いた。
「そうそう。あのときリタちゃん、『フェイ先輩が憧れです! 一生ついていきます!』って言ってくれたよねぇ」
「もぉー! 恥ずかしいですよぉ……」
火を吹きそうなほど真っ赤な顔を両手で覆うリタを見て、フェイはクスクスと楽しそうに笑う。
あのとき言った言葉に嘘はないし冗談でもないのだが、それ故に猛烈に恥ずかしい。
出来ることなら忘れ去ってくれて欲しかったのだが、きちんと覚えてくれていたことが嬉しい自分も居て、リタはもうどうしていいか分からない。
「ねぇリタちゃん。まだ、私についてきてくれる?」
「えっ?」
不意に、フェイはそう真面目な声でリタに問うた。
「も、もちろんです! 先輩に一生ついていきますし、先輩のためならなんだって!」
そう言うリタを、フェイは思い切り抱き締めた。
困惑し身をこわばらせるリタに、フェイは言う。
「ごめんねぇ……あなたにこんなお願い、本当はしたくなかった。でも、あなたしかいないんだ」
一呼吸置いて、フェイは耳許で申し訳無さそうに囁いた。
「私のお願い、聞いてくれる?」
リタは、何も言わずに頷いた。
フェイは一層リタを強く抱き締めると、その手に一枚の紙切れを握らせて、また口を開いた。
「もし私が死んだら、一年後にこれをアラタ君に渡して、助けてあげて。
きっと彼は優しいから……良いように扱われて、騙されて、ボロボロになる。
だからあの子を守って、どうしようもなくなったら、その時はあなたの手で終わらせてあげて。
きっとそうなる頃には、私はもういない。バッファローレイクの教会墓地に、名前だけが残される。
私の意志は、きっとそこには残されないから」
今まで強いところしか見せてこなかったフェイの、祈りにも似たあまりにも弱々しいその声に、リタは面食らって言葉が出ない。
渡された紙を握り締め、リタはフェイの背に腕を回した。
悲しくはない。痛みもない。
なのに涙が滲むのは、一体どうしてなのだろうか……。
フェイが最後の任務に発ったのは、二日後のことだった。
*
「……はぁ?」
体温を奪う乾いた風が、リタの肌を容赦無く掠めていく。
髪が乱れる。コートが揺れる。強風が目に染みる。だが、それら全てを忘れるほど、リタは激しい怒りを覚えていた。
プレーリー州バッファローレイク近郊、サン・フレデリコ教会。
リタは、その墓地に立っていた。
その眼前には、フェイの墓標がある。
リタは震える手でバックの中からファイルを取り出し、綴じられたフェイ直筆の紙切れと墓石に刻印された文字とを見比べる。
墓石に刻まれた文字は『emocracy iberty eace』。だが、今リタの手元にある紙切れには、全く異なる文字が残されていた。
on't isten rime minister
この文字列が何を意味するのか、それはリタにはわからないし、彼女自身知るつもりも毛頭ない。
大いに癪だが、この言葉はフェイがアラタに残した遺言だ。自分が知るべきものではないと、リタは重々承知していた。
リタに任されたのは、正しいタイミングで正しい物を正しい人物に届けること。
それさえできれば、フェイの意志さえアラタに渡れば、それで良かった。だが、
「あなたの懸念通りになりましたよ、フェイさん」
彼女の残したかった意志は捻じ曲げられ、偽られてしまった。
ここにアラタはいない。彼はリタが手渡された紙切れの存在を知らない。
彼にとっては、これがフェイの残した意志だ。
「伝えなくちゃ……」
その時、不意にスマホから着信音が鳴り響いた。
相手は『学園』の理事長室。
フェイの命日まで、一週間を切っていた。
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