第九話 風紀委員
放課後、基本的にいつでも生徒会室に入り浸っていたフェイの姿が見えなかった時、彼女は大抵校内のいつもの広場か街のゲームセンターにいた。
店内の奥の奥。
何十年も昔の、もう誰もプレイしなくなったインベーダーゲームを一人占めにして、シェーキを傍らに食い入るように画面を見つめながら猫背になってコントローラを握っているフェイの後ろ姿を、アラタは今でもありありと思い出せる。
工作員にあるまじき過集中で次々にステージを攻略していく彼女の横顔は、その界隈で生きたほうが良かったのではないかと感じるほどに生き生きとしていて、そんな姿を隣の椅子から眺めているのが、アラタは好きだった。
今、そのゲーム機の前には、別の人物が座っている。
「トーマス、調子は?」
「ぼちぼちやね。昨日のが調子良かったわ」
黄色のパーカーを着た、黒い
トーマス・ジャドキンズ。アラタと同い年の『学生』で、生徒会のメンバーでもある。
役職は風紀委員長と会計委員長の兼任。敵性勢力に内応している、またはその可能性がある学生や教職員の粛清と、生徒会費の管理がその主な仕事だ。
役職柄、学園内外の事情や動向に詳しく、また『中央』に務める恋人を起点とした独自の情報網も有している。頼れる友人の一人だ。
「事情は粗方知っとるで。お前に言われた資料もここにある。
ほんま、損な役ばっかりさせられるな、英雄サンは」
トーマスは足元においてあったリュックサックのポケットから一つのUSBメモリをつまみ出すと、画面を見つめたままアラタの方に投げてよこした。
アラタはそれを右手でしっかり受け取ると、カバンの中にしまい込んだ。
「それだけ理事長は俺のことを評価してくれてるってことだ。サンキュ」
「評価、なぁ……言うとくけど、世の中は命あっての物種なんやからな? 変なことに巻き込まれんように立ち回るのも、上手く生きるコツやで。
厄介なことには首突っ込むな、関わるな、無駄な正義感は拗らせるな。もしお前がなんかやらかしたら、“始末”するのは俺とかリタなんやからな」
画面に向き合ったまま、ため息交じりにそう言うトーマスに、アラタは苦笑しながら返した。
「知ってるよ。リタの先任は俺だ」
アラタは元々、風紀委員の一人だった。
フェイの始末人に彼が選ばれたのは、実力や身辺を良く知る者だったことに加え、そういった役についていたからでもある。
アラタの生徒会長昇進によって空いた風紀委員の席に今座っているのはリタだ。
もしアラタが何かをしでかした際、かつてアラタがそうした様に彼女も引き金を引き、彼の眉間に風穴を開ける役目を負うだろう。
そうすれば、また同様に空いた会長席にはリタが座る。
もっとも、今のところアラタには変な気を起こすつもりなどさらさら無いし、その頃まで学園が無事に存続しているかも不透明ではあるのだが。
「アラタ、今晩はどーする? もしあれやったら久々にオンラインで
トーマスがそう口を開いたときには、アラタはカバンを肩に掛けて席を立っていた。
西日が店の外を包んでいる。隠れてゲームセンターに来ていたことがバレでもしたら、きっとリタには怒られるだろう。
「悪いけど今日はパス。お前にもらったのを読まなくちゃならんからな」
アラタはトーマスに背を向けて、出口の方に歩いていった。
今日は生徒会の仕事を、仮病を使って休んでいるのだ。もし偶然リタに見つかりでもしたらと思うと、考えるのも億劫になる。
「おい! いっこ忠告や。これ以上『セラフィムの意志』には関わるな。長生きしたいんやったらな」
「……人間、死ぬときは死ぬ。後悔するのはもう御免だ」
