6 天才少女しほりん

〔下〕「一番最後の曲もクラシックなん?」

 サッカー部の下野しもつけにとっては人生初のコンサート。

 退屈する間もないプログラムに興奮した下野しもつけが飛島にたずねるも、飛島も首をひねる。


〔飛〕「どうなんだろう。僕も聴いたことが無いよ。長津田君なら分かるかな」

〔長〕「僕にも分からなかった。ロビーに曲目一覧があるはずだから見ようか」

 コンサートに行き慣れている長津田に連れられて、下野しもつけは飛島と共にロビーに向かう。


~~~


【本日のプログラム ピアノ/松田松尾まつだまつお


J.S.バッハ イギリス組曲第三番 BWV808

ショパン アンダンテ・スピアナートと華麗かれいなる大ポロネーズ Op.22

(休憩)

ブラームス ソナタ第一番 Op.1


アンコール

一曲目 バッハ=グノー アヴェ・マリア 

二曲目 ゴッドシャルク バンジョー Op.15


~~~


〔長〕「ごめん、見ても分からない」

 やおらスマホを取り出した長津田ながつだ下野しもつけがぼんやりと見ていると、後ろから若い女性の声がした。


〔ピ〕「『落研ファイブっ』の下野しもつけさんですよね。これ、松田さんに渡していただけますか」

 薄茶色のフレアワンピースにベビーピンクのサマーニットを羽織った女性は、有名ショコラティエの紙袋を下野しもつけに押し付けようとした。


〔下〕「『うさぎ軍団』のピンクうさぎさん。じゃなくて。えっと……。藤沢さんっすよね。まだ楽屋にいるはずなので、直接渡したらどうっすか」

〔飛〕「連絡してみますね」


〔ピ〕「ちょっ、ダメっ。会わなくていいから」

 ピンクうさぎはゆるくアップにした髪を振り乱しながら飛島を止めた。


〔下〕「だってそれ差し入れっすよね。『落研ファイブっ』は『うさぎ軍団』さんとは二回も対戦したし。知り合い枠で楽屋に行っても大丈夫だと思うんっすけど」

〔ピ〕「ひどい事を言うかも」


〔飛〕「ひどい事って」

〔下〕「まっつんは、えっと松田君はそんな奴じゃないっすよ」

〔ピ〕「いえ、私が。私が彼にひどい事を言うかも」

〔長〕「何で」

 ただでさえ女性と話す機会の少ない男子校の高校一年生トリオ。


〔坂〕「皆、そんな所で何やってるの」

 ピンクうさぎの発言に思わず固まった三人に、管弦楽部かんげんがくぶの有志を引き連れた坂崎が声をかけた。


〔ピ〕「と、とにかくよろしくお伝え下さい。では」

〔下〕「ちょっ、ちょっと待ってくださいって。うわ危ないっ」

 下野に差し入れを押し付けてヒロインさながらに駆け出したピンクうさぎは、バックストラップパンプスのヒールを派手に滑らせて転倒した。


〔飛〕「大丈夫ですかっ」

〔坂〕「頭は打ってない。話せる?」

 飛島と坂崎がはじかれたように駆け寄るも、尻から背中を強打したピンクうさぎは動けずにいる。


 ややあってピンクうさぎがいずるように上半身を起こすと、あらあらと言いながら総白髪のふくよかな女性が近づいてきた。


〔客〕「あらまあ、誰かと思えば史帆理しほりちゃんじゃないの。ケガはない? またピアノを始める気になったの。大きくなったからすぐには分からなかったわよ」

 坂崎と飛島は、総白髪の女性にピンクうさぎを任せるように身を引いた。


〔長〕「あの女性は麻生あさお芸術大学の成瀬教授だよ」

〔飛〕「良く知ってるね。と言う事は彼女が『天才少女しほりん』か。それにしても面影おもかげが無い」

 クラシックオタクの長津田ながつだの指摘に、飛島が小声で応じる。


〔長〕「そう言えば、元々演奏するはずだったピアニストは成瀬門下なるせもんかだ」

〔飛〕「ピンクうさぎさんは松田君目当てではなくて、成瀬門下つながりで元々チケットを持っていたって事か」


〔下〕「ピンクうさぎさんもピアノが弾けるん? ナルセモンカって何」

 そのまま成瀬教授に付き添われてタクシーに乗り込んだ『しほりん』を見送ると、下野しもつけは困り顔で押し付けられた紙袋を見つめた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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