第四話 キャンパス
「この扉の奥が、自称ジェームズ・F・リー容疑者との面会室になります」
学校から、市内を蛇行するようにバスと地下鉄を交互に乗り継いで二時間半。
市郊外の寂れた雑居ビルに偽装された『学園』の『キャンパス』と呼ばれる出張所の地下室は、『学園』の関与するとせずとに関わらず、拘束した
このような施設は市内にとどまらず国内の至る所に存在し、『学園』と他の諜報機関との緊密な連携に一役買っている。
事前にアラタが来訪することを告げていたからか、施設では既に面会の準備が整っていた。
長く狭い階段を下った先に伸びた廊下の、最奥の壁に作られた扉の前で、二人の案内役を買って出た女性は、二人の方へ向き直って立ち止まる。
少し癖のあるブロンドヘアを長く伸ばした、一見地味そうな雰囲気の彼女は、二日前にあの港湾倉庫でアラタと共に危うく一酸化炭素中毒で死にかけた引率の教師だ。
現役時代は優秀な諜報員だったそうだが、結婚後に一線を退いてからは後進育成のためにかつての古巣であった『学園』に戻ってきたらしい。
右頬や首元に生々しく残る古傷の痕が、彼女が今まで潜ってきた死線の数を物語っている。
そんな歴戦の彼女でさえも死の淵を彷徨ったというのだから、油断というのは恐ろしいものだ。
「ありがとうございます。先生、その、一昨日は……」
「アラタ君、私のことは気にしないで下さい。油断したのは私自身ですから。それに、お礼を言うのはこちらの方ですよ。命を助けて貰ったんですからね」
そう言ってはにかむ彼女の姿を見て、アラタはホッと胸を撫で下ろした。
何事もなさそうで安心した。『学園』の上層部にも先日アラタ自身が口添えしてあるので、この件がきっかけで教師陣の中で彼女が立場を失うようなことも無いだろう。
「リタさんも一緒に入られるんでしたよね? くれぐれも、中ではお静かにお願いしますね」
「……善処するっス」
バツが悪そうにそう呟くリタを引き連れ、アラタは扉の向こうへ足を踏み入れた。
「時間通りの到着ですね、アラタさん。そちらの方は?」
面会室は、鉄筋やら配管やらがむき出しになった殺風景な部屋だった。
中心には折りたたみ式の長テーブルが置かれ、それを挟むように合計三席のパイプ椅子が並べられている。
その内奥の一席には既に目当ての男――ジェームズ・F・リーが、両手を後ろ手に縛られたまま腰掛けていた。
服から露出している傷や包帯の箇所には全て覚えがある。どうやら尋問の過程でどうこうされてはいないようだ。
真偽はともかくとして、双子かと思えるほどにジェームズはフェイと良く似た顔をしている。拷問に掛けられていたのなら、あまりいい気はしなかっただろう。
「こっちは俺の後輩のリタだ。今二年だから、フェイ先輩とも面識がある」
「よろしくっス」
先生からの言いつけを守るため、発言は最小限に留めると決めたらしい。リタは短くそう言って頷くと、我先に席についた。
アラタもそれに続いて席につき、荷物の中からメモ帳とペン、ボイスレコーダーを取り出した。
「確か、おれに質問があるんでしたよね? おれが知っていることなら何だってお教えしますよ。
そのかわりと言ってはなんですが、よろしければおれにも姉さんのことを教えてくれませんか?」
「お? 拘束中だったのに良い度胸してんな。……わかった、時間の許す限り話してやるよ。でもまずは、こっちの質問からだ」
アラタはびっしりと質問すべきことの書かれたメモに一度目を落とし、ボイスレコーダーの電源を入れるとまたジェームズの方へ向き直って口を開いた。
「フェイ先輩と姉弟だって、いつ、どうして気が付いた?」
「気づいたのは、北に越してきて一年が経った頃のことです。姉さんは学園の一年で、五大湖沿岸地域の反体制派の調査任務についていました。
その時に拠点にしていたのがうちの村で、あまりにも顔が良く似ていたというのもあってすぐに仲良くなりました」
「物的証拠は無い訳だ」
「ええ。ですから本当の姉弟だと確信したのはこの前のDNA鑑定の結果を見てからです。
もっとも、それからも頻繁に連絡を取ったり、北部に来たときに会ったりしていたので、情という点では普通の姉弟に見劣りしなかったかと」
静かな、落ち着いた口調で微笑を浮かべながらそう語るジェームズと手元のメモ帳を交互に見ながら、アラタは要点をメモの余白に記していく。
すぐ隣りに座るリタは、じっと微動だにせずジェームズのことを見つめていた。
「……そんなに見つめられると恥ずかしいですね」
