第三十九話 分水嶺

 Don't Listen Prime minister.


 ――首相立法院総裁の言うことに、耳を傾けるな。


 フェイが伝記に残した暗号と、リタに手渡された紙切れの文字を組み合わせると、そんな言葉が浮かび上がる。

 首相とは当時の、ということだろう。スタンフィールドは臨時総統になるまでの約十年間、その座にあった。


(全て、仕組まれていたことだったのか……)


 教会の墓地にあったフェイの墓石を作ったのは、恐らく親父やスタンフィールドの手のものだろう。

 あれを見せれば、きっとアラタは『セラフィムの意志』にはなびかない。そう予想してのことだったに違いない。


(予想はまんまと的中したわけだ)


 アラタはほろ苦い笑みを浮かべて、自嘲した。

 結局のところ、アラタも、ドナルド理事長も、アダムス総統も……誰も彼も、スタンフィールドの手のひらの上で転がされていたのだ。

 あるいは理事長は、それに気づいていたのかもしれない。

 表面上は良き同盟者のふりをしながら、何処かで一転総取りの機会を狙っていた――フェイは、その渦中に飲まれて命を落としたのでは無かろうか。


「……フェイさんは、きっとかいちょーの身を案じていたんだと思うんス」


 神妙な面持ちでそう言うリタに、アラタは小さく頷いて窓の外に目をやった。

 街を出て、高速に乗り、巨大なセンターピボットの穀倉地帯を車が走る。

 まだ青い麦を照らす陽の光は、もう鮮やかなオレンジ色をしていた。


「俺はあの人の意志を守ったつもりで、気づかぬうちに逆のことをしてた訳だ」


 ため息を一つつき、アラタは無意識に自分の顔をなで、言った。


「殺すか?」

「わざわざ助けたのにっスか?」


 真顔で即答するリタに、アラタはしばし面食らう。

 ついこの間まで子供っぽいやつだと思っていたのに、少し見ない間に大人びた顔立ちになった後輩の落ち着いた姿を、アラタはまじまじと見つめることしかできない。

 彼女も、もう十九の歳。アラタは、二十歳だ。

 暗くなりつつある外。リタのすぐ後ろの窓ガラスに、ひどくやつれた顔の自分が映る。

 リタは、静かに口を開いた。


「フェイさんがあなたを生かしたいと思ったのなら、私にはその意志を成し遂げる義務がある。

 かいちょー、選んでください。このまま下野して、誰も知らないところへ行くか、フェイさんの最後の警告をふいにして、この国を民主化するか。

 どっちを選ぼうと、地獄の果てまで、お供するっス」


 また、長い沈黙が流れ、アラタはようやく言葉を発した。

 力みない、少しかすれた、小さな声で。


「……良いのか、本当に。お前はもう長いこと、俺を殺したかっただろう」


 言うと、リタはほんの少し、寂しげに微笑んだ。


「私は、フェイさんを愛してるっスから」



 *



 車がバッファローレイクの教会前についた頃には、あたりは闇に包まれていた。

 しかし、教会の周囲だけは白く浮かび上がるほど明かりがつけられ、警備する黒服の男達と相まって不気味な様子を醸し出す。

 車から降りてきた面々を見て、黒服が門を開き、ついてくるよう促した。運転手は、車の中に残るようだ。


「行きましょうか、かいちょー」

「……そうだな」


 男の背を追い、二人は教会の敷地内――聖堂裏の墓地へと、足を向けた。

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