第十二話 独立記念日

 独立記念日当日の朝。アダムスは演説会場になる独立広場のほぼ中心……“緑の館”と呼ばれる記念堂の一室で最後のドレスアップを行っていた。


「閣下、終わりましてございます」

「うん、ありがとう」


 コーディネーターにそう言ってチップを渡し、アダムスはにやっと笑って振り返る。


「どうだ大佐、まだ俺は色男か?」


 振り返った先に立つスタンフィールドが、微笑みを浮かべて頷いた。アダムスと出会ってから今までで、このやり取りをするのは何度目になるだろう。


「ええ、渋くてナイスダンディに見えますよ。若い方もきっとメロメロになります」


 そうやってスタンフィールドが褒めてやると、アダムスはいつも決まって少し気恥ずかしそうに苦笑するのだ。


「モテるのは嬉しいが、やり過ぎるとあの世の家内に雷を落とされそうだな」


 アダムスは三十年前のクーデター以前に、妊娠中だった妻を事故で失っている。

 スタンフィールドの目から見ても、本当に仲の良い夫婦だった。それ故に事故当時のアダムスの落ち込みようは、とても見ていられなかった。

 アダムスは妻を失ってから今の今まで、後妻を迎えることなく官邸で暮らしている。

 妻子のいない彼のファーストレディは、彼が特別猫可愛がりしている姪が務めている。

 だが、彼女もこのところ体調が思わしくないようで、今回の式典は欠席するそうだ。


「ご安心下さい閣下、そのときは僕が避雷針になりますよ」

「お! また始まったな、大佐の背高自慢が。君と隣り合ってると俺がチビに見えてならん。もっと離れてくれよ」

「生憎とここ閣下の隣は僕の定位置ですので。閣下が倒れそうになったら、すぐにでもお抱えしますよ?」

「お姫様みたいにか?」

「ええ、もちろん。そのまま舞踏会にだって行けますよ」


 そう言い合って、二人は笑った。

 四年前、末期の前立腺がんと診断を受けてから、アダムスは目に見えて老いた。

 表に出て演説する機会も減り、官邸の中にこもることが増え、筋力低下も著しい。

 老体にメスを入れることのリスクを考えて、治療は抗がん剤投与を主軸に行っているが、その副作用も彼の“引きこもり”を助長している。

 かつての小柄ながら引き締まった体躯も、爛々と輝いていた瞳も、白い歯も、今では衰え見る影も無い。

 それでも古馴染みと話すときだけは、かつてのような笑顔を見せてくれるのが、スタンフィールドには嬉しかった。

 それだけに、今の後継者争いを眺めているのが辛いのだ。


「……大佐、俺の跡を継ぐのは誰だと思う?」


 不意に、アダムスは真面目な顔でそう言った。

 空気を読んだコーディネーターが、足早に部屋を後にするのを見送ってから、スタンフィールドはそれに答える。


「少佐以外で、ですと少し悩みますね……僕はてっきり彼が継ぐものだと」


 少佐――ドナルド・アーヴィング理事長が退任と後継者候補からの離脱を申し入れてきたのは、つい昨日のことだった。

 あまりに突然のことでスタンフィールドは何も言えずに固まってしまったが、アダムスは面白そうな表情を浮かべただけで、あっさりとそれを了承してしまった。


「ロック局長は人望こそあれど過激派故に海外からの人気がイマイチですし、何よりキルグーシとの問題を再加熱させそうで恐ろしい。

 ウィルソン部長は他国での評価も高いですし官僚人気もありますが、人望の面では不安が残ります。それに、彼は湖畔派を掌握しきれていない。

 他の候補で言えば……消去法でキング参謀総長辺りでしょうか? 彼なら一番穏当に事が進みそうです」

「ハッハッハ、まぁ無難な人選だな。君らしい。俺もその前提ならそう思ったろうよ」


 アダムスはそう言って含み笑いをすると、ドレッサーの上に置いてあったコップの水を飲み干した。

 スタンフィールドは聞き返す。


「前提、ですか?」

「あぁ、前提ごと違う。少佐は諦めてなんかいないさ。それに……」


 アダムスはコップを元の位置に戻すと、一呼吸置いて言った。


「まだ、君もいる」

「ぼ、僕ですか!?」


 思わず目を見開いたスタンフィールドに、アダムスは破顔しながら何度も頷く。


「俺の跡は、君ら二人が争うよ。きっとそうなる」

「いやいや、僕には荷が勝ちすぎています。以前から申し上げていますが、僕に総統は無理ですよ。そもそも少佐には勝てっこない」


 そう否定するスタンフィールドの肩に手を置き、アダムスは不敵な笑みを浮かべて呟いた。


「いいや。きっとこの先、君はそうせざるを得ない状況に置かれることになる。もっとも、そうなった時に俺は多分この世にいないだろうがね。

 ま、頑張ってくれよ。総裁殿」


