第十三話 急襲
「ここも今日は随分賑やかだな。普段はもっと静かなのに」
トーマスが待機している、独立広場北の喫茶店のテラス席。
普段は人の出入りが少なく、その割に独立当初の古い町並みを一望できる雰囲気の良い穴場なのだが、この時期になると毎年演説会場に収まりきらなかった群衆やパパラッチで満席になる。
そんなすし詰め状態の店内にふらりと現れ、自身の肩を叩いてささやくその男の姿を見て、トーマスは背筋を凍らせた。
「理事長……」
「そう驚かなくても良いだろう。教師が教え子の晴れ舞台を見に来るのがそんなにおかしいかね?」
ドナルドは微笑を浮かべながら会場の方へ視線を向け、テイクアウトしたコーヒーに口をつけた。
「ルカ君、ロッコ君、ネリ君。この三人はアラタ君に依頼されて、君が選んだのかね? だとするならこの人選は正解だ。三人とも、きっちり務めを果たすだろう」
雑踏の音、車の音、群衆の会話やパパラッチのシャッター音。様々な音に満たされて、ドナルドの声はすぐ側のトーマスにしか届かない。
どうやらリタがこの場にいることまでは、知らないようだ。
「理事長。なんでここに来たんか、教えてもらえませんかね? そんなに俺が信用なりませんか?」
「さっき言ったろう。教え子の晴れ舞台を見届けに来た、と。……あぁそれと、もう一つ。いや二つ。君らに言っておかなくちゃならんことがあった」
そう言ってドナルドはまたコーヒーで唇を濡らすと、紙コップをテーブルに置いて口を開いた。
「一つは、君達の同級生が帰ってくることだ。ジョン・ドゥ。覚えているだろう? 北グルべに留学中の」
トーマスは眉間にしわを寄せ、小さく頷いた。
「ええ、そりゃ……でもなんでまたこのタイミングで? アイツはマイケル・ブラウンの孫娘の護衛してたはずでは?」
生徒会では副会長と図書委員長を務め、現在は大洋を挟んだ旧大陸の雄・北グルべ連邦にて対外長期工作任務についている。
アラタやトーマスとは同級生であり、特にアラタとは初等部の頃から付き合いのある友人だ。
文武両道語学堪能にして眉目秀麗。アラタがフェイの始末に関与しなければ、きっと彼が生徒会長になっていただろう。
北グルべに派遣されたのも、理事長の“秘密兵器”を今の学園を取り巻く情勢からの緊急避難的な意味合いがあるのだろうと、トーマスは常々思っていた。
それに、
(ジョンは、学生運動との繋がりが深いしな)
独裁政治を敷き、国民を統制し、反対勢力を弾圧するアダムス政権に対する不満は、クーデターの時代を知らぬ若年層ほど根強い。
軍部の後ろ盾を得て勢力を拡大する『警備局』や『中央』と対立するドナルドと、軍部独裁に抗う彼らは利害の上では一致している。
民主活動家らからの信頼を既に勝ち取っているジョンならば、彼らを焚きつけることなど造作もない。
ドナルドとしては、温存していた切り札を今のうちにいつでも使える場所に置いておきたいのだろう。
万一のことが、いつ起きても良いように。
「彼女の一時帰国が決まったのだよ。それに伴って、あれも帰ってくる。後でアラタ君にも教えてやってくれ、きっと喜ぶから」
「わかりました。そんで、もう一つの言っておかなくちゃならんことっていうのは……」
「あぁ、それはだね」
ドナルドはテーブルに置いた紙コップを再び手に取ると、トーマスの耳元で呟いた。
「私は、理事長を辞めるよ」
トーマスは、一瞬何を言われたか分からなかった。
頭の中が真っ白になる。動揺と困惑と驚愕で、心臓が滅茶苦茶に脈打った。
「それじゃ、そう言うことだからね。詳しいことはまた連絡するよ」
トーマスがようやく冷静さを取り戻した頃、ドナルドはそう有無を言わせずその場をさっさと立ち去ってしまった。
会場の方から、凄まじい歓声とどよめきが響いてくる。総統の演説が、もうそろそろ始まるらしかった。
*
『宣誓。
私は国権を遵守し、国家を保衛し、国民の自由と福利の増進に努力し、連邦府統一総統としての職責を誠実に遂行することを、国民の前に、厳粛に宣誓します』
三十年前、相次ぐ汚職や不祥事、度重なる総統交代による政情不安によって国民の信頼を完全に失した文民政権を武力で打倒したその男は、この場所でそう宣誓した。
そして今、男は同じ舞台に立ち、国民に向けて演説する。
アルトベルゼ諸州連邦第四十代連邦府統一総統アレックス・アダムス。
若さと力に満ち溢れていた彼は今、病魔と老いに巣食われている。
それでも、男は演壇に立ち、口を開いた。
古き英雄の演説を横目に、アラタは群衆の方へ目を向ける。
演説が始まって一、二分。今のところ、会場に目立った動きはない。リタや他の仲間達からの連絡も、まだ来てはいなかった。
(このまま何事も無けりゃ良いんだが……)
そんな心中での呟きとは裏腹に、きっと何かが起こるだろうという確信めいた思いがあった。
事態が動いたのは、その直後のことだった。
『東門よりケストレルへ。不審者を複数発見。年齢は恐らく十代後半から二十代前半頃、『セラフィムの意志』のメンバーと思われる。どうします?』
(来たか!)
