第4話 ロトゥ100
「はっ……はっ……」
リリアは走っていた。
ハールア王国の首都、マニルの街を全力で走っていた。
もう二度と屋敷に戻るつもりはなかった。
出来るだけ遠く屋敷から離れたかった。
数時間もすれば、リリアがいつまで経っても帰ってこないことにセシルは激昂するだろう。
家族にも報告され、捜索に出られるのも時間の問題だ。
だがこのまま屋敷にいたら未来の通りに囚われ、牢獄の中で死よりも辛い苦痛が待っている。
途中で捕まるかもしれないと分かっていても、一縷の希望に賭ける他なかった。
しかし、リリアの疾走は長くは続かなかった。
「はーっ、はーっ……」
普段粗末なものしか食べていない上に、運動の習慣もないリリアの息はすぐに上がってしまった。
商業地区のとある一角にあったベンチに、リリアはへたり込む。
息を整えて冷静になってから、これからどうするべきかと考える。
「とりあえず、遠くへ行かないと……」
逃げると決めたからには、捕まるわけには行かない。
欲を言えば国外に、最低でも首都を出て身を隠さなければいけない。
とはいえ自分の足だけだと限界がある。
もう随分と走った気がするが、屋敷からはそう離れていない。
引き続き移動するとしても遠からず捕まるのがオチだろう。
一緒に持ってきたバスケットの中を覗き込む。
どの銘柄の菓子を買えばいいかのメモと、菓子分のお駄賃5000マニーが小袋に入っていた。
それが、個人的なお金を持つことが許されていないリリアの全財産であった。
5000マニーでは公共の馬車や汽車を使うとしても、そう遠くへは移動できない。
「なんにせよ、お金が必要ね」
ハールア王国およそ10年前に産業革命を迎え、労働者の需要が高まった。
なのでリリアにも探せば金を稼ぐ手段はあるだろう。
しかしリリアの第一の目標は迅速に金を得ること。
悠長に働いている暇などなかった。
「とにかく、動かないと」
立ち上がり、リリアは再び歩き出す。
(手っ取り早くたくさんのお金が欲しい……でも、そんな都合の良い話は……)
あるはずない。
それが簡単に出来るのであれば、この世に労働者は存在していないはずだ。
もどかしさを抱えながら歩いていたリリアはふと、やけに露出した服の女性が一人の男に話しかける場面に出くわした。
「ねえねえおにーさん、私と遊んでいかない?」
「ばきゃーろ! 昼間っからそんな散財できるか!」
「ちっ、ケチだねえ〜」
女性は吐き捨てるようにいうと、また別の男に猫撫で声で話しかける。
そんな光景を見て、リリアは思わず拳に力を込めた。
その時だった。
「はいはい! いらっしゃい! いらっしゃい! 宝くじ、好評発売中だよー! 幸運の女神を振り向かせられるチャンスが一回たったの5000マニー! とってもお買い得だよー!」
客引きの威勢良い声に思考がかき消される。
声の方を向くと、ある大きな店に長蛇の列ができていた。
その店の看板には大きく『宝くじ』と描かれている。
リリアの頭の中で、何かがぴかりと煌めいた。
気がつくと、リリアはその列に吸い込まれていた。
列の回転は早く、ほどなくしてリリアの番がやってくる。
店内に通されるリリア。
大きな店構えの割に店の中は狭く、机が一つと椅子が二つあるのみ。
奥の椅子には、何本も歯の抜けた小汚い格好の男が座っていて、背後にはボロボロのドアがあった。
「ようこそ、お嬢ちゃん。まずは、5000マニーをいただこうか」
「は、はいっ」
手をずいっと差し出してくる男に、リリアは慌ててバスケットから5000マニーを取り出す。
(この5000マニーを渡したら……所持金はゼロに……)
お使いの茶菓子はもちろん、パンひとつさえ買えなくなる。
一瞬リリアは躊躇したが、意を決して5000マニーを手渡した。
大金を手にするために、この全財産が必要なのだと言い聞かせた。
