第二十二話 蜘蛛の糸
教会敷地内に部屋を与えられたアラタは、カーテンの隙間から射し込む青い月明かりを眺めつつベッドに横になっていた。
頭の中を駆け巡るのは、数時間前に直面したフェイの墓標と遺言じみたあの刻印。
活動家達にとって都合もタイミングも、あまりにも良すぎるのでは無いかと思わなくもない。
本当にフェイが自由やら民主主義やらに心血を注いでいたのかと言うと、それも少し怪しいようには思える。
「俺がそう信じたいだけ、なのかね……」
ここ数日、精神的にも随分参っていた自覚はあった。
トーマスやロッコの裏切りに直面し、誰が『セラフィムの意志』のメンバーか分からない状況に、孤独感のようなものを覚えている認識もある。
信じられる仲間のリタはネリの護衛で身動きが取れず、ルカは今一信用し切れず北に送った。
『学園』を去った先代理事長のドナルドは依然何を企んでいるか分からない不安要素ではあるし、その側近のエレノアの事も信じ切れない。
(この期に及んでまだ先輩に縋るなんて、情けねぇなぁ)
生徒会長の職責は、『学園』を今後も存続させる為の音頭を取ること。何か国内で事が起きれば、『学園』の生徒たちを勝者の側に導くことが求められる。
そういう立場になりたくて必死に準備や根回しをする生徒達が大勢いる中、特に望んだわけではない自分がこの席に座っている。
愛する人の生血で汚れた手で、望まぬ席を与えられ、気付けば未曾有の難局を乗り切る船頭としての立場を期待され、あるいは疎まれ裏切られ……冷静になってみれば随分理不尽だと笑えてくる。
この問題に答えはない。二足す二は四かもしれないし、五かもしれない。
答えなき世界で正答を選び続けろと、望まぬ立場で暗中摸索を強制され続ける日々の中で目の当たりにした墓標の言葉は、アラタにとっては天啓のようにすら思えた。
明確な答えがここにある。天使が残した、正答が。たとえ間違っていたとしても言い訳と責任転嫁の出来る、天から垂らされた蜘蛛の糸。
(それで、良いのか?)
楽な道を行こうとしているだけではないか?
「……分かんねぇ」
自分の心の問い掛けに、アラタはそう言葉を濁した。
卑怯で卑屈な己の作った、貧弱で弱腰な理論武装を目の当たりにするのが、堪らなく怖かった。
自覚するのが、恐ろしかった。
月光を浴び、芋虫のようにベッドにうずくまっていると、やがて扉が開いてエレノアがシャワーから帰ってきた。
空き部屋が他になかったのか、二人は一部屋を共有することになっている。中等部の頃と同じ、ルームメイトというわけだ。
「あら、相棒もう寝ちゃってる? 怪物に襲われても知らないぞぉ?」
「起きてるよバカ、射ち殺すぞ」
クスクス笑いながらベッドに滑り込んできたエレノアに、アラタは背を向けたままそう言い放って毛布をかぶる。
シャンプーかボディーソープか、エレノアが近づくと少し甘い、懐しい匂いがする。
エレノアは静かに自分も毛布に潜ってアラタの背に密着すると、まるで抱き枕の様に腕と脚を回して抱え込んだ。
「懐かしいね、この感じ」
「昔は二段ベッドだったろ? 宇宙人に脳ミソ弄られたんじゃないかお前。とっとと離れろ暑苦しい」
そんな軽口と共に身をよじるアラタを、エレノアはなおも強く抱き締めながら耳元で囁く。
「そっちこそ、ベッドが一つ壊れたときのこと覚えてない? あのときは直るまで一緒に寝てたでしょうが。
それに、今は冬だぜ? ボクは寒くてたまらないよ、温めておくれ……」
「暖房器具なら部屋のストーブで充分だろ。良いから離せよ」
言葉とは裏腹に高鳴る心音を悟られるのが嫌だった。背に伝わる感触が、記憶にある昔の「バディ」と違うことを宣告する。
この期に及んで彼女に恋するだとか、胸の内全てを明かすだとかそういうつもりは一切合切何も無い。だが、それとこれとはまた分野が少しばかり異なるらしい。
精神制御の訓練をもっとしっかりするべきだったと、アラタは今更ながらに後悔した。
そんな微かな抵抗を見せるアラタの内心などつゆ知らず、エレノアは先ほどでとは打って変わって真面目な声で静かに言葉を紡ぎ出す。
「ねぇ、相棒。覚えてない? 同じ部屋になって、一週間位経ったときのことだったかな」
「あ? 何の話だ?」
「中等部になってすぐの頃の話だよ。
ボク髪も肌も実験用のハツカネズミみたいに真っ白だし、自分で言うのもなんだけど成績も良くて理事長に目掛けられてたからさ、幼年部の頃からずっと化け物とか実験体だとか言われて遠ざけられてた」
「あぁ、そんな事もあったかな」
一呼吸置いて、エレノアはまた口を開く。
「キミだけだったんだ。ボクと普通に接してくれたのは。
化け物呼ばわりすることも遠ざけようすることも、特別扱いだってせずに普通に、適当に接してくれた。嬉しかったんだ、それが、凄く」
「教えられた通りに振る舞っただけだ。自己の主観に基づいた短絡的な判断は腕を鈍らせる。常識だろ?」
諦めたように抵抗をやめ、ため息交じりにそう返すアラタに、エレノアは喜びを噛み締めるように微笑んだ。
彼女の温かな吐息が、首筋や耳を撫でる。意識すまいと無心になる努力を始めたとき、またエレノアが口を開いた。
泣き出しそうな、か細い声で。
「そういうとこだよ、ボクがキミを好きになったのはさ」
「は、はぁ!?」
驚きのあまり大声を上げたアラタに構うこと無く、手足に力を込めたエレノアがまくしたてるように言う。
「勝ち目なんか全然無いのは分かってる。分かってるんだ、分かってたんだ……ずっとずっと、昔から。今日、キミがあの人のお墓に対面するより、もっとずっと前から、分かり切ってたことなんだ……。
だからボクは、キミのことが好きなだけ。他には何も求めない。ただ、勝手にキミが好きなだけ。今のキミはきっと信じてくれないだろうけど、本当にそれだけなんだ」
アラタは何も言えなかったし、エレノアがそんなことを思っているだなんて考えもしなかった。
秘匿事項の戸籍名を明かされたときも、性別を知ったときも、相方として信頼してくれている故のことだと思っていたのだ。
思えば相当に迂闊で、鈍感だ。
数分経って、アラタはようやく口を開いた。
「……すまん」
エレノアは、寂しそうに笑って言った。
「ううん、良いよ。良いんだ。でも、でもね、これだけは良く覚えておいて。
ボクはたとえキミに信じてもらえなかったとしても、アーヴィング元理事長にも神父様にも、他の誰にも心の底からなびくつもりは全く無い。
これまでも、今も、これから先も、ずっと永久にキミだけの味方であり続ける。
キミの為なら、ボクは喜んで死ぬよ」
アラタはエレノアの手のひらをそっと握り、小さく首を横に振る。
エレノアの細く柔らかな指先は驚くほどに冷たく、ほんの少し震えていた。
「なら、生きてくれ」
夜は次第に更けていく。
返事の代わりに、エレノアはアラタの首筋にそっと口づけをした。
静まり返った部屋に二人の寝息が聞こえ始めたのは、それから随分経ってからのことだった。
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