東出入り口を張っているルカから、突如そんな無線が入った。
「会場に侵入する気配があれば阻止せよ」
『了解です』
双方短くそう言って無線を切る。瞬間、入れ違いに今度は群衆の中にいたロッコが無線を入れてきた。
群衆の奥が、微かにざわめいている。
『ネリが腹を刺されました、至急指示を乞う!』
東門から発砲音が聞こえてきたのは、それとほぼ同時のことだった。
ざわめきがどよめきに、そして叫び声へと変わっていく。
『こちら東門! 奴ら撃ってきました! 敵は三人、狙いは俺です! 応援と指示を乞う!』
「警備の人員が対処するはずだ。もう少し持ち堪えてくれ。
ロッコはネリの処置を周りに任せて、ルカのバックアップを頼む。
リタ、聞こえるか?」
『はいっス!』
「西門の脅威は低い。ロッコの穴埋めを頼む」
『りょーかいっス!』
西出入り口は国道に面した一番広い入口だ。それだけに警備の人員も他の出入り口より多く割り振られている。リタをここに置いたのは、もしものときの保険だろう。
東出入り口から、拳銃に混じってライフルのような音も聞こえてきた。ルカが痺れを切らす前に、警備の兵隊が応戦を始めたようだ。
警備本部からの指令が、次々にインカムから流れてくる。
総統も、演説を切り上げ避難誘導の為の声掛けを始めた。この状況で我先にと避難しない辺り、彼の“軍人魂”がよくうかがえる。
群衆はその声と警備員達の誘導で秩序を取り戻し、西出入り口の方へ逃れていく。
刺されたネリが、担架に乗せられ運ばれていくのが良く見えた。赤黒い血が、地面のタイルを濡らしている。
アラタは万一に備え、総統のすぐ近くに歩み寄りながら会場を注視し、トーマスに連絡を取ろうとした。
そのとき、広場に一人。若い男が立っているのを目にした。
黒いフードを被った、中肉中背やや猫背の得体のしれないその男は、ギラギラと輝いた双眸を持ち上げて、不気味な笑みを浮かべている。
柔らかな午後の風が拭き、フードが外れて男の素顔があらわになる。右手に握った拳銃が、嫌に黒光りしていた。
(ジェームズ……!)
アラタは懐から拳銃を引き抜くと、一目散に総統に向けて走り出した。
距離にして二十メートル強。
何かを思考する余裕など無かった。
ただ、守らねばと言う思いだけが胸にある。
それが仕事ゆえの義務感なのか、幼少の頃から刷り込まれてきたものなのかは、最早誰にも分からない。
アラタは全速力で走り抜き、空いた左手を伸ばしてアダムス総統の肩を突き飛ばした。
数発の弾丸が空を切る金切り声がアラタの耳を突いたのは、その瞬間のことだった。
伸ばした腕の中途の所が、熱した火掻き棒で刺されたように痛み出す。
黒いジャケットが、赤く重く湿っていく。
アラタは歯を食いしばって堪えると、会場をかえりみて銃口を向けた。
(どこだ、どこだ……!)
ジェームズの姿は、既にそこには無かった。
他の警備局員達が集まってくる。アラタは拳銃をその場に投げ捨てると、突き飛ばしてしまった総統の方へ駆け寄った。
「閣下、お怪我は」
「いや、俺は無事だ……君、撃たれたのか?」
その場にへたり込んでいたアダムスはそう言って立ち上がると、アラタの左腕を手に取った。
指先が次第に冷たくなる。だというのに、腕は燃えるように熱い。だが、総統の手を患わせる訳にはいかない。
「かすり傷です。ご心配なく」
そう言って腕を引っ込めようとした直後、アラタの耳を怒号が突いた。
「銃創を侮るな! 俺が元々医官なのは君も知っているだろう? 応急処置のやり方を忘れるほど、俺も年老いちゃおらん。
分かったらさっさとそこに腰掛けてジャケットを脱げ。これは総統命令だ!」
あまりにも突然のことで一瞬固まってしまったアラタは、すぐに言われた通りにジャケットを脱いで階段に腰掛ける。
不機嫌そうな顔で頷いたアダムスはその場にしゃがむと、自身のネクタイを外して患部の止血を行った。
「弾は出ていっていたみたいだな。じきに担架が来る、安静にしていなさい……こんな老骨の為に体を張ってくれて、ありがとうな。アラタ君」
そう言って止血を終えたアダムスは少し物悲しげに、それでも優しい笑みを浮かべてアラタの肩に手をおいた。
そんな彼の姿を、アラタはしばらく呆然と眺めることしか出来なかった。
独裁者アレックス・アダムス。
『学園』の生徒らにとって、尊敬と崇敬と信仰の対象であり畏怖すべきその存在は、意外な温もりと優しさを持ち合わせていることに、アラタはそのとき気がついた。
自らに向けられた優しげな瞳の奥に、アラタは知らぬ間に亡きフェイの面影を知らぬ間に重ねていたのかも知れない。
間もなく、担架を持った救護班が駆けつける。
アラタはそれに載せられて救急車に移送され、やがて意識を失うまでの間中、ずっと先程の光景を脳裏で反芻し続けていた。
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