第十一話 ダックハント

 アルトベルゼは独立を果たした当初から今に至るまで、長きに渡って北方の隣国キルグーシと五大湖沿岸地域を巡る係争を続けている。

 国境線は時代によってときに南に、ときに北に絶えず変化を続け、二十八年前の五大湖戦争によってようやく現在の中間を穿つ形に落ち着いた。

 それでも両国は隙あらば対岸を支配せしめんと野心を燃やして軍拡競争を続け、もう長いこと力量の上では拮抗したままの状態を続けている。


 そんな状況が一変したのは四年前の六月。

 アルトベルゼ政府は、五大湖周辺地域の開発を行う『五大湖南岸開発公社』の大幅な組織改革に着手。それと同時に、社名を『五大湖流域沿岸開発公社』と変更した。

 これにキルグーシの国民は「アルトベルゼが北岸への侵略の準備をしている」と激昂。暴徒によって大使館が焼き討ちされる事態にまで発展した。


 両国に緊張が走る中、キルグーシ国軍内では五大湖戦争で実際に戦地に赴いた中堅幹部や現場指揮官らを中心に保守強硬派の支持が急増。

 彼らの圧力に屈した参謀本部は、五大湖北岸地域の司令長官に強硬派の頭取であるブハーリン上級大将を任命、即日現地に派遣した。

 これを機に、状況はさらに悪化する。

 ブハーリンは赴任早々から部隊の装備を一新して再配置し、司令部の幹部も自らの支持母体である強硬派で固めた。

 時を同じくして穏健派が多数を占める参謀本部をシンパらと恫喝どうかつし、新型核弾頭“ダモクレスVII”の配備まで強行する。

 それら全てが完遂したタイミングを見計らい、ブハーリンは北岸地域一帯に戒厳令を布告し、地方行政と報道機関を完全に掌握。

 国民の熱烈な支持のもと、男は配属から僅か数ヶ月で北岸を自身の『王国』に改造した。

 キルグーシ国内に、最早彼を止められる者は誰もいない。


 この流れはアルトベルゼ側の五大湖南岸地域に住む親キルグーシ派住民や国内の反体制派にまで波及し、緊張は遂にピークを迎えた。

 開戦前夜。

 そんな言葉が両国民の間で流行語となった頃、事態を静観していたアルトベルゼ政府はようやく重い腰を上げ、五大湖沿岸地域に広い人脈を持つ『学園』の生徒会長フェイ・リーを秘密裏に召集。

