第二話 放課後

 授業も終わり、学生の多くがクラブ活動なりボランティアなり、家路につくなりしている金曜日の午後四時頃、アラタは高校の生徒会室で一人考え事をしていた。

 表向き、アラタはこの学校で生徒会長を務めている。

 文武両道かつ品行方正であることに加え、近年のこの国のトレンドである「マイノリティへの配慮」とやらのお陰で、ほぼ全会一致で東洋系人種の彼が選ばれた。

 アラタに票を入れなかった学生も、その理由といえば単にその日学校を病欠していたからや友人が立候補しているからなどという理由で、人種的要因を投票理由にするものはいても、それを理由に投票しなかったものはほとんどいないだろう。


 アルトベルゼは移民の国だ。

 かつて肌の白い西洋人が、大航海時代の流れに乗って各地に熱心な入植活動を繰り広げ、『文明化』の名のもとに在来文化の破壊と上書きをしていった。

 その時代の子孫達が、およそ二百年前に武器を取り宗主国に立ち向かい、この国を建国した。

 国家の多数派を占めるのは、この地に最初に入植を果たした『第一入植者ファースト』の西洋人と、彼らにつれてこられた『第二入植者セカンド』の黒褐色肌の南洋人だ。

 東洋人は、アルトベルゼ独立後に移民してきた『第三入植者サード』と呼ばれ、独立戦争に何ら貢献していない癖に先人達のおこぼれにあずかろうとする達だ、と蔑まれている。

 年々急激に増えつつある東洋移民の人口と、そのコミュニティの拡大が『第一入植者』達の危機感を刺激しているというのも、その理由の一つだろう。

 後からやってきた、安価で大量の東洋移民労働力が市場を席巻し、いずれ我らの先祖が血を流して作ったアルトベルゼを乗っ取ってしまう。そう語る保守派層も依然としてこの国では有力だ。


 移民コミュニティ同士の対立は、かつて植民地だった国家では良くあることで、時には激しい内紛や内戦、虐殺ジェノサイドが起きることも珍しくない。

 実際この国も、建国以来数え切れないほどの人種間紛争を繰り広げてきた歴史がある。

 先住民ネイティブとの対立、他人種コミュニティの迫害、他国を巻き込んだ移民同士の地獄の内戦。

 アルトベルゼの大地を掘れば赤く湿った土が出る、と言われるほど、この国は二百年という短期間の内に身内同士で凄惨な殺し合いを繰り返してきた。

 そんな、いつ大爆発を起こすかも分からない火種を抱えたこの国がこの三十年、ただの一度も内戦じみた流血沙汰を起こしていないのは、ひとえに現在の独裁体制による政治指導の賜物だろう。


 アルトベルゼ諸州連邦第四十代連邦府統一総統国家元首アレックス・アダムス。

 陸軍准将だった彼が三十年前にクーデターによって当時の政権を倒してから、この国は少なくとも表面上は人種対立を気にすることなく、経済発展に全力を注ぐことができている。

 だが、その対立の芽を地表に出る前に潰し、反人種差別主義がトレンドになるよう仕向けているのが、アラン達のような学生工作員であることを知るものは多くない。

 ましてやそんな存在が、二代に渡ってこの学校の生徒会長を務め、それが『学園』の生徒会長も兼務しているなどということは、表の世界を生きる人々は決して知り得ることのないことだ。

 それを知るのは、政府の中枢にいる人間や、学園の教師陣、そして、


「かいちょー! 焼きそばパン買って来ましたっス!!」


 同じ学校に潜伏する、『学園』の生徒のみ。

 ビニール袋を片手に騒々しく生徒会室に乱入してきた一つ下の後輩に、アラタは小さくため息をついた。


「リタ、ちょっとそこ座りなさい」

「はいっス!」

「うるさい」


 アラタは目の前の椅子に腰掛けた、栗色のポニーテールをした、背の高い青い瞳の後輩の脳天に、軽く手刀を食らわした。


「あだっ。かいちょーこれパワハラっスよ!!」

「ならお前のやかましいその声はボイスハラスメントだ! そのうち俺の鼓膜が耐えきれずに弾け飛ぶぞ!?」

「私の声で弾けるような鼓膜なんて元々欠陥品なんスよ! それメーカー保証ついてないんスか? レシートは?」

「あるわけねぇだろ!!」


 ドアの向こうの廊下から、クスクス笑う声とともに通り過ぎていく生徒の足音が聞こえ、二人はようやく言い争いをやめた。


「もぉ、せっかくかいちょーが一昨日の件で悩んでるみたいだから、気を使って購買まで買いに行ってあげたのに。あ、これレシートです。代金は電子でも大丈夫っスよ」

「金取んのかよ」


 アラタはポケットからスマホを取り出し、代金分の電子マネーをリタに送信してから袋の焼きそばパンを手に取った。

 人種的には祖国に当たる極東の国の食べ物だが、若者の間では案外人気で、近年は学校の購買を中心に広がりを見せている。

 普段の昼はフィッシュバーガーかマッケンチーズ派のアラタだが、焼きそばパンも嫌いではない。それに今の時間は、昼と言うには遅すぎる。

 アラタは自分の机に焼きそばパンを置き直してから、電気ケトルで水を沸かしてコーヒーを二人分れ始めた。


「お前ミルクもシュガーも二杯ずつだったな?」

「そうっス! ありがとうございます!!」

「はいよ」


 二人分のコーヒーをそれぞれのマグカップに注いで、アラタは一つをリタの元へ、もう一つを自分の手元においてまた席についた。

 真っ黒なブラックコーヒーの香りが、疲れてきた頭に染み渡る。

 元はアラタも、パンケーキが焼けるぐらいに甘いコーヒーが好きだったが、どこかの誰かに格好つけたいが為にブラックを飲むようになってからは、すっかりこちら側の人間になってしまった。