「毎度あり! よおし! これからお嬢ちゃんは、幸運の女神様の部屋にノックをする権利が与えられる。尤も、開けてくれるかは女神次第だがね!」
「よ、よろしくお願いします……」
クックックと笑う男の圧に押されながらも、リリアは椅子に腰掛けた。
「お嬢ちゃん、宝くじは初めてかい?」
「は、初めてです……」
「じゃあルールは簡単だからパッと説明しするぜ! 1から99までの数字をこの紙に書く、それだけ!」
男が横に長い小さな紙と、先にインクのついた細長い串のようなものをリリアに見せる。
「あとはお嬢ちゃんが書いた番号が、当選番号と当たっているかどうか俺が確認して、当たっていたら金が手に入るという寸法よ!」
男は意気揚々と説明する。
リリア自身、宝くじを知識としては知っていた。
産業の機械化、工業化と共に富が特定の富裕層に集中。
その富裕層の一人が暇を持て余して作った道楽じみたビジネス。
少額の賭け金に対して、運が良ければ大金が入ってくる。
夢見がちな労働層に大人気のギャンブルだ。
その中でもロトゥ100はその賞金の膨大さと当選確率の低さから、今王都で最も騒がれている宝くじである。
……という感じのことを、いつかの日の新聞に記載されていた。
「やり方はこれだけだ! もちろん、10桁全てを当てなきゃ金が入らねえってわけじゃねえ。下二桁が当たり、10桁のうちどれでも5つ当たり、といった場合にも金がもらえるぜ! それぞれの条件と当選額は……」
「あ、あのっ……!!」
思わず、リリアは声を上げた。
一刻も早くお金を手に入れて逃げ出したいという焦りがあった。
「すみません、やり方はわかったので……もう、やってもいいですか……?」
ニヤリと男が笑って、リリアの貧相な服装を品定めするように見つめる。
「いいねえ、今すぐに金が欲しいって目をしているな。俺にはわかる、お嬢ちゃん、今の生活から抜け出して一発逆転したい、そんな思いがひしひしと伝わってくるぜ」
スッと、男は紙と串をリリアに差し出した。
「普通の宝くじの相場は300マニーだが、ロトゥ100は一回5000マニー。それも、ロトゥ100に挑戦出来るのは一回の来店につき一回のみだ。よく考えて数字を書くんだな」
串を手に取って、リリアはごくりと息を呑む。
宝くじなんて、普段の自分なら絶対に手を出さないギャンブルだ。
しかしリリアは、今考えうる中でロトゥ100が最も大金を得られる手段だと確信していた。
ロトゥ100の特徴として、その賞金額の膨大さから当たり番号の情報が外部に漏れないよう徹底的に管理されている。
当たり番号を知っている者はごく僅か、運営に関わる者の挑戦権は一切ないなど、不正が出来ないような仕組みになっていた。
その仕組みの中に、“当たり番号が一日ごとに変更される”というものがある。
そして当日の当たり番号は──次の日の新聞に掲載されるのだ。
(確か、番号は……)
毎日、欠かさず新聞の隅々まで目を通していた甲斐があった。
──アンタ記憶力だけはいいんでしょう?
セシルの言葉が脳裏に浮かぶ。
子供の頃から気持ち悪いと吐き捨てられた『一度見たものを忘れない能力』を、リリアは発揮した。
(7、29、87、45、29、3、46、18、92、63……)
迷いなく、リリアは数字を書き込み、そして男に差し出した。
「思い切りがいいねえ! ふむふむ、どれどれ?」
男が紙を覗き込む。
「7、29、87……45…………29…………」
数字を読み上げる毎に、男の顔がみるみると驚愕色に染まっていき……。
「どうやら、幸運の女神はお前さんと心中することを決めたらしい」
先程までの調子はどこへやら。
神妙な顔つきになった男は、リリアに番号の書いた紙を返し、薄汚れた後ろのドアを見遣って言った。
「このドアの先に部屋がある。そこで、女神と対面してきな」
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