第二十話 神父、理事長、墓標

『学園』の新たな理事長となったスティーブ・ヴァルトシュタイン中将は、セントラルシティ市内に林立するビルの地下に設けられた隠しオフィスにいた。

 理事長室。『学園』内ではその名で呼ばれる司令本部には、理事長を含め限られた人間以外は足を踏み入れることはおろか、何処にあるのかすら知ることは許されない。


「かのドナルド・アーヴィングもここから学生達に指示を出し、この国を操っていたんだな」


 資料がびっしり収められた棚と、簡素な応接用のソファーと長テーブルがある他は理事長の席があるだけの、決して広いとは言えない空間。

 それでもヴァルトシュタインは、どこか不思議な高揚感を覚えていた。

 総統からの絶大な信頼と、それに見合うだけの実力と忠誠心を持ち、この国で並ぶもの無しとまで言われた『学園』。

 今でこそ衰退著しい組織だが、この先いくらでも巻き返しの機会はあるし、作ることが出来ると、彼は心の底から思っていた。


(『学園』の実力とコネクションは、未だ衰えていない。上手く使えば、私も総統になれる……)


 上が何を思って自身をこのポストに選んだか、ヴァルトシュタインは重々承知の上だった。

 対立する『警備局』のロックと『中央』のウィルソン。二人のバランサーとして、ベテランで二人と親交がありながら、地味で政治欲の薄そうな彼が選ばれた。

 それが、彼の策略であるとも知らずに。


(能ある鷹の隠した爪、今に見せてやろう)


 ヴァルトシュタインは理事長席に着くと、内ポケットから葉巻を取り出し、火を点け一服し始めた。

 西の教会宛に送った親書は、果たしてちゃんと届いただろうか。それだけが、今は気掛かりだった。



 *



 エレノアに連れられて、アラタは建物のすぐ裏手、広々とした墓所に出た。

 なだらかな平野に立ち並ぶ無数の墓石や墓標はいずれも良く手入れされ、墓参りに来た人の姿もちらほらと見受けられる。

 年齢層はまちまちだが、四、五十代ぐらいの壮年の夫婦が多いように思われた。


「この墓地に眠る人々は、多くが民主化運動の最中に命を落とした若者達なのです」


 不意に、背後からそう声をかけられた。

 不思議な安心感を覚える低い声。アラタは体ごと振り返り、声の主の方を見た。


「はじめまして、お話は前の理事長や彼から良く聞いていますよ。

 私はウェイン・ホワイト。この教会で神父を務めています。よろしく」


 口元には柔らかな微笑みを携え、同時に鋭い目つきで品定めするようにアラタを見つめるその神父は、そう言ってしわくちゃな左の手のひらを差し出した。

 恰幅の良い、がっしりとした印象を受ける老年の大男。

 真っ黒な祭服の中に仕舞われた右手と軽く引かれた顎、かすかに後ろへずらされた左足が、彼がどれだけ用心深く一筋縄ではいかない男かということを物語っている。

 アラタは生唾を飲み下すと、静かにその手を取って口を開いた。


「はじめまして、『学園』の生徒会長を務めております、アラタ・L・シラミネと申します。

 先日新たに理事長に就任したヴァルトシュタインから親書を預かっております。どうぞお収めください」


 アラタはそう言って手を離すと、懐から封蝋のなされた白い封筒を取り出し、ホワイトに渡す。

 ホワイトは左手でそれを受け取り宛名を確認すると、初めて右手を服の中から取り出し、封を開けて手紙に目を通した。


「……確かに、確認させてもらいました。

 返事を書くのには少し時間が掛かります、どうぞしばらくの間ここに泊まっていって下さい。部屋も後ほど用意させますから」


 手紙を懐に仕舞い込み、顔を上げたホワイトは、相変わらずの口元だけの微笑を浮かべてそう言った。

 嫌とは言わせない。そんな強い意志を感じさせる、強烈な視線と共に。


「神父様、ありがとうございます。是非ともそうさせていただきます。バディもそれでいいな?」

「うん、そうしようか。神父様、お心遣い感謝します」


 もとより日帰り出来るとは思っていない。丁度教会の内情を探りたいところだったので、アラタとしても好都合だ。


(それに、この男がどういう人物か見定める必要もあるしな)


 二人の返事に、ホワイトは満足そうに頷いた。


「さて、それじゃあ今日の夕食はとびきり豪華なのを作ってもらわなくてはいけませんね。

 ジョン君、申し訳ないのだけれどシスターにそう伝えてきてはくれませんか?」


 ホワイトはにこやかにそうエレノアに告げる。

 明らかな人払い。だが、今のところ彼がこちら側をどうこうする理由はない。


「ええ、分かりました」


 エレノアはそう頷くと、ちらりとアラタにアイコンタクトを送って建物の中に入っていった。

 墓場には、ホワイトとアラタの二人だけが残っている。


「人払いと言うのは、少し嫌なものですね」


 ホワイトはため息をつくようにそう呟くと、視線を墓地へと移した。


「アラタ君、あなたに一つ謝らなくてはいけません。私はあなたを……いえ、あなたを警戒していました。

 不快に思われたでしょう、どうか許して下さい。我々も自らの身を守るのに必死なのです」


 視線をアラタに戻した神父は、そう言って深々と頭を下げる。

 突然のことで言葉を失ったアラタに、ホワイトは畳み掛けるように告げた。


「あなたがどれだけ誠実な人かは、フェイさんから良く聞いています。あなたなら、きっと力になってくれる、と」

「えっ?」


 アラタはそう、思わず声を漏らした。

 フェイがこの教会と関係を持っていた。それも、口振りからして相当肩入れをしていたらしい事実に、アラタはただ身をこわばらせて驚くほかない。


「先輩が、この教会に?」


 やっと喉から絞り出したその言葉に、ホワイトは頷く。


「ええ、彼女が十六になる年から亡くなられるまでの三年ほど、半年に一度来られていましたよ。

 当時のフェイさんは『学園』と我々とのパイプ役兼お目付けのような立場でした。

 我々が匿っている青年達から妹のように可愛がられて、かと思えば孤児院の子ども達には『お姉さん、お姉さん』と、良く慕われていましてね。

 ……彼女が生きていれば、どれだけ良かったことか」


 ホワイトは思い出を噛み締めるように、しみじみとそう遠い所を見るような目で語っていたが、やがて視線をアラタに戻してこう言った。


「我々の良き友人たるフェイさんからの遺言です。あなたに、見せなくてはいけないものがあります。どうぞ、こちらへ」


 ホワイトはゆっくりと墓標と墓標の間の小路を歩いていく。その背を、しばし遅れてアラタも追った。


 鮮やかなだいだい色の夕日が、段々と地平線に吸い込まれていく。

 その残り香のような眩しい光に墓場が照らされ始めた頃、ホワイトは一つの墓石の前で立ち止まった。


「こちらです」


 まだここに一年も立っていないだろう、目新しく、良く手入れされた綺麗な墓標。周りには、無数の花や菓子類が供えられている。

 墓前に立ったアラタは、その刻印を目にして思わず膝から崩れ落ちた。


「なん、で……?」


   Fayeフェイ Leeリー 2001〜2019

   emocracy iberty eace


 アラタの目の前には、その亡骸を五大湖に沈めたはずのフェイの墓が、ただ静かに佇んでいた。

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