第十話 職場見学
リタがフェイとあったのは、『学園』の中等部と高等部の合同訓練のときだった。
林間学校、夏期講習などとも呼ばれる、連邦東部の森林地帯でのサバイバル。そのときにリタ達中等生三人の隊長役を務めたのが、高等一年のフェイだった。
「キミ、良いね! 早撃ちも弾道も完璧だ! 偉いぞぉー!」
最初の射撃訓練のとき、そうやって弾けんばかりの笑顔で頭をくしゃくしゃに撫でられたのを、リタは今でもハッキリと覚えている。
針葉樹林帯での安全な食料の見つけ方、ブービートラップの設置と解除の方法、相手に気取られない森の歩き方、市街地と森林地帯での戦闘方法の違い……フェイはその全てを、一から手取り足取り教えてくれた。
訓練中に負傷すれば、「アクシデントも勉強だね!」と手早く応急処置の方法を実践してくれ、他チームとの模擬戦の際はその神がかった戦闘スキルを見せてくれた。
リタはすぐに、この明るく元気で優しく強い、『五大湖の天使』を好きになった。
高等部に上がって生活実習に入れば、きっと彼女と同じ学校を志願して、共に日々を過ごすのだと、心に固く誓ったのだ。
そこからリタは、血を吐くような努力の末、見事何十倍と言う倍率を乗り越えフェイと同じ学校に入学出来た。
だが、彼女の隣は、既に一人の男によって埋められていた。
アラタ・L・シラミネ。後にフェイをその手で殺し、会長の座を奪い取ることになる青年を、リタはこのときから薄っすらと憎悪しはじめた。
*
喫茶店での襲撃から数日後、アラタは(何故か)リタと共に警備局の本部があるセントラルシティ中心部グレイスヒルに呼び出された。
様々な中央省庁のビルが立ち並ぶオフィス街の一等地。統一総統官邸たるニュー・ハイランド城と、川を挟んだ東隣にその建物はあった。
植民地時代の駐留軍営舎跡に建てられた鉄筋コンクリート造の警備局本部は、地区の景観保護条例の為に官邸よりも背の低い地上三階建てだが、その分野球場などとも
建物は上空から見上げると六芒星にも似た特異な形をしていることから、警備局本部庁舎や警備局全体を指して『
対角を結ぶように引かれた廊下が内部に張り巡らされているお陰で、広い敷地に反してオフィス間の移動距離が短いのが特徴だ。
そんな、要人警護の組織にはいささか大げさすぎる巨城を僅か一代五年で築き上げ、警備局を諜報機関にした男――統一総統警備局局長リチャード・
「おぉー、来たかね! 時間丁度だな!」
バスを降り、入り口まで歩いていった二人をそう言って迎え入れたロックは、砲弾のように丸々とした腹を揺らして豪快に笑った。
「お久しぶりです、ロック局長。ご連絡の通り、リタも連れて参りました」
「リタ・マクレガーです。どうぞよろしくお願い致します」
いつになく緊張した面持ちでそう挨拶するリタをまじまじと見つめ、またロックは豪快に笑う。
爽やかな日射しに照らされて、前歯の金歯がきらめいた。
「ワンマンアーミーだのソルジャーだの色々噂を聞いとったから、どんなおっかない娘子が来るかと思ったら、まさかこんなに可愛らしい嬢ちゃんとはなぁ!
どうだ、学園を出たらウチに来んかね? 丁度局長秘書の席に空きが出る予定なんだよ。君の才能も存分に活かせると思うがね……ま、考えといてくれよ!」
そう言ってリタの肩にポンと手を置くと、ロックはアラタの方を見た。
「今日の本題はこっちだからな。“天使殺し”の英雄殿。早速中を案内しよう、二人ともついてきな」
そう、さっさと建物の中へ入っていくロックに数秒遅れて、二人もその後を追った。
「なんだか気さくなオジサンっスね? 空挺コマンド上がりだって言うからもっと怖い感じだと思ってました」
「気をつけろ、局長は重度の
アラタはロックに聞こえぬようにそう囁くと、青い顔のリタを伴って先に進んだ。
*
リチャード・M・ロック五十二歳。
地方の田舎町で有力者の私生児として生まれた彼は、十代の頃に恵まれた体格と運動神経を買われて軍隊に入った。
そこから僅か三年で陸軍最精鋭部隊である空挺コマンド部隊に配属されると、同時に軍中枢で力を伸ばしつつあった後の総統アダムスと知り合う。
彼に才覚を見出されたロックは、そのおよそ一年後に起きたアダムスによるクーデターに賛同して部隊を掌握すると、すぐさま首都セントラルシティに入城。政権を奪取したアダムスに忠誠を誓った。
それ以来アダムスの忠実な側近として軍部で活躍と昇進を続け、遂に五年前には警備局の局長に抜擢されると、アダムスの後継候補の一角に名を連ねるに至る。