アラタは店を出ると、足早に家路についた。
*
アラタの家は、住宅街の隅にあるごく普通のアパートの一室だった。
この国では、地方出身の学生が都市部の高校や大学に通う為に借家で一人暮らしをしたり、学生寮に下宿したりすることが良く行われている。
アダムス政権発足からおよそ三十年。急速に発展したアルトベルゼの国内だが、未だに都市部と地方の格差は激しい。
地方の地主や富裕層は少しでも我が子が都会で良い職にありつけるよう、早いところで義務教育の段階から都市部の学校に『国内留学』させるのだ。
そういった事情もあり、アラタ達『学生』は大家や近隣住民に怪しまれることなく街に溶け込んでいる。
アラタは狭く無機質なワンルームの我が家に帰るなり、すぐにパソコンを開くとUSBメモリを突き刺し中身を読み込む作業に移った。
アラタの部屋には、彼が生きていく上で必要になる最低限の物以外置かれていない。
床面にはカーペット一枚敷かれていないフローリングが広がり、真っ白な壁に四方を囲まれ、申し訳程度につけられた窓には外から覗かれることを防ぐ暗色のカーテンが掛けられている。
家具の数もごく僅かだ。折りたたみ式のテーブルと一人分の椅子にベッドとノートパソコンがある他には、備え付けのクローゼットと本棚があるのみ。
良く言えばシンプル、言葉を選ばずに言うなら殺風景なその空間が、アラタが唯一完全に自由な世界だった。
この空間にある物だけは、全てアラタの意思によって集められ、存在している。そこに他の誰の意思も、命令も、指示も介在することは無い。
ただ、一冊の本を除いては。
“ジャック・グレイ”と題された古びたその伝記の内容は、この国に住まう者なら誰もが良く知っている。
かつてこの国が大帝国によって植民地として支配されていた時代にピリオドを打った英雄ジャック・グレイ。
たった五名の仲間だけを引き連れ、後にセントラルシティと呼ばれることになるアルトベルゼ副王都ニュー・ハイランドの武器庫を襲撃。支配下に置かれていた人々に燃えたぎる勇気と力を与えた。
独立戦争の最中、彼は不運にも流れ弾を胸に受け命を落とすが、その意志を多くの仲間達が受け継ぐことで、アルトベルゼはかつての支配者を海の外へ叩き出し、ついに自由を手に入れる。
そんな、どこの国にもありがちな、真偽すら定かではない当時の為政者達が作り出した
アラタの誕生日のプレゼントに、と、この本を空っぽの本棚に置いていった彼女の真意は今でも理解出来ないし、今後もきっと理解出来ないままだろう。
だが、それを断捨離と称して捨てる気にどうしてもなれないでいるのは、きっとこの本が消え物しかくれなかったフェイが唯一残してくれた形見の品だからに違いない。
そんな、この世でもっとも大切な物の入った本棚を横目に、アラタはパソコンの液晶画面に映し出された文章に目を落とした。
内容は大きく二つ。
一つは『セラフィムの意志』のメンバー、及びそう推定される人物計二八六名のリスト。
もう一つは、この組織が連邦北部の五大湖沿岸地域――アルトベルゼ・キルグーシ国境地帯――を拠点とする反体制過激派グループの傘下らしいということ。
アラタはそれに目を通しながら、『キャンパス』でジェームズが最後に残した言葉を思い出していた。
――アラタさん、取引をしましょう。おれ達と一緒に来てください。あなたは我々『セラフィムの意志』に必要な方だ。
――腐敗した軍部独裁を排し、姉さんの理想を共に実現しましょう。姉さんも、それを望んでいるはずです! さぁ!!
(先輩は、過激派連中と繋がりがあったのか?)
