第二十八話 地獄の門

「……つまり、あそこの神父に民主派のデモを起こさせる、と?」


『学園』からの電話で指定された、教会から数キロ離れた公園のベンチに腰掛けて、リタは先着していたジョンエレノアに確認する。

 ジョンは彼女の方を見ることなく頷くと、「それが、新しい理事長の判断だ」と呟いた。


「納得、出来ないかい?」

「任務内容を納得する必要が無いことぐらい、私も良くわかってるっス。ただ」

「ただ?」


 口ごもるリタに、ジョンは首を傾げて問い直す。

 リタは小さくため息をつくと、眉間にしわを寄せて口を開いた。


「私はあの神父のことが嫌いっス。アイツは、フェイさんの意志を蔑ろにした」

「前会長の意志?」


 ジョンの顔に警戒の色が浮かぶ。

 この情勢だ。『学園』関係者の前でフェイの意志だ何だという単語を口にすることは、自身が反体制派であると宣言するが如き行為と取られる。

 それでもリタは、あえてその言葉を口にした。


「言っときますが、私は『セラフィムの意志』には一枚も噛んでないっスからね。あいつらだって、出来るなら皆殺しにしてやりたい」


 ともかく事情は分かったと、リタはベンチから腰を上げる。

 だが、彼女がここに来た本当の目的は、まだ果たされてはいない。

 リタはジョンを見下ろすと、低い声で言った。


「それで、かいちょーはどこへ?」

「ボクも今全力で探して――」

「ここへあの人を連れてきたのはあなただ。民主派にパイプがあるあなたを、私は信用出来ない。

 ……さては、前理事長もグルですか? あなた、秘蔵っ子でしたもんね。新理事長を裏から操ってるんだとしたら納得がいきます。

 大方、総統閣下が倒れたこの隙に民主派と組んで国家転覆でも図ろうって魂胆でしょう。その計画に、かいちょーを巻き込んだ。違いますか?」


 静かな午前の公園。少し遠くの方から、友達と遊ぶ地元の子供らの声が聞こえてくる。

 長い間沈黙していたジョンの額から、ガラス玉の様な汗の雫がこぼれ落ちた。


「本当は、巻き込みたくなかったよ」

「え?」

「三日もすれば、彼はセントラルに戻って来る。それはボクが保証するよ。それまでに、神父様に話をつけてくれ。

 ボクは、別口の仕事がある」


 ジョンは一瞬苦しげな表情を浮かべたが、すぐに真顔になってそう言うと、帰り支度を始めた。

 冷静を装ってはいるが、その顔には冷や汗のようなものが浮かんでいる。


「リタちゃんの推理、結構いい線行ってるよ。きっとキミなら、次の生徒会長を狙える。

 それじゃ、彼によろしく」


 去り際にそう言い残したジョンは、何処か悟りの境地に達したような目をしていた。


「何なんだよ、一体……」


 一人公園に取り残され、リタは呆然と呟いた。



 *



 初日の豪雪が嘘のように、夜が明けると北部の空は快晴に見舞われた。

 青々と澄んだこの空は、セントラルのそれよりも幾らか深い色をしているようにアラタには思えた。


(標高が高いからか)


 ドナルドの、城塞のような邸宅に逗留して一夜を過ごし、アラタは今その庭のベンチに腰掛け空を見ていた。

 遠巻きに監視の人員が隠れて見張っていることには気づいていたが、彼らの名誉のために知らん振りをし、アラタは天を仰ぎ見る。

 きっと夜になると、この空には銀の粒を撒いたような満天の星空が広がるだろう。それを見ながら飲むコーヒーは、格別美味いに違いない。


 そんな星空を、一年前の彼女も見ていたのだろうか。

 以前閲覧した当時の天候記録には、五大湖沿岸は昼夜を通して晴れだったと残っていたから、きっと見ているはずだ。


(その星空を見て、あなたは何を思ったんですか?)


