第三十四話 事変

 乾いた発砲音が無数に響く。

 咄嗟に身を屈め、アラタは直撃を回避する。

 風切り音が耳や頬を掠める中、視界の端のリタがもう一度叫んだ。


「かいちょー!!」


 薄い膜のように己を覆っていた恐怖心が、刹那弾けたような気がした。

 アラタは静かに顔を向けて立ち上がる。


 両方の瞳に決死の覚悟を宿したリタがこちらに向けた銃口が火を吹く直前、アラタは胸をドンと突かれたような衝撃に見舞われ、後ろに倒れた。

 景色がゆっくりと前に上に流れていく。

 遅れてきた銃声が、エコーを掛けたように反響する。

 驚いたような表情を浮かべるリタの、血と土に汚れた顔を最後に、アラタは意識を失った。


(悪い、リタ……)



 *



 アラタの身体が、丸太棒のように後ろに倒れるさまを、リタは何かに魅入られたかのように凝視していた。


「命中! 命中!!」


 発砲した機動隊員の声も、その後に続いて動かなくなったアラタの確保のために、ゴミを漁るカラスのようにむらがる様子も、何処か遠いところのように思える。

 アラタが、死んだ。

 目の前で、誰とも知らぬ第三者の手によって。

 驚きと悔しさと怒りと……言葉に出来ない感情が身体の中で渦のようになって、リタはしばらく放心した。

 燃え尽き症候群。そんな言葉では片付けられない何かが、胸の内をぐるぐると巡っている。


 涙も、汗も流せぬまま、救急隊が列をなして到着し、アラタや他の四人を半ば儀礼的に救急車に乗せて輸送していくのを横目に、リタは枯木のように立ち尽くしていた。

 額の傷は、もう硬くかさぶたが張っている。


「おい、リタ」


 雑踏に紛れてはぐれてしまったネリに背後からそう声をかけられて、リタはようやく正気を取り戻すことが出来た。

 彼女の青白い顔を見て、ネリも何があったかを悟ったらしい。


「殺して、あげられなかった……間に合わなかった……」


 振り返ってそう呟き、リタは膝から崩れ落ちる。

 そうしてから、彼女はようやく慟哭どうこくすることが出来た。


 再び空に、重いねずみ色の雪雲が掛かる。

 間もなく寒波とともに白い雪が降りしきるようになると、二人は連れ立ってその場をあとにした。



 *



『では、計画通りに?』


 電話口で興奮をなんとか抑えながらそう聞く神父に、スタンフィールドは陸軍本部に向かう車内で頷き答えた。


「なんとか上手く運びました。これで彼らも計画の変更を迫られるはずです……軍部を掌握するには、充分過ぎる時間が稼げる」


 この国は、どこまでいっても軍事独裁大国だ。

 憲法や民意よりも軍の支持が優越する政界において、いかに民主派支持とはいえ彼らを無下にすることは出来ない。

 その点、スタンフィールドは実に都合の良い人間だった。

 優秀な軍人として軍内部に多くの支持者を抱え、且つ民意を汲むことが出来るこの男は、まさに次世代の総統に相応しい素質を持っている。

 それ故に、下らぬ足の引っ張り合いに巻き込まれて失脚させられる可能性が高く、あくまでも後継者にはならないというスタンスを取る他なかった。


(だが、それも今日でおしまいです)


 最高権力者のアダムスが死んだ今、その権限は自動的に二番手のスタンフィールドに委譲される。

 伝説を残して死んだ兄ジャック・グレイの後を継いで独立軍を導いた初代総統ジェームズ・グレイの様に。


(思えば閣下と僕は、兄弟のようだった)


 面倒見の良い、豪快な兄貴分。

 不器用だが優しく、器の広い彼を、自ら死地に追いやってしまった。

 その行いを、この国の民主化等という大義を楯に正当化せねばならないことに嫌悪感を抱かぬ理由は無いが、甘んじて飲み込まなくてはいけないことも同様に分かっている。


「……ままならないもの、ですね」


 通話を切り、一人そう呟いてスタンフィールドは空を見上げる。

 灰色の雲が空を覆うセントラルシティ。思えば三十年前のクーデターの日も、こんな空だったような気がする。

 あのときはまだ若く、限界など誰も知り得なかった。

 自分達が手を組めば、なんだって出来るような気がしていた。


 気がつけば、彼は一人きりになっていた。

 これからは、たった一人で歩んでいかなくてはならない。

 自ら選んだ道とはいえ、それがどうにも物悲しく思えてしまい、スタンフィールドは深い溜め息をついた。


 アラタ・L・シラミネの意識が戻ったと連絡が入ったのは、その直後のことだった。

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