 緊張状態の速やかな解決の為、彼女を北岸へと派遣した。


 そして、フェイは突如キルグーシへ亡命した。

 国家予算の百分の一と、研究途上の新型化学兵器を手土産に。


 アラタに召集が掛かったのは、その僅か二日後の事だった。


 ――北岸に渡り、裏切者の工作員一名とブハー

   リン上級大将を始末せよ。

   奪われた物を取り戻し、忠義を示せ。


 指令書には、ただそれだけが書かれていた。

 それだけが真実だと、信じていた。

 それ以外は、考えないようにしていた。

 他には何も、知りたく無かった。


 国への忠義こそ全てだと、そう教えられてきたから。

 国に報い、国に殉じ、国のために手を汚す。それこそが、自分達が今いる理由だ、と。


 だからアラタは最愛の人を手に掛けて、すべての任務を全うした。それが、己に出来る全てで、最良の選択だと信じていたし、信じていたかったから。

 だと言うのに、だと言うのに……



 *



「……なんなんだよ、これ」


 結局、ロックに関する目立った身辺情報はなにも得られなかった。


 係の人と合流し、当日の段取りや役割などを確認し、二人は文書庫で撮影した件の資料をアラタ宅にて確認していた。

 水を打ったように静まり返った部屋の中に、かすれたアラタの苦しげな呟きが響く。

 怒りとも、絶望とも取れない顔をしたリタは、画面を凝視したまま動かない。アラタも、今は何も考えたくなかった。


 資料によるとダックハント作戦は、警備局の責任の下行われた。その前段階――つまりフェイの北岸潜入の段階から、実行まで。


「全部、あのおっさんの描いた絵のとおりに動いてたって訳だ」


 資料には、局内向けの物と局外向けの計画書に加え、作戦の経過を記した文書が同梱されていた。

 局外向け資料にはフェイを偽札と偽の化学兵器を持たせて偽装亡命させた上で工作活動に当たらせること、と記されており、総統のサインも刻まれていた。

 だが、局内向けにはそれすら偽装工作であり、『実際の札束を握らせた上で亡命させ離反を演出。

 穏健なキルグーシ政権側からの始末要請があるものと予想される為、それを受けて適当な人員を派遣。敵地にて標的Bバフーリンと共に始末すること』と残されてあった。

 ロック局長と、『中央』のウィルソン部長のサインと共に。

 最後の経過記録には、フェイの亡命が発覚した直後に交わされたキルグーシ政府首脳とアダムス総統との緊急電話会談の内容が詳細に記されていた。

 キルグーシ側はロック局長達の予想通りに二カ国での戦争を避ける為、アルトベルゼに野心が無いことを示す為にフェイとブハーリンの始末を依頼。

 総統はそれに、ただ一言「イエス」と答えたと、文書に記録されていた。


 全ては学園の権勢を地に落とし、ロック局長らが後継者競争を有利にするための策略だったのだ。

 そして今、彼らの目論見通り『学園』も理事長も、かつての優勢を失い窮地に立たされている。

 こんな状況を作り出す。ただ、その為だけにフェイは、アラタの手によって殺された。冷たい、鉄筋コンクリート造の地下室で。


「……かいちょー。お手伝い、するっスよ」


 なんの、とは、聞かずとも分かる。仇討ちだ。

 だが、アラタは力無く首を横に振った。


「殺したのは俺だ。それに、局長を今殺したとて意味は無い。野郎を殺しても、『中央』のウィルソン部長がトップに就く。同じことだ」

「ならどっちも殺しゃ良いじゃないっスか!! アイツらが天下取るのを指くわえて見てるだけなんて、私には出来ない!!」


 怒りをあらわにしたリタが、テーブルを思い切り叩き付けて立ち上がる。

 アラタは顔を上げること無く、静かに言った。


「俺らは“武器”だ。政治家連中が指紋も痕跡も残さずにあれやこれやをする為の。

 ナイフやら拳銃やらが、自分の利益とか感情で動く訳にはいかねぇんだ。分かるだろ?」


 瞬間、肩を震わせながら怒気を発していたリタが、冷静さを取り戻したように強張った顔を緩め、口を開いた。


「自分以外の、なら良いんスね?」


 アラタは顔を上げ、頷いた。

 その瞳はじんわりと潤み、白目は微かに赤らんでいる。よく見ると握り締めた拳の隙間から、深紅の血が滲んでいた。


「武器を持つべきは誰か。確かめるにはまだ、時間がいる。このことは、他言無用で頼む」


 リタはしっかりと頷くと、荷物を持って玄関に足を向けた。

 その背に、アラタは問い掛ける。


「リタ。俺のこと、まだ憎いか?」


 リタは振り返ること無く、きっぱりと答えた。


「はい、充分憎いっス。でも、まだ殺すには理由が足りない」

「それで良い。その時が来たら、お前は迷わず俺を撃て。俺みたいにはなるな」


 リタがドアノブをひねり、玄関扉を開ける。


「もちろん。そのつもりで今の今まで生きてきました。

 それじゃあ、また明日」


 雲の切れ間から射し込む月光が、去り際に振り返ってほろ苦く微笑むリタの端麗な顔を淡く照らす。

 一人部屋に残されたアラタはしばらくの間、何も言わずにじっと閉じられた玄関扉を見つめていたが、ふと思い出したようにスマホを手に取ると、迷わずトーマスに電話をかけた。


「俺だ。一つ仕事を頼まれて欲しい。もちろん礼はきっちりと」


 その裏で、後継者競争は重要な局面を迎えていた。



 *



「私は今日をもって、後継者競争から降りさせて貰う」


 総統官邸に設けられた一室で、ドナルドは眼前で椅子に腰掛ける『警備局』のロック局長と、『中央』のウィルソン部長にそう宣言した。

 耳が痛くなるような沈黙が部屋に満ちる。

 唖然とした表情を浮かべて硬直するロックを横目に、沈黙を破って口を開いたのはウィルソンだった。


「突然ですね。一体どうなさった?」


 薄い銀縁眼鏡の奥に潜む神経質そうな双眸を光らせそう言うウィルソンに、ドナルドは平然と答える。


「私ももう歳だ。後は若い君らに託そうと思ってね」

「いやいや。若いってもおやっさん、俺らももう五十半ばだぜ? まぁあんたがそう決めたんなら止める義理はねぇけどよ」


 手元にあった水をぐいと飲み干し、次に口を開いたのはロックだった。

 せわしなくテーブルを挟んだ向かいのウィルソンに目配せをしながら話す彼の困惑と喜色に満ちた表情を見ていると、ドナルドは堪らなく愉快な心地になる。


(まだまだ青いな、貴様も)


 根っからの諜報畑の人間では無いからか、それとも性格的なものなのか、仕事や謀略はできてもポーカーフェイスが苦手なのだ。

 だから対面で話すとすぐに、考えていることが読み取れる。果たして本人は気付いているのだろうか。

 それに比べるとウィルソンは一枚上手だ。仕事はできるし、意図を隠して生きることが得意な、生まれながらの諜報員。

 だが、そんな彼も自分の策を過信し他者を見下すきらいがある。

 現に今でも、動揺するロックを明らかに軽視するような態度を隠そうともしない。これでは部下達からの信頼は得られないだろう。


「閣下はこのことを?」

「いや、まだ伝えてはいない。早ければ明日にでも両閣下に面会してお伝えするつもりだ。

 今度の記念式典が終わり次第理事長も後任に託して、老後は北部の別荘で家内とのんびり余生を過ごすよ」


 ウィルソンの問いに頷いて、ドナルドは椅子から立ち上がった。


「今日は集まってもらって悪かったね。そろそろお開きとしよう。では、また」


 そう言い残すと、ドナルドはさっさと部屋を後にした。

 残されたロックとウィルソンはしばらく黙ったまま動かなかったが、やがて目を見合わせた。


「どう思う、ありゃブラフか?」


 先に口を開いたロックに、ウィルソンは難しそうな顔をする。


「いや、わからんな。油断させて一網打尽にするつもりかも知れん」

「へへ、あの爺さんの考えそうなこった」


 へらへらと笑いながらコップに口をつけ……空だと気づいて顔をしかめるロックに、ウィルソンはため息をつきながら言った。


「ともかく、今は様子見だ。間違っても、『セラフィム』を動かすなよ?」

「わかってらぁ! 式典の間は大人しくしてるさ。その後は……知らねぇがな」


 そう不敵な笑みを浮かべて退席していくロックの背を、ウィルソンは蔑みを持った目で見送った。

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