14 首長族の子

〔松〕「コンクールより緊張している僕がいる」

 開口一番かいこういちばん(※)を務める松尾が緊張した面持ちで舞台袖に立つ。


〔長〕「それはおかしい」


 松尾のコンクール――通称・生き地獄――の観客でもあった長津田ながつだが静かに突っ込む中、開始五分前を告げるアナウンスが始まった。

 声の主は落研メンバーと言っても差し支えない放送部の飛島である。


〔餌〕「万一会場が冷えても仏像が何とかするから」

 餌がくすくすと笑う後ろで、放送部からの助っ人である麺棒眼鏡めんぼうめがねは黙々とロトエイトに変身中。


 時は午前十時五十七分。

 訳あって中林家菊毬なかばやしやきくまりの元に部活代わりに顔を出している津島が、呼び込みの太鼓をたたき始めた。




〔葛〕「師匠、こっちこっち」

 人間国宝・中林家菊毬なかばやしやきくまりは、野毛のげの大師匠・葛蝉丸かずらせみまるに呼び止められると深々と礼をした。


〔葛〕「この太鼓は津島の若さんが」

 噺家はなしかにはおなじみの太鼓の音に、二人は心地よさげに耳を傾ける。


〔中〕「ええ。若さゆえか津島家の血筋か、とにかく頭の周りが抜群に早くて何でもすぐに覚える子でしてね。津島の旦那様も招待するようにと伝えたのですが」

 誉め言葉を裏切るように、会場を見渡した中林家菊毬なかばやしやきくまりの表情はすぐれない。



〔飛〕「それではこれより、一並ひとなみ高校落語研究会寄席を開催いたします。ご来場の皆様、壇上だんじょうにご注目ください」


 人間国宝に落語界の長老が見守る中、舞台の幕がゆるゆると開いた。




開口一番かいこういちばん 松田松尾(一年)】



 トップバッターである『開口一番かいこういちばん』を務める松尾は、落語『つる』を、途中まではつつがなくこなしていたのだが――。


〔松〕「首長族くびながぞくおんが『つー』とご隠居の浜辺の松に」


〔餌〕(だからそこは首長族じゃなくて首長鳥のおんが『つー』だってばあああ。そもそも首長族じゃなくて首長鳥くびながどりだし)

 舞台袖でえさがあああと頭を抱える。


〔松〕「鶴のめんが『めー』と」


〔仏〕(首長鳥のおんが『つー』、めんが『るー』とやってきて『つる』だろ。なんで『めー』なんだよ)

 それじゃ演目が『つめ』に変わるだろうと、仏像は体を二つ折りにしながら笑いをこらえている。


〔松〕「首長族くびながぞくおんと鶴のめんがご隠居の浜辺の松林で出会って十月十日とつきとうか。父ゆずりで首が長く、母ゆずりで雪のように真っ白な男の子が生まれました。『つる』と名付けられたその赤ん坊は(後略)」



※※※


 

〔シ〕「あーあー、えさの『時そばジャカルタ版』を超えやがった。トウモロコシじゃなくて唐土もろこしだっての。何で首長族くびながぞくのガキがトウモロコシを育てる話になるんだよ」

 客席のシャモは思わず頭を抱えて耳をふさぐ。


〔あ〕「え、首長族くびながぞくのお父さんと鶴のお母さんの子供の『つる』君が、浜辺でトウモロコシを育てる話でしょ」

 客席のシャモの隣で松尾版『つる』を聞いていたあさぎちゃんは、一つも違和感を感じていない様子である。



〔葛〕「強引につじつまを合わせて話を成立させるとは……。さすが世界を制した天才ピアニスト。舞台慣れがすごいやね」

〔中〕「ひとたび曲を弾き始めたら、間違えようが虫歯がうずこうが弾き切るしかないですからねえ」

 自らも得意とする演目『つる』が複雑骨折を経て野生に戻ったような出来に苦笑いで、両師匠は堂々たる姿勢で下がる松尾を見送った。 



 落語を知らない人にはなじみのない演目であったことが幸いし、松尾版『つる』をあっさりと受け入れた会場。


〔松〕「カンペを持ち込めばよかった」

 松尾が舞台袖にはけた途端に崩れ落ちると同時に、元野球部アルプス席所属の今井が舞台中央へと向かった。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。



※『時そばジャカルタ版』はこちらから

https://kakuyomu.jp/works/16817330659394138107/episodes/16817330659394756389

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る