第52話 一人が、嫌だったから

 一緒に寝てほしい。

 そんなジルの要望をリリアは快諾した。


 断る理由は何も無かった。


 ベッドの中。

 リリアとジルが二人、ぬくぬく毛布に包まっている。

 

 そんな二人を、カーテンの隙間から差し込む月明かりがぼんやりと照らしていた。


「二人だと、あったかいねえ」


 ほっこりした声でリリアが言うと、ジルが「うん……」と小さく頷く。


 先ほど、胸の中を吹き荒れていた冷たい風はいつの間にか鳴りを潜めていた。


 しばらくの無言の間が横たわっていた。

 そのままゆっくりと、微睡に意識が沈み始めている中。


 不意に、ジルの声が響いた。


「ねえ、リリア」

「なあに?」

「リリアはどうして……僕を買ったの?」


 質問の意図を測りかねている間に、ジルが続ける。


「それにリリアは、僕を買ってくれただけじゃなくて、この家に置いてくれている……それも、働かせるとか、嫌なことをさせることもない」


 純粋な疑問を浮かべた瞳をリリアに向けて、ジルは尋ねる。


「どうして、リリアは僕に、こんなに良くしてくれるの?」


 ああ、とリリアは理解する。


(ジル君は、不安なんだ……)


 奴隷として、人権も自由もなく、ただ人に尽くすことを強いられてきた。

 今まで、酷い扱いをたくさんされてきたのだろう。


 だからこそ、見返りのない善を理解できないのだ。


 返答には、間を要した。

 

 あの時、奴隷として売り飛ばされそうになったジルを購入したのも、このまま家に連れてきたのも、勢いの部分も大きかった。

 理屈よりも先に、感情がそうさせていたという表現が正しい。


 心なしかクリアになった思考で改めて自問してから、リリアは言葉を口にする。


「放っておけなかった、からかな」


 不思議そうに、ジルがリリアを見上げる。

 ジルの短くなった柔らかい髪に手を添えて、リリアは言う。


「ただ人に命令されるがままで、辛い思いをたくさんしてきて……行き場もない、頼れる人もいない……このままだと、もっと辛い目に遭ってしまう。それがわかってて、何もしないのは……とても、耐えられなかった」


 本心だった。


 あの時リリアは、ジルに自分を重ねていた。


 実家で家族に虐げられ続け、果てに死んでしまうという絶望を味わっているリリアだからこそ、同じような目に遭っているジルを放っておけなかった。


 そんな意図を含んだリリアの言葉に、ジルはしばらく押し黙っていたが、やがて小さく呟く。


「…… やっぱり・・・・ 間違ってなかった・・・・・・・・

「え?」

「ううん、なんでもない」


 首を横に振る気配。


 暗闇のため、ジルの表情はよく見えない。

 でもなんとなく、笑っているように感じた。


「リリアは、とても優しい人なんだね」

「そんなこと、ないわ……」


 自分は優しい人間である、なんて自惚れるほどリリアの自己肯定感は高くない。

 しかし、自分のことをジルは多少なりとも肯定的に思ってくれていることを、素直に嬉しいと思った。


 そして、ふと気づく。


「あっ……あともう一つ、理由がある、かも」

「もう一つ?」


 言うのは少し気恥ずかしくて、リリアは毛布で口元を隠して言葉を口にする。


「私も一人が……嫌だったから」


 先ほど、ジルがやってきて口にしたのと同じ理由を、リリアは言葉にした。


 マニルを脱出して、パルケにやってきて、永住権と住居を得た。

 時間もお金も潤沢に有って、これからは悠々自適に楽しく暮らせると思っていた。


 しかし、待っていたのは孤独な日々であった。


 思い出す。


 一人で高価なブレスレットとドレスを購入した時のことを。

 一人で高級レストランで食事をしていた時のことを。

 風邪をひいて、家の中で一人、苦しんでいた時のことを。


 いくらお金があっても、使っても、胸の中の空虚は埋まらない。

 むしろ目に映る光景が全部、灰色に見えた。


 ずっと心細かった。

 誰かにそばにいて欲しかった。


 だから……。


「だから、ジル君がうちに来てくれたのは……私にとっても、すごく嬉しいことだったんだよ」


 ジルが来てから、リリアの表情に笑顔が増えた。


 ご飯を食べる、散歩をする、家の中でのんびりする。

 そんな何気ない一つ一つの時間でさえ、ジルと一緒だったから彩のあるひとときになった。


 感謝の気持ちを込めて、リリアはジルの頬を撫でる。


「だから、むしろ私の方こそ、ありがとう……だよ……ふあ……」


 大きな欠伸が出てしまう。

 どうやら眠気が限界に来たようだった。

 

「ごめん、リリア。眠いのに、付き合わせちゃって」

「ううん、大丈……ぶ……」


 言葉を口にするも、抗えない眠気が到来して視界がぼやけてくる。

 今日は自分の方が先に眠りに落ちてしまうようだった。


「おやすみ、リリア」


 ふわふわとした意識の中で、ジルの優しげな声が聞こえる。

 最後に残った力を振り絞り、リリアはこくりと一度だけ頷いた。


 その刹那。


「僕も、リリアと出会えて……ううん……」


 ────。


また会えて・・・・・ 良かった・・・・


 そんな言葉が聞こえた気がして、(……また?)と思ったものの、意味を考える力は残されていない。


 すんなりと、リリアの意識は闇に落ちていった。

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