「そこは仕事なので我慢してほしいっス」
苦笑しながらそう言うジェームズを、リタはあっさり切り捨てた。
そんなやりとりを横目で見ながら、アラタは次の質問を繰り出した。
「それじゃ、俺の事を知ったのはいつだ?」
その時、部屋の外がにわかに騒がしくなった。
口々に何かを言い合う声や、慌ただしい足音が閉め切られた扉越しに聞こえてくる。
そんな只中、ジェームズは深い笑みを浮かべてアラタの瞳をじっと見た。
(来た、か)
「かいちょー、ちょっと行ってくるっス」
「頼んだ」
中座していくリタを見送ってから、アラタは再びジェームズに向き直った。
「この後の質問は保留しといた方が良さそうだ」
「ええ、そのようです。それでは次はおれから質問しても?」
「約束だからな。なんでも教えるわけにはいかないが、ある程度のことは答える」
ジェームズは満足そうに頷いて、口を開いた。
「姉さんは、どんな人でしたか?」
*
学校を出てからずっと、つけられている気配はあった。
『キャンパス』の職員が慌ただしく走り回る中、リタは落ち着きを払って階段を上り、地上階に出た。
「リタさん、アラタさんは中ですか?」
地上階に出てすぐ、二人を呼びに階下へ降りようとしていただろうブロンドヘアの教師と鉢合わせした。
いつでも武器を取り出せるようジャケットの胸元は開かれ、拳銃とコンバットナイフの納められたホルスター付きのサスペンダーと、防弾チョッキに守られた白いワイシャツが露わになっている。
リタは小さく頷きながら、自身も腰のベルトから拳銃を取り出した。
「はい。かいちょーから頼まれて上がってきたっス。相手の数は?」
「
「わかりました。それじゃバックアップはよろしくお願いするっス」
リタは自動拳銃にサプレッサーを取り付けると、そう言い残して正面玄関に歩いていった。
「一人は必ず生け捕りでお願いしますね!」
教師が思わずそう付け足したときには、リタは既に建物の外に出てしまっていた。
「……さて、私は私の仕事をしましょうか」
リタの背が見えなくなったのを確認して、教師は一人階段を降りていった。
*
胸がすくようなひんやりとした夜の空気。
人通りも車通りもない寂れた郊外の市道を挟んだ向こう側に一人、明らかに異様な雰囲気をまとった男が建物の影に身を隠しながらこちらの様子を窺っている。
黒いニット帽にサングラスとマスクにダウンコート。服装からして明らかに怪しいが、その隙のない佇まいがさらに男の尋常ならざる様子を助長していた。
あたりに誰かが潜んでいる気配はない。本当に一人だけらしい。
(陽動っスか?)
本命は非常出口からの二人だろうか? 目的は恐らくあのジェームズとか言う男だろう。だが、
(ま、先生達だけじゃなくかいちょーが居るから大丈夫っスね)
リタはそう思い直し、一歩前へ踏み出した。
二人の間には障害物の無い開けた空間が広がっている。強いて言うならば、建物の影が
「トーシロっスねぇ……」
日を改めて明るい昼間にでも襲撃をかけてくればよかったものを、こんな人気の無い暗がりではかえって不利になるだけだろうに。
リタはボソリと呟くと、路上に立つ街灯の支柱に向かって発砲した。
制音された控えめな発砲音が響くとほぼ同時に、硬い金属製の支柱に弾が弾かれる金属音がキィンと鳴った。
直後、正面の建物の影に隠れていた男が、道路を挟んでいても聞こえるほどのうめき声を上げ、太ももを抱えてうずくまる。
リタは一気に車道に向かって駆け出すと、男の腹とこめかみに一発ずつ撃ちとどめを刺した。
「跳弾っス。ガキだからって油断してちゃダメっスよ」
リタは言い残して踵を返すと、東出口の方へ駆け抜け、そこに潜んでいたもう一人の刺客を出会い頭に不意打ちにした。
「急所は外したんで安心してくださいっス」
四肢を銃弾で撃ち抜かれ、仰向けに倒れた男の口内に拳銃をねじ込んだまま、馬乗りになったリタはそう告げる。
涼し気な夜風が、リタの栗色の髪をゆらゆらと揺する。雲の切れ間から射し込む月明かりが、路上に転がった拳銃を照らし出していた。
刺客の男は手足の痛みに冷や汗をかきながら、なおも不敵な笑みを浮かべてリタを力強く睨みつけている。
「かいちょー、どうしてるっスかねぇ」
アラタに命の危機が迫っていることを、『キャンパス』に最大の敵が潜んでいることを、リタはまだ知らない。
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