16-2 夏どろ 早稲田鶴巻町編
【落語 『夏どろ
〔餌〕「本日お話しいたしますのは、あたしの父親が学生時分に泥棒に入られた時の事でしてね。まあこの男が『金魔』『ハイエナ』の二つ名を持つそれはそれは
〔餌〕「寄りにもよってそんな男のアパートに忍び込んだのは、年金暮らしのコソ泥
枕(導入部)を終えた合図とばかりに
※※※
〔餌〕「貧乏学生の一人暮らし。窓を開けたまま熱帯夜をしのいでいた所に、いつの間にやら白髪頭の貧相な男が一人」
〔男〕『おい、夏の泥棒ってのは縁起が良いね』
〔餌〕「どすの効いた声で凄むものでございますから、気の小さなコソ泥と来ましたら」
〔泥〕『へえ。あたしはその、泥、泥棒でえごぜえませんで、えっと、ちょっとその、お恵みを。その、金をいくばくかお恵みを頂きますれば』
〔男〕『金だあ? お前が恵めよ泥棒さんよ』
〔泥〕『あたしは泥棒じゃござんせん。このご時世にこの年で、再就職の宛もなく、留守のお宅に上がってはご主人様にお恵みを頂いておりまして。まっこと世の中には心の優しい方がおられるもので。この世知辛い世の中もまだまだ捨てたものではござんせん』
〔男〕『それを世間じゃ泥棒って呼ぶんだよ。おい泥棒さんよおおっ!』
細く空気を含んだなよなよしい泥棒の声と、どすの効いた男(餌の父)の声を餌は巧みに使い分ける。
〔泥〕『どうかお静かに。近所のお子が夜泣きを始めたらおっかさんに申し訳が立ちません』
〔男〕『泥棒だってのに妙な所に気を使いやがる。
〔餌〕「『なあ泥棒ささあああん』と開け放った窓に向かって叫びかける所を、泥棒が慌てて制するもそこは『金魔』と呼ばれた男」
〔男〕『あんたがうちに入ってから十分が経った。ショバ代三万円を頂くぜ』
〔餌〕「言うなり泥棒のジャンパーにするりと手を差し込みまして、マジックテープの財布をびりっと。中には五百円玉が二枚だけ」
〔泥〕『泥棒っ。財布をすられましたあああ。警察、警察』
〔男〕『泥棒はあんただろ。それとも自首でもする気かよ』
〔餌〕「ひと
〔男〕『おいショバ代は。まだ千円しかもらってねえぞ。あんたが無理して入ったせいで、ガラス戸の枠がひん曲がっちまったなあ。修理代も出してもらおうか』
〔餌〕「にやつきながらガラス戸をぴしゃりと締めるってえと、泥棒はあわれ監禁の身」
〔泥〕『おかしいでしょ、あーた窓は最初から開け放ちだったじゃないですか』
〔男〕『おーい警察さんよおお。泥棒がいるぞおおおお』
四月に披露した『時そばジャカルタ版』とは打って変わって、会場中が
〔泥〕『あたしが旦那様にお金をお恵みくだせえって言ってますの。どうして旦那様に私がお金を取られるので』
〔餌〕「巻き肩をさらにすぼめて泥棒が上目遣いでうかがうと」
〔男〕『ショバ代に決まってるだろ分からねえジジイだな。家中探したって今の俺からびた一文も取りようがないぜ。お前さんにくれてやれるのは、この白カビだらけのバナナぐらいだ。しっかり味わえ旨いだろう』
〔男〕『そうだ、泥棒さん。いっそ俺を刺しちゃくれねえか。俺を刺して自首すりゃあんた一生飯の心配をしなくて済むだろ。シャバ暮らしは金があってこそよ。風呂屋と雀荘で身ぐるみはがされるぐらいなら、彼岸に渡って即身仏ってのも悪かねえや』
〔泥〕『あなたは私と違ってまだお若いでしょ。いくらでもやり直しがききましてよ。これで半額のパンでも買って。ね、出世払いで構いやしませんから』
〔餌〕「泥棒は細い体を震わせながらズボンに隠した三百円を差し出して、ドロンを決め込もうとしたものの」
〔男〕『俺の命は三百円か。随分安い命だったな。まあ、風呂屋と
〔餌〕「先回りで玄関のカギも締められた泥棒はぎっと両の
〔男〕『刺せってんだよ! 刺さねえなら、俺が刺す!』
〔泥〕『ひ、ひいいいいいいいっ。これでどうかお許しを』
〔餌〕「しわくちゃの千円札をズボンの尻ポケットから差し出した哀れコソ泥。しかしこれで終わらぬのが『金魔』」
言うや、
〔男〕『飛んでみろよ。今。飛べよ! 俺の命は千三百円か。刺せ、刺せ。刺さねえなら俺が刺す』
〔餌〕「
〔泥〕『早まらないで。あなたまだお若いでしょ。働けばいくらでも。
〔男〕『願いましてはー。俺の命は千八百円、二千三百円。二千八百円』
〔餌〕「哀れ泥棒。隠し持ったずた袋から鳴り響く五百円玉の大合唱」
低い声となよなよしい細い声を巧みに使い分けながら、餌は
〔餌〕「身ぐるみはがされパンツ一丁で飛び出す泥棒に」
餌は扇子で自らの膝を打つ。
〔男〕『おーい泥棒さんよう、忘れ物だあ』
〔餌〕「哀れな泥棒にずた袋と着衣一式を投げ渡し」
〔男〕『次は十月十五日にあんたの年金を持ってこい。倍にして返してやるよ。その代わり、持ってこなけりゃ豚箱行きな』
〔泥〕『へ、へへえ。よろしゅうお願いいたします』
〔餌〕「哀れコソ泥、カエルのごとく
〔餌〕「巻き上げた年金は小豆の
餌は春のリベンジとばかりに扇子をぱちりと鳴らすと、満足げに深々と頭を垂れた。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
※本稿は『夏どろ』(落語)をベースに餌の父のキャラクターに合わせて改変しております。
ただし、年金を巻き上げられる所からラストまでは筆者が新たに付け加えたパートです。
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