第二十六話 鬼蜘蛛

 館の主――ドナルド・アーヴィング“元”理事長は、応接室で一人優雅に葉巻を喫していた。

 紫煙の臭いが鼻を突く。

 トーマスの案内で部屋に通されたアラタは、思わず眉根を寄せた。


「煙は嫌いかね?」

「葉巻に罪はありません。客を通す部屋で吸っているのが気になるだけです」


 アラタの不遜な態度を咎めようとしたトーマスを、ドナルドはさっと手で制して退室を促す。

 不承不承といった様子で廊下へでていく彼を見送って、ドナルドは葉巻を灰皿に押しあて火を消しソファーに腰掛けた。


「君もそこに座りなさい。色々と説明はしてやるから」

「納得できる説明であることを祈ります」


 そう言って対面するように向かいのソファーに腰を下ろしたアラタを、ドナルドは含み笑いをしながら見る。


「祈る、か……『学園』を作った当初から、私は生徒らに特定の宗教を信仰しないよう指導してきた。

 信心はときに任務をも優越する。それが多神教であれ一神教であれ無神論であれ、な。だから私は君達を、無宗教徒として育てた。結局は失敗だったがな」


 自嘲気味に苦笑して、ドナルドは続けた。


「人間の感情やらなにやらを完璧に制御することなど不可能だ。

 ある程度の大枠に沿うように誘導はできても、百パーセントこちらの望むとおりに動き、それを繰り返し再現など到底出来ることではない。

 ……彼女を除いて、な」

「フェイ・リー」


 アラタの呟きに、ドナルドは「そうだ」と頷いた。


「彼女は本当の意味で完璧だった。少なくとも私の目にはそう見えた。

 こちらの望むような成果を全て百パーセントこなし、ときにはそれすら上回る結果を持ち帰ってくることもあった。

 完璧で、従順で、優秀で――まさに天使のような奴だったよ。

 神の使いとして常に最善を取り続ける存在。

 人類に祝福を告げ、或いは神の代理として天罰を下し、見守り、律し、導き、突き放し、生かし、殺す。全て神の命ずるままに」


 アラタは鋭い目つきでドナルドを睨む。

 生まれたときからよく知るこの男が、今はひどく傲慢で愚かに思えた。


「ご自分が神の如き存在だと?」


 アラタの問いを、ドナルドは「まさか」と一笑する。


「私はしがない中間管理職、それも元に過ぎない。今はこの凍てつく北方の別荘で引きこもっている、なんの力も持たない老人さ」

「あれだけの数の私兵を有して何を仰る。『セラフィムの意志』は、貴方の“武器”でしょう?

 今までの事件には、全て貴方が裏にいた」


 ドナルドは笑みを浮かべたまま頷いた。


「まぁ、そうなる。全部、私の描いたシナリオ通りだ。――学生の頃はこれでも演劇部にいてね

 ジェームズに君を襲わせた件。キャンパス襲撃。『セラフィムの意志』のメンバーリスト。『ダックハント』の秘密ファイル。

 演説会場襲撃も、『中央』と『警備局』を共倒れにするための作戦だ。あぁ、それから、今の理事長も『セラフィムの意志』の秘密メンバーだぞ。

 リストには乗っていないが、私が裏から根回しした。閣下の身の回りの側近連中にも、メンバーを潜ませているからな」

「なら、あの喫茶店での襲撃事件も、自作自演だったと?」


 ドナルドの眉がピクリと動く。潮が引くように表情が消える。

 どうやら、そうでは無いらしい。

 ドナルドは深いため息をつくと、どっかりと背もたれに身を委ね、天井を仰ぎ見た。


「彼は、いいやつだった。仲間だった。友人だった。上手く行けば名誉も立場も取り戻せた。

 ……だが、彼は死んだ。そんなチンケな物よりも、もっと大切なものを守るために」

「それが、ジェシー・ブラウン」

「そう。彼の唯一の肉親でもある孫娘。案の定『中央』は彼女の命を狙って遠い北グルベまで手を伸ばしてきた。

 ジョンがそれに対応したのは君も知ってのとおりだね」


 そう言い終えて、ドナルドはまた大きく息を吐いた。

 部屋に静寂が広がる。ふと、アラタは気になっていたことを口にした。


「バッファローレイクの教会で、あなたと民主派の関係を知りました。彼らを今後、貴方はどうされるおつもりで?」


 ドナルドは顎に手をやって考える素振りを見せると、アラタをしっかりと見留めて言った。


「私は、現政権の体制をそのまま維持したい。それだけだ」


 直後、ドナルドのポケットから携帯の着信音が鳴り響く。

 ドナルドはそれに出て二、三言葉を交わすと立ち上がり、口を開いた。


「ついてきなさい。見せたいものがある」

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