第六章 フェイ・リーの矢

第二十九話 鏑矢

 はじめてエレノアジョンがアラタと対面したのは、中等一年でルームメイトになったときだった。

 表向き男として振る舞っていたエレノアは、あとから遅れて部屋にやってきたアラタを見て、どこか不思議なものを感じた。

 心の奥底を見透かすような、さりとて深入りする気も無さそうな黒い瞳と、凪のように静かな雰囲気。

 無口そうな奴だと思えば、話してみると案外多弁で、冗談だって口にする。

 声を上げて笑うこともしばしばある普通の少年。

 それでも、ふとした時に見せる虚ろな瞳と静けさは、触れるとこちらまで引きずり込まれそうで、エレノアは度々背筋を凍らせた。

『学園』にやって来る子供らは、なにも皆が皆新生児の頃や物心つく前に連れてこられるわけではない。

 人身売買の裏組織やら『学園』の誘拐任務などを通じて四、五歳辺りで連れてこられることもままあった。

 アラタの時折見せる無気力さは、そういった出自が理由なのかもしれない。


 エレノアの『学園』での立場は、微妙だった。

 エレノアには両親というものがハナからいない。

『学園』、もといドナルド理事長の計画の下優秀な工作員同士の精子と卵子を人工的に交わらせ、健康な代理母の胎内で育てられた。それが彼女だ。

 生まれついての工作員として特別カリキュラムを組まされ訓練し、ゆくゆくは生徒会長になることを強制される日々。

 はじめから結果の見えているレースを競わされる他の学生からすれば、面白くはない。

 エレノアは常に孤独だった。だが、


「実力で勝てないからって計画のせいにする雑魚共のことなんて気にすんなよ。お前はお前だ。

 分かったらとっととコントローラー持って座れよ。格ゲーで勝ち逃げは国際法違反だぞ」


 アラタだけは、違った。

 普通の学友と変わらない、軽口や冗談や悪態で接してくれた。

 それが、エレノアには何者よりも嬉しかった。


 だからだろうか。彼に性別を明かしてしまったのは。

 高等部に上がる直前、その唇を奪ってしまったのは。


「ボクはね、キミの為ならなんだって出来るんだぜ」


 セントラルシティの大通りを、学生や若者達が総統官邸に向けて行進する。

 北部で勃発しているギャング団の抗争が一向に収まらないことに端を発した警察へのデモ行進は、気がつくと政権批判、独裁反対のデモにすり替わっていた。

 その先頭に、エレノアはいた。

 横断幕を掲げて、声高に思ってもいない自由を叫び、当初知らされた計画のとおりに隊伍を組んで道を征く。


 予定では、官邸の目前に迫ったところでエレノアは死ぬことになっている。

 警官隊との衝突で、銃か棒か催涙弾か……そのいずれかが命を奪う手筈だ。

 だというのに、不思議とエレノアの心は穏やかだった。むしろ、高揚感すら覚えている。

 アラタの為に死ねる。それが、嬉しかった。

 彼がどんな道を選択するにしても、エレノアの存在は酷く邪魔なものだろう。

 アラタは優しい。だから、親しい人間を容易に切り捨てられない。

 だから、自ら死地に向かうのだ。


(フェイさん。死の直前、あなたももしかしてこんな気持ちになったんですか?)


 もしそうだとしたら、自分はとんだ幸せ者だ。

 彼の愛した人と、同じ境地に至れたのだから。


 最後の曲がり角を右折して、デモ隊は遂に官邸の目の前にやってきた。

 道を遮るのは警察の機動隊とMP憲兵だ。

 その瞬間が、刻一刻と迫りくる。

 叫び声が、林立するビル群にこだまする。


『警官隊とデモ隊が二十メートル圏内にまで接近したら、こちらの手のものがお前を始末する』


 電話口で聞かされたドナルド理事長の言葉を頭の中で反芻はんすうし、民衆を率いてジョンは警官隊へ迫っていく。

 四十メートル。

 警官達がヘルメットの黒いバイザーを下ろして臨戦態勢を取る。

 三十メートル。

 MPがグレネードランチャーを構えて威嚇する。

 誰が例の武器だろう。


 二十メートル。


(さようなら、相棒)


 エレノアは静かに目蓋を閉じて、その時を待った。

 しかし、


「警官が引いていくぞ!!」


 誰が叫んだ。

 目蓋を上げたエレノアは、警官隊がまるで引き潮の如く後退していく、あり得ない景色を目の当たりにして思わず膝から崩れ落ちた。


「どう、して……?」


 デモ隊は勢いに乗って前進し、やがて十メートル程度の間隔を開けて停止した。

 セントラルでの睨み合いは一昼夜に渡って続けられ、翌朝の日の出と共に一旦は解散して家路についた。



 *



 デモの一件は、すぐさま病床に伏すアダムス総統の耳にも届けられた。


「官邸に押し寄せたデモ隊は特に問題なく、自然に解散していきました。しかし、地方では暴徒化した連中もいるようで、現在調査しています」


 そう報告する『警備局』のロック局長に、未だ体調のすぐれぬアダムスは不機嫌そうな表情を浮かべて言った。


「長引かせ……過ぎた……な? 重大な、失点だぞ」

「……申し訳、ありません」

「お前は、少し……短絡的過ぎる。もっと……よく考えろ」


 言い終えて、アダムスはロックに退室を促した。

 脂汗を額から垂らしたロックは、大きな体を縮こまらせて、おずおずと廊下へ出ていった。

 アダムスはやれやれと深いため息を付き、傍らに控えるスタンフィールド立法院総裁に目をやった。


「まったく……おちおち、死んでもおられん……な」

「准将にはまだ生きていただかないと」


 苦笑して言うアダムスに、スタンフィールドは微笑みながらそう返し、そういえば、と話を切り出した。


「『中央』のウィルソン部長が、先ほど僕を介して提言をしてきましたよ」

「…………なんと?」

「暴徒鎮圧の為に、軍の特殊部隊を使うのはどうか、と。『学園』の新理事長もそれを支持していましたが、どうなさいます?」


 病室が、水を打ったように静まり返る。

 アダムスの顔は能面のように表情が消え、呼吸すらしていないようにスタンフィールドには思えた。

 五分も、十分も続いた、長い長い沈黙の末、アダムスは悟ったような顔で呟いた。


「……任せる、と」

「よろしいので?」

「あぁ、いい」

「かしこまりました」


 そう言って退室していくスタンフィールドの背を、アダムスはほろ苦い笑みを浮かべて見送った。


「俺の次は……君か? それとも、彼か?」


 動乱の日を知らせる足音は、すぐそこまで迫っていた。

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