あり得なくはない話だ。
フェイは在学中の三年間で幾度も北部地域での作戦活動に従事し、アルトベルゼ、キルグーシ両国の沿岸地帯に広い人脈を持っていた。
何かしらの潜入任務に就いた際に関わりを持っていても不思議ではない。
それに、『セラフィムの意志』のメンバーはその多くが十代後半から三十代前半の若者達だ。学園内部の人間も、学生、教職員問わずリストの中には多数見受けられる。
飛び抜けて高齢なのは、先日喫茶店を襲撃したマイケル・ブラウンぐらいなものだ。
(やっぱり、あの男も関係者の一人だったか……ったく、ちゃんと見張ってろよな)
「モテる女も困ったもんですね、先輩」
アラタはそう、無意識の内に呟いて苦笑した。
大方この組織は、フェイが構築した『北部人脈』と学園内部の信奉者が、彼女の死で交わり合って作られたのだろう。
組織概要の項目を見ても、『セラフィムの意志』なる存在がまだ確認されてから一年と経っていないことが良くわかる。
これは裏を返せば、たった一年やそこらでこの組織が急速に拡大、成長したことになる。
(まるでウイルスだな、こりゃ)
メンバーリストには、少数ではあるが『湖畔派』の若手将校や政府閣僚、立法院の一年生議員等の姿もちらほらと見受けられた。
今は北部出身の若者や反体制派、学園関係者で占められているこの組織は、いずれ放っておけばねずみ算式に他の組織や政府中枢に感染していくだろう。
そして政権はいずれ、『セラフィムの意志』の下生まれ変わる。旧体制を焼き滅ぼして。
(軍部独裁の打倒、力による政権の交代……それが、先輩の望みなのか?)
彼女とて、この独裁国家の現状を多少は憂慮していただろう。いずれはこの国も自由で平等な民主主義国家に生まれ変わるべきだと思っていたかも知れない。
だが、そんな望みが武力によって達成されると思うほど、愚かではなかっただろうとも思う。
『セラフィムの意志』や、それを率いる北部過激派が狙うのは若手将校や学園関係者達によるクーデターだろう。
クーデターが無事に成ったとして、所詮は独裁者が別の独裁者に入れ替わり、軍部独裁が反体制派独裁になるだけだ。
それでは国は、変わらない。それにそもそも、
「先輩は、そんな高尚な人間じゃねぇっての」
お国の未来より、今日の夕飯の献立の方が大切で、スパイとしての地位やら名声を得ることよりも、インベーダーゲームのスコアをいかに上げるかの方が重要。
それが、アラタの知るフェイ・リーという人だった。
裏で何を考えていたかは分からない。本当は国の未来を憂いていたのかも知れない。
だが、最早彼女はここにはいない。アラタがこの手で殺してしまった。
死者は、語る口を持たない。
生きている者が解釈してやるより他に、その思いを繫いで、伝えてやる術は無いのだ。
(あなたの意志は、一体なんだったんです?)
アラタはふと、本棚の方に目をやった。
ジャック・グレイ。かつてフェイが一言一句覚えるほどに熱中し、今はアラタの物となった形見の一冊。
中を開けば巻の末尾にフェイの字で、彼女がメッセージの最後に必ず書き残す『DLP.』の文字が記されている、あまりにも大切な本。
死者は、何も語らない。アラタは微苦笑を浮かべると、パソコンを閉じてため息をついた。
傍らに置いたスマホをから、着信音が鳴り響く。画面にでかでかと表示された「リタ」の文字から、要件は大体察せられた。
「なんだ?」
『なんだ? じゃないっスよ! 委員長からさっき聞きましたよ、今日仕事サボってゲーセン行ってたっスよね!? 私も行きたかったのに!!』
スマホ越しに聞こえるリタの魂の叫びに、アラタは思わず笑ってしまった。
『ちょー! なに笑ってくれちゃってるんっスかぁ!?』
更に怒りをヒートアップさせるリタに、アラタは笑みを浮かべたまま形だけの謝罪をした。
「わりぃわりぃ。また今度奢ってやるから勘弁してくれ」
その言葉を聞いたリタが機嫌を治したのは、その二秒後のことだった。
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