29-2 子別れ

 シンガポールの屋台ホーカーで、えさはコーラ片手に送信ボタンを押した。

〔れんさんと葉山で会う件は、仏像がしこしこさんから直接聞いたんでしょ。だったらやましい関係じゃないよ。きっと、服を買ってもらったのも何か事情があっての事でしょ。思い込みでパパ活だって決めつけずに、しこしこさん(仏像父)に直接事情を聞いたら〕


〔何でほぼ面識のない女子大生に服から靴まで買い与えるんだよ。それに、俺とぶつかっただけで鼻血を噴いて倒れる女が、俺を見てもスルーの上に麺棒をガン見。その上、俺のお気に入りのペンを貸してやったのにノールック! ありえねえ〕

 またしても即座に帰って来た余裕のない返答。


「うはっ。痛いわあ」

 餌はスマホを尻ポケットに入れると、目の前でエビのサテー(串焼き)にかぶりつく高梨教授との会話に復帰した。

「いやはやこじらせた2DK(高校二年生男子)喪男もおとこは厄介です。王子様キャラからあそこまで落ちるとは。今の奴に何を言っても響かなさそうなので、放置プレイで行く事にしました」

 仏像とのやり取りを一方的に終えた餌は、熱々のラクサとエビのサテー(串焼き)に手を付けた。


「僕が高二の頃は……。『リア充養成』セミナーに小遣いはたいて、モテる香水やらブレスレットを買って妙な匂いをプンプンさせていたものだから、天然のシールドが出来て電車通学が快適だったなあ」

 フケが飛びそうな髪を無造作に掻きながら笑う姿から漂うのは、パクチーの匂いに紛れた加齢臭。『人に歴史あり』とはこの事かと思いつつ、餌は目の前の天才をまじまじと見つめる。


「クールを気取って大切なものを失って。感情のままにぶつけた言葉で取り返しのつかない傷を負って負わせて。その反動で殻に閉じこもって。でも今時の高校生はそんな無駄足は踏まないか。僕らの頃よりずっとクレバーだものね」

 高梨教授はビールを煽ると、プハーっとオヤジ臭い息を吐いた。

「もう一本飲みますか」

「いや、この辺で止めておくよ。もし君が大人だったら、洒落たカクテルバーにハシゴしたいけれど。今は『モナコ』が猛烈に飲みたい気分でね」

「モナコ? そんな銘柄のお酒があるのですか」

「ビールを使ったカクテル。屋台ホーカーにはそんな気の利いたものは無いから」

 高梨教授は恨めし気に酒の屋台を見た。

「そうそう。ちょうど今『みのちゃんねる』がモナコで稼働中ですよ。だから、猛烈にモナコが飲みたくなったのでは」

「そうか、みのさん(シャモ)がモナコにねえ。みのさんとも飲みたいなあ。何でだろう、みのさんとは焼き鳥と安いサワーで乾杯したくなる」

「あれほどモナコが似合わない男もそうそういないと思います」

「違いない」

 二人で一しきりシャモを肴に笑い合うと、つと高梨教授が素面になった。

「それで、進学先は結局どうするの。シンガポールは肌に合いそう」

「僕は高梨教授に憧れてシンガポールの大学に行こうと決めたつもりでしたが、正直迷いが出てきました。高梨教授は『子別れ』をご存じですか」

「『子別れ』。物騒じゃないか。怪談?」

「いえ、落語の題名です」

「そりゃ知らないねえ。みのさん(シャモ)は落語の話も『みのちゃんねる』でしていたけれど、僕はそっち方面はからきし」

 高梨教授は白髪交じりの頭をわしゃわしゃと掻く。

「僕たち親子三人の関係は『子別れ』にどこか似ているなと常々思っていたので。落語の『子別れ』は、別れた夫婦が子供がきっかけになってめでたく復縁。でも現実はそう甘くなくって」

「お父さんは『金魔』の伴林太郎さんだよね。そりゃ落語に出てくるような下町のおとっつあんとは勝手が違うよ。で、それと進路に迷いが出たのとはどんな関係が」

「ジャカルタやシンガポールを中心に仕事をしていたはずの父が来日していて、夏前からちょくちょく会っているんです」

 餌は父のお下がりのロレックスに目を落とした。これもいつぞやの密会時に、押し付けられるように受け取ったものだ。

「シンガポールに進学したいその真意は、父のそばにいたかっただけではないのかと。それに、親子三人で暮らしたジャカルタとここの空気はどこか似ています」

「マフィアに寝込みを襲われた『武勇伝』が十年ぐらい前の話だっけ。お父さんのインタビュー映像だと面白そうに話すけれど、君はその時点で小学三年生ぐらいだものね」

 餌は大きくうなずいた。

 今でも鮮明に思い出す硝煙の匂い。警報装置が鳴るのにもお構いなしで寝室に近づいてくる足音。

『こいつは面白くなってきやがった。母ちゃんを頼むな。逃げ切るまで静かに良い子にしてろ。手筈は全部整っているんだ。安心しな。後の事は父ちゃんに任せろ』

『父ちゃん! 父ちゃんも逃げようよ』

『チビすけは黙ってな。こっからが最高にお楽しみなんじゃねえか』

 カラカラと笑いながら抱き上げられ、脱出用シュートに投げ込まれた生後九年目の小さな体。

 母の、気丈に抱きしめるその腕と裏腹に早鐘を打つ心音。

 そのすべてが、生後十七年を超えた餌の身に一気に降り注ぐ。

 気が付けば、餌は放心状態で静かに泣いていた。


「いきなり一家散り散りになったんだ。ようやく一家が日本で再会したのに、一人海外に移住するのも心残りがあるだろう。伴君。君の決断が何であれ、僕はそれを支持する。君と酒が飲めるようになるまで後三年。その時は君に『モナコ』をおごるよ」

「三年なんてあっと言う間です。がっつりおごられますからそのつもりで」

 涙をぬぐった餌は屋台ホーカーの出入り口をくぐる。どこか甘ったるいココナツベースの料理の香りに人いきれの名残が、細く長くたなびいていた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


※マフィアに寝込みを襲われた件→

https://kakuyomu.jp/works/16817330659394138107/episodes/16817330659397012546


※父親(金魔)との密会→

https://kakuyomu.jp/works/16817330659394138107/episodes/16817330660098126496


※父親の『金魔』っぷり→

https://kakuyomu.jp/works/16818023213029248935/episodes/16818023213556950092

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る