4 頼みごと

 仏像が松尾にSOSを発してから一夜明け――。


〔餌〕「松田君もしこしこさんのフォロワーに」

〔松〕「時代劇に出てくる巻物みたいな手紙を渡されて。やたらに圧の強い毛筆で、墨が半乾きのまま押し付けてくるから。それに良い大人に拝み倒されながら頼まれたらつい」


 仏像からのSOSを受けて仏像宅に急行した松尾は巻物営業まきものえいぎょう洗礼せんれい直々じきじきに受け、『ざるうどんしこしこ@日吉大経済卒』のフォロワーになったのだ。

 端的に言うと、カモである。




〔仏〕「お前の仕事上、うちの父親をフォローするのはマズイだろ。これだぞこれ」

 萌え絵で埋まる父親のSNSを見せながら、仏像は早くフォロー解除しろと松尾をさとす。


〔松〕「『みのちゃんねる』のフォロワーでもありますし。何を今更」

〔餌〕「しこしこさんとシャモさん(みのちゃんねる)のフォロワーって。色物いろものピアニストにでもなるつもり」

〔松〕「悪くない」 

 餌の言葉に、松尾がにやりと片頬を上げて焼きそばパンにかぶりついた。



〔仏〕「そういや朝から三元さんげんを見てねえな。また太り過ぎで病院送りか」

〔餌〕「いいや、今日は調理師学校の説明会で学校は休み」

〔仏〕「そうか。本当に【味の芝浜しばはま】を継ぐのか」

 卒業式まで後半年だなと、ぎらつく夏空を見上げながら仏像がつぶやく。


〔松〕「えささんも交換留学でシンガポールに行く予定ですよね。いつからでしたっけ」

〔餌〕「文化祭後から十一月の頭まで」

〔仏〕「シンガポールの大学にあんなに行きたがっていたのに。何だよその顔は」

 二週間ほど交換留学でシンガポールに行く予定のえさは、どこか浮かぬ顔である。


〔餌〕「父さんが結局まだ日本にいるし。母さんとやり直したいみたいだけど、母さんが断固拒否。落語の『子別れ』みたいには上手く行かなくってさ」

 餌は、松脂庵まつやにあんうち身師匠のような口ぶりでため息をついた。



※※※



 ところ変わってここは【野木坂のぎざか動物園下 割烹かっぽう仕出しだし 味の芝浜しばはま


〔う〕「今日の日替わりはスコッチエッグ。へえ、ずいぶんハイカラな定食だね。新メニューかえ」

〔み〕「時坊にゆで卵の練習をさせているんだ。しばらく卵料理が増えるよ」

 常連の松脂庵まつやにあんうち身師匠がたずねると、店の大女将である三元の祖母・みつるが苦笑する。


〔う〕「若様がついに料理人修行を始めたか。後継ぎが出来て良かったじゃねえか」

〔み〕「店じまいしようと思ってたのがとんだ誤算さね。勉強嫌いにつとまるほど楽な商売じゃないよとくぎは差したんだが」

 みつるがぼやきながら板場いたばに向かおうとすると、がらりと店の引き戸が開いた。




〔葛〕「ふあああ、長月ながつき(九月)だってのに暑いやね。大ジョッキ一つに鴨南蛮かもなんばんそば。後はう巻きをちょうだいな」

 ステッキとパナマ帽をテーブル脇に置いてよいしょと椅子に掛けると、葛蝉丸かずらせみまる師匠はごくごくとのどを鳴らして大ジョッキをあおった。


〔う〕「良い飲みっぷりですなあ。もう一杯行きますか」

〔葛〕「いえいえ、これ以上やると病院で小言を食らう。へえこの卵は坊ちゃんが」

 年を取るってのは厄介やっかいな仕事だねえと言いつつ、蝉丸せみまる師匠はお通しの卵サラダに手をつける。



〔葛〕「坊ちゃんと言えばさ、あの津島の一粒種ひとつぶだねがね」

 蝉丸せみまる師匠は不意に声をひそめて、競技かるた部から落研に移籍した幽霊部員・津島修二つしましゅうじの話を始めた。


〔葛〕「中林家なかばやしや菊毬きくまり師匠が稽古けいこをつけるのを控えの間ですっかり聞き覚えちまって。兄弟子たちが赤っ恥なんだってよ」

 おお怖い怖いあたしゃウクレレ漫談で良かったよと、うち身師匠が苦笑いする。


〔葛〕「事によれば、高校卒業後に正式に弟子にするらしい。学校では持て余すような子でも、必ずちゃんと居場所があるってこったねえ」


〔う〕「そりゃすごい。菊毬きくまり師匠はもう弟子は取らないって公言していただろうに。あの子の押しの強さに、菊毬きくまり師匠もほだされちまったのか」

 うち身師匠が感心したようにあいづちを打っていると、両手に紙袋を下げた三元さんげんが調理師学校の説明会から戻って来た。



〔み〕「時坊お帰り。説明会はどうだった」

〔三〕「話が長いのなんのって。何も覚えちゃいねえや」


 三元さんげんはふうと大きなため息をつくと、両師匠に頭を下げる。


〔葛〕「坊ちゃん良い所に行き合った。お疲れの所悪いがね、ちょいとこの死にかけの頼みを聞いちゃくれないか」

 蝉丸せみまる師匠に巻物のようなポスターを差し出された三元さんげんは、次の瞬間信楽焼しがらきやきのタヌキのような目を更に見開いた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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