29 喪男たち

 ここはシンガポール某所の屋台ホーカー

『ねえ、ちゃんと見て。イイ子ね♡』

 えさのスマホから響く、伝説のセクシー熟女優・森崎いちごの悩ましい着信音。

「はいかしこまりましたいちご様♡ 何だ、仏像か……。うわ僕がシンガポールにいる間に面白い展開に」

 風紀に厳しいシンガポールでも通常運転のえさは、『にちゃあっ』と邪悪な笑みを浮かべると、仏像からのSNSに返信した。


〔前回あらすじ。父と井原いのはられんのを阻止すべくカチコミを決めた元『スノボの王子様』こと政木五郎まさきごろう(仏像)。しかし肝心かんじんの井原れんは『ペン回しの王子様』ことロトエイト(麺棒眼鏡めんぼうめがね)に一目ぼれ。喪男もおとこ化した元『スノボの王子様』に救いはあるのか――〕

〔俺がせっかく気を利かせてペンを貸してやったのに無視だぞ無視。こっちに尻尾を振ったかと思えばあっちにそっちに。やっぱり女は信用しちゃならねえ〕

 ドラマのあらすじ的に返信したえさに対し、仏像は余りにも遊びの無い返しだ。

「これは仏像、相当来てますなあ……」

 餌がにやにやしながらココナツシェークをすすっていると、ぼさぼさの白髪交じりのくせっ毛に小太り体形の男がビール瓶片手に近づいて来た。ネルシャツにケミカルウォッシュのジーンズを履き、使い古してすり切れたウエストポーチを三段腹にちょこんと乗せている。


高梨たかなし教授、先に一杯やっててください。僕はしばらく手のかかる子猫ちゃんのお世話をしなければならないので」

 二階ぞめき名義で『みのちゃんねる』に高額投げ銭を惜しまぬ彼―高梨藤一郎吉成たかなしとういちろうよしなり―は、シンガポールを代表する名門大学に長らく籍を置いた後に、王海大学おうかいだいがく商学部教授となった行動経済学の世界的大家。

 だが誰が見てもとてもそうとは思えぬ格好は、どこにいても良く目立つ。


「子猫ちゃん? もしかして『どきどき☆マジカルデイサービス』のいずみちゃんの事なりか?」

「また香ばしそうな……」

「今かなり来ているギャ、ギャ、ギャルゲー? 足湯イベント、お遊戯イベント、おやつイベントでふぇっ、デュフフフ。運営は神対応にしてシチュエーションが微に入り細に入りいまそがりグラフィックがモーキタコレー! なんだもの(みつを)。いずみちゃんは、そそそ」

 高梨教授は体をぐいっと前のめりにして、やおら早口で畳みかけた。目が常人のそれではない。


「そそそ、いずみちゃんはお話しまでは難易度C。その後が難易度SSS。課金無しで縛りプレイ中なんだなコレがやっぱり課金なしで落としてこそ男のロロロマンなんだもの(みつを)。しかれども足湯イベントこれ男子一生の難事業なり。強課金か、課金無しか。それが問題、否。おおおお男たる者課金無しでこじ開けてこそ選ばれし勇者に御座候の大納言。いずみちゃんのお話しタイムはエエエエンドレスサマーループをほうほうほうふつとさせ」

「これが『いずみちゃん』? 僕もこじらせ熟女フェチではありますが、これはさすがに」

 高梨教授のスマホの待ち受け画面を占領するのは、猫耳キャップに子猫柄のどてらを着こんだ八十代位の女性のイラスト。餌は改めて、アイガー北壁並みにそびえたつ天才・高梨藤一郎吉成を超えるのはあらゆる意味で難しいと感じつつ、対オタク必殺技――相手にしない――を繰り出した。


「子猫ちゃんは僕の部活のこじらせ野郎の事です。手短に済ませますのでしばらく失礼」

「何だそう言う事ね。じゃ、遠慮なく先に食べてるね」

 古き良き喪男もおとこオタクモードから無事に生還した高梨教授から視線を外すと、餌はスマホの向こうの仏像とやり取りを再開した。


〔ねえ喪男もおとこ(仏像)。もしかして喪男(仏像)ってれんさんの事が好き?〕

〔いちいち『喪男(仏像)』って呼ぶな。確かに二学期から喪男化が急速に進んでいる気がするが、他人にそう呼ばれるとイラつくわ〕

 再び手の掛かる子猫ちゃんこと仏像に返事を送ると、仏像からの返事は即時についた。

〔れんさんの事は否定しないんだね。そうかやっぱり仏像ってれんさんが好きなんだ〕

〔そんな訳あるか。俺の親から金を巻き上げるパパ活女を好きになる訳が無いだろ〕

〔れんさんがパパ活? しかも現在無職のしこしこさん(仏像父)からお金を巻き上げるって何の冗談?〕

〔冗談でこんな事を言う訳がねえ。俺、正直かなり参ってる〕

 実は仏像父には家賃収入もある事を知っているから叩ける軽口なのだが、仏像は深刻そうな雰囲気のままだった。



「高梨教授、もし自分の父親が、自分のファンの女子大生に服やバッグを買い与え、観覧車とコーヒーカップに一緒に乗り、葉山のペンションで会うと聞いたら」

 餌は空心菜くうしんさいの炒め物をビールで流し込む高梨教授に声を掛けた。

「いずみちゃんだったらともかく、女子大生? 全然うらやましくないね」

「『どきどき☆マジカルデイサービス』のいずみちゃんからはしばし離れましょう。友達が、『父親が自分のファンの女子大生にカモにされている』って、ミャーミャーうるさいんですよ」

「自分のファンって? はん君の友達ってスゴイ自信家だね」

「ついこの間までは恐ろしい勢いでモテまくった男で、ファンは確かに大勢いたのですが……。今はすっかり喪男もおとこに成り下がり、本人に自覚がないのが痛いところで」

「葉山のペンションで会うなんて、まるで懐かしのトレンディドラマみたいな展開だねえ。伴君はそう言うの、知らないでしょ。僕も憧れたなあ。モテる香水とか買って頑張ってみたんだけど」

「そもそも頑張る方向が間違っているような」

 聞く相手を間違えたと思いつつ、餌は仏像に返答を送った。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


※懐かしの『二階ぞめき』こと高梨教授のリアル初出回はこちら。

https://kakuyomu.jp/works/16817330659394138107/episodes/16817330659397210547

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る