第3話 全部、覚えている

 リンドベル伯爵家は地方に領地を与えられた貴族だが、家族は田舎暮らしを嫌い王都の屋敷に住んでいる。

 リリアもその屋敷に住んでいるものの割り振られた住居はオンボロの離れで、普段は使用人同然の生活をしている。


 そんなリリアは洗濯場にやってきた。

 ここでは、使用人たちがシーツや服などを洗っている。

 

「はあ? 今日は何日だって? アンタ何言ってんの!?」

「ご、ごめんなさい、セシルさん。でも、どうしても確かめたくて……」


 家政婦長に怒鳴られ萎縮しながらも、リリアは言葉を続ける。

 どう見ても、貴族と使用人とのやりとりでは無いが、この力関係が屋敷内での普通だった。


 ビクビクと震えるリリアを、家政婦長セシルは憂さ晴らしと言わんばかりに洗っていたタオルで叩いた。


「あうっ……」


 水を吸ったタオルは思ったよりも重く、リリアの身体は地面に伏してしまう。

 そんなリリアを見下ろしながらセシルは吐き捨てるように言った。


「今日は10月12日だよ! 覚えておきなウスノロ!」

「10月、12日……」

「アンタ記憶力だけはいいんでしょう? 血や顔だけじゃなくて、ついに頭まで悪くなってしまったのかい?」


 セシルの馬鹿にするような言葉に、他の使用人たちがクスクスと笑う。

 いつもなら心を無にして聞き流すところだが、リリアはそれどころではなかった。


(10月12日……)


 セシルが口にした日付を、頭の中で反芻させていた。

 

「ほら! ぼさっとしている暇があるなら、ティータイムに出す茶菓子でも買ってきな! 今すぐに!」


 バシッと、セシルはバスケットと食材のメモをリリアに投げつけた。

 本来は自分の仕事であるお使いをリリアに押し付ける。


 これも、いつものことであった。


「は、はいっ……わかりました!」


 16年という長い年月をかけて、人からの命令に無条件で従うようになったリリアは、バスケットを手にし洗濯場を後にした。


◇◇◇


 洗濯場を後にしてからすぐに、リリアは仕事部屋へ向かった。

 

 小さく埃っぽい屋根裏部屋。

 そこが、リリアに充てがわれた仕事部屋であった。


 リリアには、一度見たものを忘れないという特殊能力があった。


 元々頭の回転が速い方で、見たもの全てを記憶するリリアの能力をマリンやナタリーは気持ち悪がったが、フィリップは違った。


 リリアのその能力に目をつけ、12歳の時にこの仕事部屋を与え屋敷の収支や領地政策の細々とした事務処理などの雑務をさせるようになった。


 その仕事部屋に、領地政策の情報のひとつとして毎朝新聞が届く。

 リリアはその新聞を確認して、日付が10月12日であることをこの目で確かめた。

 

「時間が、2週間も巻き戻っている……?」


 念の為、日付以外の記事も確認する。

 

「フラニア共和国からの赤ワイン輸入解禁、宰相と踊り子との不倫疑惑、入国審査官の賄賂問題……」


 どれも、リリアが二週間前に見た記事だった。


 仕事場を出て、屋敷の廊下を歩きながらリリアは呟く。


 神の気まぐれか、奇跡が起こったのか。

 牢獄の中で意識を失って(おそらく死んで)、2週間前に戻っていた。


「ううん、違う。さっきから私は、何を言ってるの?」


 ぴたりと立ち止まって、リリアは頭を振る。


「そもそも時間が巻き戻るなんて、あり得ないわ」


 リリアは乾いた笑い声を漏らす。

 

「あれは、悪い夢。うん、きっとそうに違いないわ」


そう、リリアは自分に言い聞かせた。


 ……心のどこかで、リリアは否定したかったのかもしれない。

 家族が冤罪を着せて、自分を死刑に至らせたという事実を。


「あら、お出かけ?」


 背後からかけられたその声に、リリアは肩を震わせた。

 恐る恐る、振り向く。


「……ナタリー、様」


 気弱そうなリリアとは違い、女性はいかにも気が強くプライドも高そうだった。

 臙脂色の煌びやかなドレスに、ギラギラと輝く宝石のネックレスや指輪。


 双眸に宿る光は誰に対しても優越感を抱いてるように強い。

 あまり整っているとは言えない顔立ちと、年齢を感じさせる細かい皺を誤魔化す厚化粧からは、鼻がツンとするような臭いを放っている。 


 リリアの継母にしてマリンの実母、ナタリーであった。


 慌ててリリアは頭を下げた。 

 そんなリリアの頬を、ナタリーは思い切り扇子で叩く。


「うぁっ……」


 頬を抑えよろめくリリアに、ナタリーは蹴りを放った。

 床に倒れたリリアを、ナタリーは何度も踏みつけながら声を荒げた。


「お出かけかと聞いているの! さっさと答えなさい!」

「も、申し訳……申し訳ございません! ティータイムで出すお茶菓子が切れているとのことで、今から買いに行くところです……!!」


 必死に声を上げるも、ナタリーの折檻は続く。

 リリアは必死に痛みに耐えるしかなかった。


 しばらくして、気が済んだとばかりにナタリーは鼻を鳴らして言う。


「平民の癖に、私の時間を無駄にした罰よ。このくらいで済んだことをありがたく思いなさい」

「は、い……ありがとうございます、ナタリー様」


 痛みで痺れる身体をなんとか動かし、ぎこちない笑みを浮かべてリリアは言う。

 ここで丹精こめた感謝の言葉を口にしないと、さらなる暴力が待ち受けていることはこれまでの経験で学んでいる。


 そんなリリアをつまならそうに見下してから、ナタリーは吐き捨てるように言う。


「さっさと行きなさい」

「は、はいっ、失礼します……」


 よろめきながら玄関へ向かうリリアの背中に、ナタリーは言葉を投げかけた。


「せいぜい、楽しむことね」

「……!!」


 ──せいぜい、楽しむことね。


 頭の中で声が響く。

 同時に映像も。


 全く同じ言葉を、二週間前にナタリーに言われた。

 あの日もリリアはセシルに使いを押し付けられ、ナタリーと出くわし、折檻を受け、先ほどの言葉をかけられた。


 今なら、この言葉の意味がわかる。

 わかってしまう。


 ナタリーも、マリンと共謀したひとりだ。

 つまり先ほどの言葉には、次のような意味が込められている。


 ──(あと少しでアンタは死ぬんだから)せいぜい、楽しむことね。

 

 ぞわりと、リリアの身体から温度が引いた。

 

「全部、夢……ううん、違う……」


 覚えている。


 マリンの高笑いも。

 踏み潰され黒ずんだパンも。

 空腹で胃袋が張り付く痛みも。


 全部、全部、覚えている。


「嫌だ……」


 くの字に曲がった自分の身体を抱きしめ、カタカタ震える。

 

 記憶によると、自分はあと3日後に捕らえられる。

 マリンを毒殺しようとした罪ですぐさま裁判にかけられ、数日もしないうちに餓死刑の判決が降るのだ。


「逃げなきゃ……」


 ぽつりと、リリアは呟いた。

 あの絶望を、苦痛を、もう一度味わうなんて死んでもごめんだった。


 死の運命から逃れるべく、リリアは屋敷を飛び出した。

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