「かいちょーって、よくそんな苦いの飲めるっスよねぇ……」

「先代のお陰だな。お前も会長になりたいなら、ブラックを飲めるように頑張るこった」

「私は因習を破壊するタイプの会長になりたいので却下で」

「あっそ」


 一口コーヒーを飲んでマグを置き、アラタは焼きそばパンのビニール包装を手で破くと、中に挟まっていた小さく折り畳まれた紙切れを取り出した。


『98%』


 パンをかじりながら紙を開くと、中にはボールペンでただ一言、そう書き残されていた。アラタは口の中をコーヒーで押し流すと、また小さくため息をこぼして、リタにも紙を見せてやった。


「ま、大方予想通りだったな」

「てことはやっぱりあの人、前会長の……でもかいちょーは知らなかったんっスよね?」

「ああ。一ミクロンもな」


 紙切れの中身は、政府機関が送ってきたDNA鑑定の結果だった。

 先日アラタを襲った、ジェームズ・F・リーを名乗る少年。アラタの先輩であったフェイの弟を自称していたが、それが事実だと確定したのだ。

 確かに顔も似ていたし、こちらへ向けられた殺意の理由も、彼女の身内だとすれば十分に納得がいく。

 姉の仇とサシ一対一でやり合う為に場を整えたと考えれば、あの回りくどさも道理だろう。だが、


「申告が正しいのなら、奴はまだ十五歳。あの運動能力といい、現場の工作といい、ちょっと不自然だろ?」

「でも、取り調べには素直に応じてるんっスよね? 嘘を言ってる様子もないって」


 アラタは難しそうな顔で頷いた。

 今朝方『学園』からもたらされた情報によると、ジェームズが証言したのは主に三点。


 一つ、自身はフェイ・リーの実弟であり、仇討ちのために本件を計画した。

 一つ、自身は中部プレーリー州の教会に捨てられ、十歳で五大湖近くの国境の町の医者夫婦に引き取られたのち、今は隣国キルグーシの密偵とやり取りをしている。

 一つ、今回の件はその密偵からの依頼で、情報提供者との橋渡し役を務める事になり、その立場を復讐に利用した。


 事実、ジェームズの証言通り彼の育った国境の町にキルグーシの密偵が潜伏していることと、セントラルシティ市内で内通していた公務員の存在が確認され、昨日の夜半にはどちらも身柄を拘束された。

 アルトベルゼからキルグーシに亡命し、そこで追手に命を奪われた姉を持つジェームズからすれば、キルグーシと通じて復讐の糸口を……と言うのは大して違和感のない話ではある。

 それに、拘束後に自分の全てを洗いざらいぶちまけるように話すのも、保身のために情報提供者としての自分の価値をアルトベルゼにプレゼンしているようにも見え、それもまた自然に思える。

 だが、アラタにはどこか釈然としない思いがあった。


「なんか、気に食わないことでもあるって顔してるっスね?」

「ああ、気に食わない。なーんかモヤモヤするんだよなぁ」


 不可解な点は探せばキリがないだろう。

 どこであれだけの熟達した戦闘スタイルを身に着けたのか、どうやって密偵と子どもの彼が信頼関係を結んだのか……


(何故奴は俺が先輩殺害の実行犯だと知っている? 何故奴は当日俺があの場に来ることを知っていた? そもそも俺をどこで知った?)


 謎が謎を呼んでいる今の状況で、頭がこんがらがってきそうになる。アラタは一息でマグカップを空にすると、力無く天井を仰ぎ見た。

 頭がひどく重い。今目を閉じればストンと寝入ってしまいそうだ。


「大丈夫っスか?」

「大丈夫に見えるか?」

「まぁ無理っスよねぇ……なんだったら家まで送りましょうか?」

「遠慮しとく。今日は帰りに寄るところがあんだよ」


 わからないことは、本人に直接尋ねて見るしかない。

 アラタは質問を纏めた手帳をパラパラとめくると、それをカバンの中に押し込んだ。


「お前も来るか? ジェームズ・F・リーのとこ」

「はい! 暇っスから!!」


 二人は部屋を一通り片付け終わると、揃って学校を後にした。

 ジェームズが拘束されている『学園』施設へ向かう道中のバスの中、アラタは沈みゆく夕日をぼんやりと見つめていた。


(先輩は、市内のスラムで生まれたと言っていた……親はみっつの頃に事故死して、そこを政府に引き取られた、と)


 彼女との思い出が、次々脳裏に浮かんでは消えていく。


(ジェームズ・F・リー。お前は一体、何者だ?)


 アラタは吊り革を、持てるだけの力一杯に握りしめた。


(先輩。あなたは一体……何者だ?)


 バスが目的の停留所に停車する。アラタとリタは、二人揃って降車した。

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