第32話 クタクタ野菜の薄味スープ

 少女を連れて帰宅する頃には、すっかり陽が沈んでいた。

 家に着くまで、少女が言葉を口にすることはなかった。


「今日からここが、あなたの家よ」


 リリアが言うと、少女はリビングをきょろきょろと見回している。


(少し広めの家を買っておいてよかった……)


 心からリリアは思った。

 

 もともと夫婦や家族用の家ということもあって、ひとり子供が増えるとなっても広々と過ごせそうである。


「さて、と……まずはお風呂かな?」


 見たところ少女はロクに水浴びもさせてもらっていないのか、かなり汚れている。


 とりあえず身体を洗ってあげた方が良さそうだと、リリアはバスルームに案内しようとし……。


 ぎゅるるるるる〜〜〜……!!


「えっ、嘘!? さっき食べたのに……あれ?」


 盛大に空腹の合図が聞こえたが、自分のお腹が鳴ったわけでは無かった。


 ハッとして見ると、少女がお腹を押さえ頬を赤くしていた。


「……」

「……」

「お腹すいたの?」

 

 ぶんぶんっ。


 少女が慌てたように顔を横に振る。


 しかし誤魔化し虚しく、またまたぎゅるるる〜〜っとお腹空き虫が鳴いた。


 少女の顔が茹でたタコみたいな色になる。


「ふふっ、お腹ぺこぺこなのね」


 こくりと、観念したように少女は頷いた。


「じゃあ、まずはご飯にしよっか。何食べたい?」


 尋ねると、少女が顔を上げる。

 そして少し思案顔をした後、少女の指がキッチンの鍋を差した。


「あれ、何ですか?」

「えっと……野菜スープ的な?」


 リリアが体調を崩している間にお世話になっていた、クタクタ野菜の薄味塩スープである。


「食べても、良いですか?」

「ええっ、そんなに美味しくないと思うよ……?」


 どうせ食べるなら、もっと美味しい物を買ってきた方が……とリリアは思ったが、少女は再び頭を横に振って言った。


「美味しそうな、匂いがします……」

「匂い……?」


 少女の言葉に、リリアは息を呑む。

 極限の空腹状態だと、味覚や嗅覚が異様に研ぎ澄まされる。


 それはリリアにも経験があった。


 少女はきっと、薄味で野菜しか入れてないスープの匂いすら察知できるほどお腹が空いているのだ。


 早く何か、この子に食べさせてあげたいとリリアは思った。

 

(そもそも、この子は今までろくな物を食べさせてもらっていないだろうから……)


 少女の今までの立場や痩せ加減から見てそう考えるのが妥当だろう。

 そんな中、急にご馳走を食べさそうものならお腹を壊してしまう。


 以前、餓死ギリギリの食生活で胃袋が弱っていたリリアだからこそわかること。


 よって、まずはこの野菜スープを飲んでもらうのは良いように思えた。

 

「じゃあ準備するから、ちょっとそこに座っててね」


 準備といっても温めるだけであるが、野菜を追加したり、コンソメを入れたりして出来る限り味を整えた。


 お椀によそったスープを、ちょこんと椅子に座って待っている少女の前にスプーンと一緒に置く。


 ごくりと、少女が喉を鳴らす音が聞こえた。


「お待たせ。さあ、召し上がれ」


 少女の隣に座ってリリアが手を差し出す。

 すると、少女は不思議そうにリリアを見上げた。


「お姉さんは、食べないのですか?」

「あ、私はもう夜は食べてるから、大丈夫」

「そうなの、ですね……」


 少女がスプーンを手に取る一方で、(優しい子なんだな……)とリリアは思った。


 スープを一口啜ると少女の目が大きく見開かれた。


「美味しい?」


 こくりと少女が頷き、再びスプーンをお椀に入れる。


 二口目、三口目と、スープをよそっては口に運ぶ少女の姿はまるで飢えた子猫のよう。


(よっぽどお腹が空いてたのね……)


 はぐはぐと野菜スープを食べる少女を微笑ましく眺めていると。


「……ぐすっ」

「うぇっ!? どうしたの!?」


 何の前触れもなく少女が嗚咽を漏らした。

 そして、少女の頬を一筋の涙が伝う。


「だ、大丈夫? もしかして、嫌いなものとか……」


 少女が勢いよく頭を振る。

 そして一言だけ、言葉を落とした。


「……美味しいん、です」


 何かが、リリアの胸にストンと落ちた。


(この子……あの時の私だ……)


 パルケアに逃げてきて翌日。

 エルシーと一緒に、あのクロワッサンを食べた時。


 ようやく地獄から逃げ出せて、ちゃんとした物を食べることができて、人前だというのに涙が溢れてしまった。


 この少女も恐らく、あの時の自分と同じ気持ちを抱いているのだろう。


 そう思うと、リリアの胸がきゅうっと締まった。


 思わず抱き締めたくなったのを抑えて……代わりに、手を伸ばす。


 少女の背中を、リリアは優しく撫でた。

 まるで、大切な宝物を扱うかのように、ゆっくりと。


 そして、落ち着いた声で言った。


「安心して、もう大丈夫だから……ゆっくりと食べてね」


 少女が頷くと、銀の雫が空気を舞ってきらりと光る。


 ぽろぽろと涙を流しながらスープを啜る少女を、リリアはずっと撫で続けていた。

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