警備局の局長になったロックはアダムスからの信頼を背にその権限を大幅に拡大すると、たった五年で警備局を『学園』『中央』に次ぐ第三の諜報機関に改造。
今では総統の最側近として各方面に絶大な影響力を持ち、その尊大な振る舞いから“副総統”とまであだ名されている。
……以上が、誰もが知る警備局局長の大まかな概要だ。
ドナルドがアラタに求めたのはこれよりもっと先の深い情報。例えば生活リズムや女性関係、或いは野望や野心、隠された不正や腐敗やスキャンダル等の『弱点』だ。
後継者競争で劣勢にあるドナルドにとっては、強敵の付け入る隙はどんなものだって欲しいのだろう。
例えそれが、現役の生徒会長が再び捕縛・処断されるがも知れないというリスクを冒しても。
二人は『ヘキサグラム』の中を一つずつロックに案内して貰った後、最後に地下の書庫に通された。
「ここにはこれまで警備局が携わってきた様々な事件やら何やら全ての記録が保管されている……もっとも、機密文書はこの奥の別室にあるが、それはオレに忠誠を誓ってからのお楽しみだな。
残念かね、英雄殿?」
「いえ、むしろ安心しました。セキュリティがしっかりしていないと、入った後苦労しますから」
そう言うや、ロックはまた喉を震わせて大きく笑った。品の無い笑い方だが、ここまで来ると最早愛嬌にすら思えてしまう。
「相変わらず正直な男だな! いや、ますます気に入った。アーヴィング爺さんの肝煎りで無けりゃ今頃機密を見せていたところだ。
ま、君が前任者ほどバカでないことを祈るよ。
それじゃあ、君らは少しこの中を見ていてくれ。オレは今から会議の時間だ。後のことは係の者が引き継ぐから。テストの件も含めてな」
ゲラゲラと下品な笑い声を上げながら、ロックはそう言い残してさっさと部屋を後にしてしまった。
「リタ、眉間にしわが寄ってるぞ。ポーカーフェイスを忘れんな」
「そう言うかいちょーこそ、拳握り締め過ぎですよ」
誰もいなくなった書庫の中、出口の扉を見つめたまま、二人は険しい顔で呟き合うようにそう言った。
二人とも、フェイを心の底から尊敬している。無遠慮にそれを踏みにじられて自然体で居られるほど、心は老成していない。
アラタはため息をこぼすと、ようやく拳を解いて書棚の方へ顔を向けた。
「さて、切り替えてこの書類の山を幾つか見ていこうぜ。何か掘り出し物が見つかるかも知れん。俺は右端から行くから、そっちは左から頼むわ」
アラタがそう言って歩き出そうとした時、不意に背後の棚から物音がした。
二人は揃って振り返る。どうやら書類を
「前読んだ野郎は相当なせっかちだったらしいな」
「独りでに棚から落ちるような仕舞い方するって、どれだけ焦ってたんっスかねぇ」
アラタは苦笑いしながらその場に屈み、ファイルに手を伸ばし、動きを止めた。
ファイルの表紙には重要機密の文字に連ねてただ一言、
『ダックハント作戦』
とだけ記されている。
それが意味することを、アラタは良く知っていた。
「かいちょー、どうしたんっスか?」
「なんでダックハントの極秘資料がここにある……」
アラタが思わずこぼしたひとり言に、リタの表情が消え失せた。
当時一介の風紀委員に過ぎなかったアラタが学園の生徒会長に昇進することになった、記念すべき任務。
その任務の中で、アラタはフェイを殺した。
作戦は極秘中の極秘とされ、その詳細を知る者はほとんどいない。
なにせ実行したアラタでさえ、そこに至る経緯や計画を知らなかったし、作戦に警備局が関与していることも今初めて知った。
そんな国家の重大機密事項に関わる資料が、こんな誰でも閲覧可能な場所にあって良いはずが無いのだ。
(なんで、こんなところに)
アラタは顔を上げ、天井や周囲を見渡した。
ここは防犯カメラから完全に死角になっているらしい。隠しカメラのたぐいも見受けられない。
誰かの意図があるのは、明白だった。
(どこの誰だ、こんなもん仕掛けやがったクソは)
見え見えの罠だ。何が目的かはわからないが、この資料をエサに二人を釣ろうという思惑が見え透いている。
だが、それに抗えるほどの精神を、アラタは持ち得ていなかった。
「……リタ」
好奇心とも違う、溢れんばかりの複雑な感情がこぼれるのをなんとか抑えつけ、アラタは背後の後輩の名を呼んだ。
リタは何も言わず、アラタのすぐ隣まで来て屈み込む。
アラタはその瞳をじっと見て、言った。
「お前の尺度でいい。俺が間違いを犯したと思ったら、すぐに殺せ。頼む」
アラタは、返答代わりにリタが鳴らした拳銃の
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