第五章 ルシフェルの巣
第二十四話 凍土
アラタがジェームズと共に姿をくらませたその日、政界は重要な局面を迎えていた。
――巨人、倒れる。
アダムス総統が官邸内で突如発作を起こして意識を喪失、セントラルシティ中央病院に緊急搬送されたのだ。
政治的混乱を避けるため総統権限は即座に首相であるスタンフィールド立法院総裁が代行することが決定。国内の動揺を防ぐため、情報統制が敷かれ始めた。
「……くっそ、繋がらない」
アダムス総統が搬送された中央病院の中庭。リタは吐き捨てるように呟くと、耳からスマホを離して画面を見た。
アラタと連絡が取れなくなって、もう半日以上が経過した。
北部にいるルカとももう随分音信不通が続いている現状を考えると、どうしても二つの事象に関連性があるのではと疑ってしまう。
「怪しいのは『警備局』と『セラフィムの意志』だな。劣勢の『中央』に、プレーリーまで手を伸ばせる余裕はない。と、思う」
水色の病衣を着てベンチに腰掛けるネリが、顎に手をやりながらそう口を開く。スマホをポケットに仕舞ったリタは、その隣に腰掛けた。
ネリがこの病院に転院して数日。リタはそんな彼の護衛をする傍ら、ついでに病院の警備も任されている。
「心配か?」
「そりゃあ当然。あの人には、まだ死なれちゃ困るっスから」
然るべきときが訪れた際、アラタを始末するのが自分の役目だ。
それまであの人の身を守り、フェイの死後一年の後に、彼女に託された遺言を伝える。
そのときまで、彼に死んでもらっては困るのだ。
「なら、行ってきなよ」
「え?」
缶コーラを一息にあおってあっさりそう言うネリに、リタは思わず聞き返した。
ネリはリタの肩に手を置いて、真面目な顔で頷いた。
「俺のことは大丈夫だ。警備のことも、副会長に言ってなんとかしてもらう。だからお前は、一度プレーリーに行って確かめてきなよ」
「本当に良いんスか?」
「男に二言はないぜ。二人揃って帰って来るの、ここで待ってる」
ニッと笑ってサムズアップするネリに、リタは大きく頷いた。
「……わかった。ありがとう」
リタは立ち上がると、振り返る事なくバス停に向かった。
*
停車した黒いバンから降りると、そこは雪国だった。
芯から凍えるような気温に、髪をなぶる強風。
皮膚は瞬く間に収縮して鳥肌が立ち、吐く息は白く指先が震える。
一年ぶりだというのに、この湖畔の永久凍土がひどく懐かしいように感じた。
五大湖南岸――ノース・アルトベルゼ直轄州と呼ばれるこの大地から一年前フェイは湖を渡り、その後をアラタも追った。
自らの人生を変えた因縁の地。その日が近いことも相まって、どこか運命的なものさえ感じる。
「懐かしいですか?」
アラタは素直に頷くと、口を開いた。
「あの日もこんなだった、よく覚えてる。なんなら今ここで昔話を聞かせてやってもいいぜ?」
目にした家の屋根色や配置、林立する針葉樹の形、波打つ湖面の荒々しさ……その全てをアラタは覚えているし、きっと忘れない。
最後に握ったあの手の温もりも、拳銃の冷たさも、深々と記憶に刻み込まれている。
「後でゆっくり聞かせて下さい。ここは寒すぎます。さ、建物はすぐ近くです。こちらへ」
そうやって促すジェームズと運転手にまた頷くと、アラタは雪を踏みしめた。
件の建物には、五分と経たずにたどり着いた。
豪雪の田舎町には不似合いの、城塞のように巨大な豪邸だ。
立派な門の前にはライフルで武装した警備員が二人立ち、塀の向こうから覗く警備塔内にも衛兵の姿が見える。
この北方の地にこんな大層な代物を持てる人物は、アラタの知る限り一人しかいない。
三人の姿を見留めて、警備員がぎぃと音を立てつつ門を開く。
その向こうに、一人の青年が立っていた。
銀世界でも目立つ黄色い防寒着に身を包んだ褐色肌の若い男。アラタは彼を、良く知っている。
「久しぶりだな、トーマス。痩せたんじゃないのか?」
門をくぐって彼に近づき、アラタはそう笑って肩を叩く。
トーマスは、気まずそうな笑みを浮かべて頷いた。
「おう、久しぶり。……それじゃ、行こか。理事長が待ってはるわ」
「ジェームズは?」
「あいつにはまだ仕事があるんや。案内は俺がするわ」
「一人で大丈夫か?」
わざと挑発するような口調で、アラタはそう先を行くトーマスに問い掛けた。
トーマスはぴたりと足を止めると、引きつった笑みを作って振り返る。
「そん時は刺し違えたるわ」
「お前に出来るか?」
「舐めんなアホ。お前なんか今すぐにでも殺せるわ」
「なら殺せよ。今までお前がやってきたように。得意なんだろ?」
アラタは両手を広げてそう煽る。
トーマスは眉間にしわを寄せ、苦虫を噛み潰したような顔をして、静かに前へと向き直った。
「雑談は終わりや。来い」
「……臆病モンがよ」
アラタはそう吐き捨て、その背を追った。
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