 そうとだけ言い残して、アダムスはさっさと部屋の外に行ってしまった。

 その場に一人残されたスタンフィールドは、しばらくの間じっと鏡に映る自分の姿を見つめていた。


「……総統、か」



 *



 緑の館と広場の間には、レッドカーペットで彩られた三十二段の階段がある。

 その階段のちょうど十三段目は他の段より幅が広く作られており、総統はここに演壇とマイクを置いて演説を行うのが通例となっていた。

 階下の広場には既に数えるのも億劫になるほどの大勢の群衆がひしめき合い、上空を旋回するヘリの音と相まって凄まじい喧騒を作り出している。

 そんな様子を、サングラスを掛けたアラタは『警備局』の職員達に混ざって段の中腹から眺めていた。

 胸を開いたジャケットが、風に吹かれて音を立てる。中に着込んだ防弾ベストはどうも防寒には不向きらしい。お陰で少し肌寒かった。


「今日はちょっと冷えるね。アラタ君、カイロいるかい?」


 アラタのすぐ隣で、同じように広場を眺めていた年かさの職員が、不意にそう言ってアラタに使い捨てカイロを差し出した。

 アラタは礼を言ってそれを受け取ると、懐の中に忍ばせた。冷えた体が、ほっと解けるように温かい。

 アラタはもう一度、年かさの職員に礼を述べた。


「ありがとうございます。お陰で集中出来そうです」

「ははは、そりゃ良かった。この前東洋に旅行したときに買い込んだ甲斐があったよ。それじゃ、おじさんは巡回行ってくるからこっちはよろしくね」


 職員はそう言うと、階段を降りて広場の方に行ってしまった。

 会場には『警備局』の職員の他にも、警官や民間の警備員、軍人など大勢の人々が動員され警備にあたっている。

 従来は『学園』の生徒も群衆の中に紛れて警備任務についていたが、去年や先日の件もあって今年は外されていた。

 学園関係者の内で、今この場にいるのはアラタだけ。……もっとも、表向きは、だが。


『あー、あー、こちら“パンサー”。きこえるか? “ケストレル”。どうぞ』


 ワイシャツの襟につけた小型の無線機から、そんな良く知る声が聞こえてくる。風紀委員長のトーマスだ。


「こちら“ケストレル”、良く聞こえるよ。どうぞ」

『そりゃ良かったわ。取り敢えず言われた通り、委員の中から腕利きのを会場に潜らせとるで』


 先日、アラタはトーマスと電話し、理事長にも内密に会場へ生徒を潜り込ませる事にした。

 この情勢だ。何が起こるかわからない。『中央』か『警備局』か、もしくはその他の勢力――例えば『セラフィムの意志』――が、総統暗殺を図るとも限らない。

 そうなればきっと、話は自然と学園責任の方向に持っていかれてしまうだろう。

 そうならない為に、アラタは会場で自由に使える手勢を用意する必要があったのだ。


「サンキュ。配置は?」

『ご注文の通りルカを東側出入り口に、ロッコとネリは群衆の中におるわ。ちなみに俺は国道側入口すぐ近くのカフェに待機中』

「了解。ひとまずこれで安心だな」


 ルカ、ロッコ、ネリの三人は、学園でも良く名の通った成績優秀者だ。二年生ながら今まで数々の困難な任務を完璧にこなして来た。その実力は、アラタも良く知っている。

 彼らに任せれば、不安は無いだろう。


「必要に応じて、またこっちから個別に指示を出す。それまでその場で待機を」


 周波数を、トーマス、ルカ、ロッコ、ネリの持つ四つの無線機に合わせ、アラタはそう指令する。


『はいよ』

『ラジャ』

『了解しました』

『ウィルコ』

『りょーかいっス!』

「ん?」


 トーマスに加え、他の三人の返事の中に一つ、あまりにも耳慣れた声が混じっていたのを、アラタは聞き逃さなかった。

 アラタは他のトーマス達四つの回線を切ると、ため息交じりに呟いた。


「なんでいる? てかどこだ?」

『西側出入り口の近所っス! 理由はしっかり説明するつもりっスけど……かいちょー、お時間大丈夫ですか?』


 リタのその言葉で、アラタは腕時計を見てハッとした。

 もうじき式典が始まる。無線機の向こうで、リタがクスクスと笑った。


『なんかあったらまた連絡するっスね!』

「あいよ」


 そう言ってアラタが無線を切ったのとほぼ同時に、左耳に付けたインカムから警備局の職員向け最終点呼の無線が入った。


『こちら式典警備本部。中央階段の“ケストレル”聞こえるか? どうぞ』


 アラタは一呼吸置いて、口を開いた。


「こちら中央階段担当の“ケストレル”。良く聞こえる、どうぞ」


 式典が間もなく開始される。

 会場に、動きはない。

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