第五十二話 先輩
グラウンドの方から、部活に励む生徒達の声が聞こえる。
秋の夕日は鮮やかなオレンジに色付き、その光は窓ガラスを透かして部屋を明るく照らす。
アラタが目を覚ましたのは、そんな、いつも通りの放課後の生徒会室の中だった。
パソコンの液晶画面には、先ほどまで作っていた新入生達向け資料の原稿が映し出されている。
どうやら、作業中に机に突っ伏したまま眠ってしまっていたらしい。
新学期のはじまる秋は生徒会の繁忙期。それでも任務はいつも通りこなさなければいけないので、このところ少し寝不足だったのだ。
(いっけね。続きやんなきゃ……)
アラタは寝ぼけ眼を擦り、大きく伸びをしてパソコンに向き直ってキーボードに手を添える。
そのとき、コトリ、という小さな音と共に背後から誰かがアラタの机にマグカップを差し出した。
白い湯気の立ち上るマグの中のコーヒーは、甘党のアラタ好みに合わせてミルクが注がれたブラウンカラー。
恐らく砂糖も沢山入っているのだろう。
「おやおや、ようやくお目覚めかい? アラタ君」
コーヒーを差し出した例の誰かさんが、耳元で悪戯っぽくそう囁く。
瞬間、心臓が大きく脈打った。
胸が張り裂けそうなほどに痛む。
口の中がカラカラに乾き、目の奥が燃えるように熱くなる。
いつもの日々、いつもの光景、いつもの相手――それなのにも関わらず、どうしようもなく嬉しくて、愛おしくてたまらない。
この声、この匂い、この空間。その全てを愛し、求めてきた。もうこの手には戻らない、この手で壊してしまった幸せを、ずっと、ずっと。
「フェイ、先……輩……?」
長い、長い時間をかけて、アラタはようやく喉奥からそんな掠れて震えた声を絞り出し、背後をゆっくりと振り返った。
「うん、そうだよ。アラタ君がだ~い好きな、カッコよくてかわいいフェイ先輩だよ」
その人は、当時と変わらぬ姿で立っていた。
窓から差し込む夕日がその薄香色のボブカットを照らし出し、ビロードのように輝かせる。
気が付くと、アラタはその小さな体を目一杯の力で抱き締めていた。
とめどなく熱い涙がこぼれ、嗚咽が漏れる。
堰を切ったように溢れ出るそれらを堪えることすら出来ずに、アラタはただ、赤ん坊のように喉を枯らして泣き続け、何度も何度も名前を呼んだ。
そんな彼を、フェイはよろけることなくしっかり受け止め、その柔らかで温かい掌で背中を優しくさすってくれた。
心についた無数の大きな傷口一つ一つに沁み入り、癒してくれるような幸せが、全身を緩やかに包み込む。
これが夢だとは、今のアラタには到底思えなかった。
「どうして……なんでっ! なんであなたが……ここに……俺の前に……いるん、ですか……!」
脳裏に、これまでの記憶や所業
死後の世に天国や地獄があるのなら、間違いなく後者へ行くことを余儀無くされるだろう日々を送ってきた。
そんな自分の目の前にフェイがいる。そのことが、アラタにはまるで理解出来なかった。
「あなたは……天国にいるんじゃ……天国にいなきゃいけないのに! なのに、なんで……なんで!! 俺なんかのところに……なんで……」
そう喚きながらも、こうして自分に会いに来て、背を撫でてくれることが嬉しくて嬉しくてたまらない。
どうすることも出来ないまま、アラタは膝から崩れ落ち、フェイに縋り付いてまた泣いた。
フェイは、アラタの頭に優しく手を置き、呟くように言う。
「君に、また会いたかった。それだけだよ」
フェイの両腕が、アラタの頭を優しく包む。
夕日が、静かに校舎の陰に沈んだ。
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