第四十話 聖墳墓

 宵闇に包まれた墓地。その片隅にある墓標の前に、一人の男が立ち尽くしていた。

 ボディーガード一人つけず、足元に置いた電気ランプの明かりのみを頼りにその墓に祈りを捧げる壮年の男――臨時総統スタンフィールドだ。

 先導した黒服がはけていく。二人は静かに、彼の傍らへ歩み寄った。


「……無事に連れてきてくれましたか、リタさん」

「はい、仰せのままに」


 リタの返事を聞いて満足げに頷くと、スタンフィールドはその場に屈んで墓標の立つ地面を撫でた。


「君が最後にここに来たときは、まだこの墓は空だったね。アラタ君」


 アラタは一歩踏み出し隣に並んで墓標を見る。


「はい。空っぽで、偽物の墓でした」

「君の怒りはもっともだ。でも、僕にもやらなくてはならない使命がある。天罰は、その後で幾らでも受けるよ」


 スタンフィールドは掘り返された形跡のある土を愛おしそうに撫でると、その手を払うこともせず立ち上がった。


「去年のことになる。リタさん、ネリ君、それからジョン君の三人を含めた強襲部隊が、北部にある少佐ドナルド・アーヴィングの別邸をあらためた。

 残念ながら彼を確保することは叶わなかったが……唯一、彼女だけは連れ帰ることが出来た。今は、ここで眠っているよ」


 そう言って墓標を見下ろすスタンフィールドに、アラタは深々と頭を下げた。

 怒りも、失望も何も無い、純粋な感謝からくる、礼だった。


「ありがとうございます、閣下。フェイ先輩の望みを、叶えてくださって。本当に……」


 自分が叶えてやることのできなかったことを、この人はしてくれた。それだけで、充分だ。

 スタンフィールドはわずかに微笑むと、また口を開いた。


「感謝するのは、僕の方だ。……君には、皮肉に聞こえるだろうが、ね」


 一息ついて、スタンフィールドは続けた。


「アラタ君。僕は、彼女の残した遺言を知っている。知っていて、神父に握り潰させた。きっと君は許してはくれないと思う。

 それでも、それでももし、まだ僕に感謝の念が消えていないというのなら、今一度力を貸して欲しい。この国の、未来のために」


 アラタはちらりと傍らのリタに目をやって、頷いた。

 迷いは、もうどこにもない。


「俺に出来ることなら、なんなりと。総統閣下」


 全てを振り切ったような清々しさが、その目にしっかりと宿っている。


(あの日の閣下も、こんな目をしていた……)


 クーデターの日、参加する仲間達に向かって演説するアダムスの姿を思い出し、スタンフィールドは拳をぐっと握りしめた。


 その夜、もう一つの作戦が、もう一方の勢力によって極秘裏に始動していた。

 進んだ時計の針を、巻き戻そうとする勢力の。



 *



 北の隣国キルグーシとの国境に程近い街に作られた『セラフィムの意志』残党の秘密拠点からジェームズが出てくる頃には、辺りは宵闇に包まれていた。

 もう十七になった彼は、すっかり実働部隊の中核としての地位を盤石にし、若くして計画の現場責任者のような役割を任されている。


(姉さんは、こんなおれを見てどう思うだろう)


 きっと、喜んではくれないだろうと思い、ジェームズは苦笑した。


 バッファローレイクの教会孤児院で出会った日から、ジェームズはフェイを実の姉のように慕ってきた。

 北部の教会に引き取られ、偶然再会するまでの数年間もその燃え上がるような思いは絶えず、死の報を聞いてからはそれが業火になって今でも胸を炙り続けている。

 アラタ憎し、フェイ愛おしで、遂にこんなところまで来てしまった。もう戻ることのできない、勝っても負けても地獄行きの細道へ。

 きっと、あの世へ行ってもフェイには会えない。天使の彼女は、天国にいるのだから。


 だが、地獄へ落ちることに不安を覚えることはなかった。

 同じ志を持つ相棒が、ジェームズのすぐ側にいる。


「ジェシー、行こうか」


 ジェシー・ブラウン。

 この国を取り巻く激しい荒波に、唯一の肉親である祖父を飲まれ、アラタに深い恨みを抱く同志。

 ジェームズの計画の全貌を知る唯一の人物は、長い髪をかきあげ柔らかく微笑んだ。

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