市立スパイ学園の生徒会長〜『天使殺し』の英雄が、国家転覆を図るまで〜

かんひこ

序章

序章 処刑台

 聖暦二〇二二年五月某日。

 潮騒のような群衆のざわめきに満ちた公開処刑場。

 その絞首台のてっぺんへ伸びる階段を登りながら、青年は初めて殺した相手のことを思い出していた。

 暗号名コードネームケストレル、『天使殺し』、ブラック・キッド、あるいはアラタ・L・シラミネ……青年には様々な呼び名があったが、本名を知るものは――青年自身も含めて――誰もいない。

 生まれた直後に売り払われ、それ以来政府の下『セントラルシティ特別市立特殊工作員養成学園』にて十八年間、工作員スパイとしてのイロハを叩き込まれて生きてきた。

 友愛も、親愛も、人との関わりから生まれる温もりも、本質的には何も知らずに、ただ諜報活動としてのコミュニケーション能力と暗殺術、それに伴う各種技能だけを骨身に深々と刻み込まれてきた青年に、人を愛するということを教えてくれた先輩は、もう居ない。

 何故なら彼女は、青年が初めて殺した人間だから。


「囚人番号一九八四。前へ」


 気がつくと、既に絞首台のてっぺんに登りつめていたらしい。

 台の下でスタンドマイクにそう傲慢ごうまんそうな声を吹き込む処刑見届人に促され、青年は一歩前へ出た。

 

 空は汗ばむほどに晴れ渡り、眼前の首吊り縄はビル群の隙間から覗く太陽の逆光で黒い影に包まれている。

 その黒い輪の向こうには、三メートル程度の鉄柵越しに彼の死の瞬間を見ようと集まった、大勢の市民やマスコミの姿が見えた。

 見届人の声に、集った群衆は凪のように静まり返る。

 そんな彼らを、落ち着かなげな重武装の憲兵隊が囲うように見張っていた。

 静寂に満ちた処刑場。そこに集うほぼ全ての人間の注意が、青年一人に向けられている。


(俺は、幸せ者だ)


 自らの生まれ故郷の土の上で、大勢の人々に見送られながら死ぬのだから。そしてその死を、それに至るまでの経緯を、経歴を、公開文書として記録してもらえる。この死を、意味あるものにしてくれる。

 だが、先輩はそうではなかった。

 任務として潜入していた異国の地で、青年以外の誰にも見送られることなく、誰の記憶にも、記録にも残らずひっそりと、目をかけてきた後輩の手で射殺された『五大湖の天使』。


(俺は、あなたの死をなんら活かすことができなかった……)

 

 今でも、あの無邪気で底抜けに明るい笑顔が、眉間にぽっかりと赤黒い穴を開けて冷たくなった死に顔が、脳みそに焼き付いて離れない。


 ――ごめんね、アラタ君


 今際の際、燃え盛る鉄筋コンクリート造の軍事施設の地下室で、そう言って目尻に浮かぶ温かな雫を指先で拭ってくれた彼女の笑みと優しげな声を思い出すたび、青年は耐え難い苦しみに苛まれる。

 だが、それも今日で終わりを告げる。

 青年は両隣の刑務官に促されるがままに、静かに縄に首を通した。


(フェイ先輩、許して下さい)


 あなたの教えてくれた通りに生きられなかった、愚かな俺を。あなたの今後の人生を奪ってまで生き長らえたのに、自ら死を選んだ馬鹿な俺を、どうかあの世で叱って下さい。

 刑場にそよ風が吹く。青年の黒い髪が小さく揺れた。


「罪状、前連邦府統一総統アレックス・アダムス閣下以下三名の殺害に伴う特級殺人及び国家転覆未遂。

 一九八四番、最期になにか言い残したいことはあるか?」


 太っちょな見届人は、そう仰々しく青年に尋ねる。

 やり残したことも、後悔も、考えれば考えるだけ際限なく湧き出てくるが、どれも口にしたいと思うほど価値があるようには思えない。

 青年はふと刑務官に目をやり、刑場の警備員達に視線を移し、見物客達の方を見た。


(いるんだろう、リタ。きっとお前はこの中に)


 青年は胸の内で、この物言わぬ群衆の中の何処かで、自分が死ぬ瞬間を見守っているだろう後輩に語り掛けた。自らの死後、この国を担うべき次世代の先頭に立つべき者だ。

 優秀な工作員だ。手先も器用で口もたつし、何より美人でハニートラップもお手の物。そんな後輩に今更なにか教えることなど何も無いが……一つだけ、伝えておきたい事があった。

 工作員同士としてではなく、先輩と後輩として、是非とも伝えておきたい、祈りにも似た伝言が。

 かつて愛した先輩に託され、それでも達成することが出来なかったタスキを、青年はその場で後輩に繋ぐ事にした。


「永久の民主主義Democracy、永久の自由Liberty、永久の平和Peaceこれらがいつの日が、この愛しきこの国で、人々の強い意志の力によって達成されんことを切に願います。

 我が祖国、偉大なるアルトベルゼ諸州連邦に栄光あれ」


 やるべきことは、もう何も無い。あとは、を待つだけだ。

 青年の心は不思議と、凪の水面のように静かで落ち着いていた。

 ざわめきに包まれていた刑場が、今や耳が痛くなるほどにしんと静まり返っている。

 重苦しい、身の締まるような沈黙を、無粋な見届人が切り裂いた。


「それではこれより、死刑を執行する」


 見届人の手元には一つの赤いボタンがあった。これを押せば青年の足下の床が開き、彼に全自動で死をもたらす。

 刑場の緊張が頂点に達した。青年はゆっくりと目蓋を閉じて、その時が訪れるのをじっと待った。


 一呼吸の後、乾いた一発の銃声が響き渡り、天へと高らかにこだました。
























 時は、二年前まで遡る。

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