17 ヒロイン症候群

 文化祭の寄席よせ会場を途中退席したピンクうさぎこと藤沢史帆理ふじさわしほりは、管弦楽部かんげんがくぶの呼び込みの声に思わず振り返った。


〔管〕「ただいま管弦楽部かんげんがくぶのブースにて定演の前売り券を販売しておりまーす。今年のソリストは本校在学中の松田松尾まつだまつおさんでーす。今大注目の天才ピアニストとの共演でーす。どうぞお早めにお求めくださーい」

 立ちすくんだ藤沢史帆理ふじさわしほりに、すかさず渡されるビラ。


〔史〕「止めて、もう止めてよ……」

 管弦楽部かんげんがくぶから配られたチラシを手にうずくまった彼女を、管弦楽部顧問こもんの坂崎が目にとめた。



※※※



〔坂〕「少し落ち着いたようですね」

 過呼吸かこきゅうの発作から脱した史帆理しほりを音楽準備室に招くと、坂崎は音楽室にいる管弦楽部員に一声かけてからソファーに座った。


〔史〕「寄りにもよって『展覧会の絵』をあんな風に。さも簡単そうに弾きながら声まねまでするなんて。私、あれで本当に耐えられなくなって。だって私は……」

〔坂〕「藤沢さんは中三の時に『展覧会の絵』を全曲通しで弾いたのですか。とてつもない難曲ですよ」

 ピアノを副専攻にしていた坂崎が目を丸くすると、史帆理は小さくうなずいた。


〔史〕「私は毎日何時間も練習して。ピアノとソルフェージュのレッスンに行っていたから友達と遊ぶ時間なんて全くなくて。いえ、私だけじゃない。全国のトップ層は子供の頃からそうやって育つのが当然なんです」


〔史〕「なのに。名前も知らない子が飛び級でいきなり全国に。小六なのに私より手も大きくて。それで」

 ベートーヴェンのワルトシュタインソナタを全楽章、とだけ言うと、史帆理しほりは唇を噛んだ。



〔史〕「あの時の彼には間違いなく『神』が降りていました。この前だって、その前のマイアミだって。どんなに努力をしたって神様に愛された子には叶わない。私は体だって手だって何をやっても大きくならなくて。よりにもよって負けた相手が『アレ』なんて。そんなの」


 中三の時にコンクールで『展覧会の絵』を弾いた天才少女しほりんは『ワルトシュタイン』を引っさげて彗星すいせいのごとく現れた小六の松田松尾に屈し、そしてピアノを捨てた――。


 何度も屈辱と絶望をかみしめて来たであろう口ぶりを前にして、坂崎は無言でコーヒーに口をつけた。



※※※



〔仏〕「みなさまおなじみの大喜利おおぎり。本日は『昇天しょうてん』と題しまして独自のルールにて開催したいと思います」


 同時刻、『アレ』呼ばわりされているとも知らない松尾は、薄い五段重ねの座布団にちょこんと乗っかっていた。

 

※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


※『展覧会の絵』ムソルグスキー作曲/『ワルトシュタイン』ベートーヴェン作曲 ソナタ21番 Op.53の愛称

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