 新月の暗い夜に紛れて五大湖を渡ったフェイの見上げ夜空は、それはそれは素晴らしいものだったろう。

 その素晴らしさを、自分の想像ではなく本人の口から直接聞きたかった。そして、自慢してほしかった。


「良いお日柄ですね、アラタさん。この時期珍しいぐらいですよ」


 静けさを打ち壊すような声が背後から聞こえ、アラタはため息交じりに返事をした。


「人がせっかく日向ぼっこしてるとこを邪魔しやがって。相応の理由があるんだろうな?」

「ええ、もちろん。少し思い出話でもしようかと」


 ヘラヘラとそう笑いながらアラタの隣にやってきたジェームズは、静かに語り始めた。


「おれ、昔バッファローレイクの教会に居たんです。姉さんとはそこで初めて出会いました。

 ……もうお気づきだとは思いますけどね、おれ、あの人と血はつながって無いんです。

 ただ、昔貴方の知らないところで仲良くしていただけ。それだけです」


 一呼吸おき、ジェームズは続ける。


「ご両親の墓参りをする姉さんの姿は、よく覚えています。おれも、会う度にご一緒させて貰いました。

 そうして手を合わせたら、決まって姉さん、貴方の話をするんですよ」

「俺の?」


 思わず聞き返したアラタに、ジェームズはフフッと笑って頷いた。


「ええ。学校にえらく気の合う後輩がいるって。頭も腕も良い、優しい奴がいるんだよってね。

 おれはね、アラタさん。おれはね、貴方になりたかったんだ。貴方みたいに、姉さんの胸の奥にずっといるような、そんな奴になりたかった。

 だから、北部に貰われていくとき、決めたんです。貴方みたいな凄いやつになって、帰って来るって。そう決めたんです」

「……なれたか?」


 ジェームズは苦笑して、頭を振った。


「まさか。なれるわけないじゃないですか、おれが貴方に。

 姉さんにとって、おれはどこまでいっても弟のような何か。生まれてくるはずだった弟の代わりっぽいやつ。貴方のような、何かを託せる存在じゃない。

 北部に行ってからも、姉さんは居場所を誰かしらに聞いたのか、よくおれを訪ねてきてくれました。でも、おれには何も遺してくれなかった」


 そうしてまた話を続けようとしたジェームズを、アラタは咄嗟に手で制す。

 今、聞き逃せないことをこの男は口にした。


「フェイ先輩に、弟が生まれるはずだった?」

「あぁ、そのことですか」


 まだ話してなかったか、と呟いて、ジェームズは口を開いた。


「事実ですよ。あの事故、もとい『学園』のリー夫婦暗殺事件の当時、姉さんのお母さんは妊娠していました。おれのDNA鑑定の結果、見たでしょう?」

「ああ。見た」

「あれね、実際には保管してあったその例の胎児の奴を内通者がおれの奴とすり替えたんです。

 疑うんでしたら、神父様なり古参の民主活動家に今度聞いてみて下さいよ」


 途中から早口になりながら、ジェームズは熱中したようにそう話す。

 なるほどどうりで、誰も彼もが騙されたわけだ。

 本物の弟のものを使えば、結果そう出るのは当然だろう。


「なら、その顔は整形か?」

「ええ。サルベージされた姉さんの遺体を元に。今の外科技術は凄いですね、本当にそっくりでしょう?」

「本当にな。危うく惚れそうになった」

「辞めてくださいよ、貴方と寝るのは御免です」

「奇遇だな、俺もだ」


 そう言って目を見合わせて、二人は悪い笑みを浮かべる。

 そうして笑い終わってから、不意にジェームズは真顔になってアラタにこう問い掛けた。


「総統暗殺の件、どうなさるんです?」

「嫌だ、なんて言ったらその瞬間俺の頭はお前に弾き飛ばされるんだろ? おっかねぇ」

「おれはそれでも良いですよ。姉さんを殺したくてあんたを殺してやりたくて、仕方がないんですから」

「そりゃ悪かったな。俺を殺させてやれなくて」


 微笑みながら、アラタは腰を持ち上げた。

 気がつくと、青々としていた空に重い雪雲がかかり始めている。気温も、先程よりずいぶん低くなったようだ。


「ありがとうな。お前のお陰で、気になってたことが一つスッキリした。これで心置き無く、やることをやれる」

「……そうですか。そりゃ良かった」

「おう。ま、楽しみにしとけや」


 アラタは屋敷の中に戻っていく。

 ドナルドやら『セラフィムの意志』の思う通りに動いてやるつもりは毛頭ない。


 フェイに始まり、この一年大勢人を殺めて来た。

 殺す相手が一人や二人増えたとて、裁きの度合いは変わらぬだろう。


(先輩。あなたの所には、行けそうにないです)


 地獄の門が開かれる。

 アラタは一歩、踏み出した。

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