第2話 リリアのこれまで

 リリア・リンドベルは望まれない子だった。

 

 父はハルーア王国の落ち目貴族リンドベル伯爵家の当主フィリップ。

 元々子爵家の出だったが、陞爵するべくグランモア伯爵家から嫁いだナタリーと政略結婚を結んだ。

 

 フィリップは事務的に交わされた結婚に後ろ向きで、ナタリーとの生活はうまくいっていなかった。

 

 容貌のあまり好みではないナタリーと夜の営みもほとんど行わず、欲を持て余したフィリップは街に繰り出し娼婦と一夜の過ちを犯してしまう。

 その娼婦から生まれた子供が、リリアだった。


 娼婦はリリアをお金がなく育てられないと、屋敷の前に放置して行方をくらませた。


 ──事の経緯を記載された手紙付きで。


 当然ナタリーは激昂し、フィリップに連日厳しい非難を向ける。


 血統至上主義の風潮が強いハルーア王国において、フィリップの方から平民、しかも娼婦に手を出して子を成したとなれば最悪の外聞だ。


 この一件によって、フィリップは屋敷内での発言力を失う。

 

 扱いに困ったのはリリアの方だった。

 結果的に、リリアは腐ってもフィリップの血を半分は受け継いでいるし、子に罪はないとして屋敷に引き取られることになった。


 しかしほどなくしてナタリーの妊娠も発覚し、妹マリンアンヌが誕生する。


 すぐにリリアの居場所は無くなってしまった。


 平民の血が入った不貞の子として、まず離れに隔離された。

 どこの馬の骨かわからない娼婦との間に出来た子なぞ、プライドの高いナタリーにとって視界に入るだけで許せないことであった。


 屋敷の人間は皆、リリアの敵になった。


 食事は最低限しか与えられず、服装もドレスどころか平民の服すらないボロキレ。

 ナタリーからも使用人からも虐待を受け、日に日に痣が出来ていく。


 そんなリリアを、フィリップは見て見ぬふり。


 リリアの境遇に同情した、たった一人の使用人だけが味方になってくれ守ってくれたが、彼女も所詮平民でやれることは限られている。


 そんな状態のリリアに対し妹マリンは、これでもかと甘やかされて育った。

 フィリップが娼婦との不貞を無かった事にしようと溺愛するのは自然の流れといえよう。


 結果、大層我儘に育っていったマリンも、姉の置かれた立場を理解する歳になる頃には石を投げる側に周り、リリアはますます身体の痣を増やしていった。


 そして6歳を迎えた頃には、リリアは使用人と同じように働かされるようになる。


 使用人たちはリリアに仕事を押し付け、ボロ雑巾の如く働かせた。

 娼婦との不貞で生まれた子なぞ、使用人たちにとっては良いストレスの吐口であった。


 リリアの唯一味方だった使用人はこの時期にナタリーの反感を買ってしまい屋敷を追放されてしまう。

 

 こうしてリリアは一層、使用人にこき使われる日々を過ごすことになった。


 一方のマリンはすくすくと育ち、華々しくデビュタントを済ませた。

 秀でた容貌で生まれたマリンは社交界で蝶よ花よとたくさんの貴公子から婚約のお誘いを受け、名門と名高いアークレイ侯爵家の令息テオドールと恋に落ちた。


 テオドールとの関係を、フィリップもナタリーも盛大に祝福した。


 ちょうどリンドベル家は例年の不作と、ナタリーとマリンの散財で財政が破綻しかけていた。

 そこで、マリンとテオドールが結婚しアークレイ侯爵家と身内になれば、資金援助をして貰おうとフィリップは考えていた。


 ここまでは良かった。

 問題はここからだった。


 アークレイ侯爵家の当主は血統を重んじる主義で、平民の、しかも娼婦の血が入ったリリアが家系図の一員になることをなんとしてでも許さなかった。


 リリアがいる限り、マリンとテオドールの婚約を絶対に許すことはないと宣言し、関係は破談の方向へと進んだ。


 マリンはテオドールを心から愛していた。

 故に、リリアを心から憎んだ。


 連日、リリアに暴力を振るい嫌がらせをすることで気を晴らそうとしたが、それで状況が変わるわけではない。


 姉さえいなければと憎しみに駆られたマリンは、リリアを亡き者にすることで婚約を実現させようと考えた。

 リリアが死んでしまえば、アークレイ侯爵もテオドールとの婚約を許してくれる。

 そう考えたマリンは、フィリップとナタリーと共謀し、策略に打って出た。


 ある日、マリンの食事に毒物が混入される事件が発生。

 その毒物と同じものが、リリアの部屋から発見される。


 リリアが妹を毒殺しようとした犯人であると家中でささやかれ、疑いの目が彼女に向けられた。


 当然リリアは身に覚えがなく困惑し、自分ではないと必死に主張したが、誰も聞く耳を持たなかった。


 当然だ。


 フィリップが使用人や裁判官に賄賂を渡し、必ずリリアが有罪になるよう根回していたから。


 こうして、リリアは裁判にかけられる。

 ハルーア王国では、身内殺しは未遂であっても重罪。


 彼女に下された判決は“餓死刑”。


 水のみしかあたえられず、じわじわと衰弱させられる刑であった。


 こうして、冤罪を着せられたリリアは投獄される。

 

 何が何やらわからず囚われの身になったリリアが全ての事情を知ったのは、初めて面会に来たマリンが得意げに自分の策略であることを明かしたからだ。


「お母様も、お父様も、屋敷で働く使用人たちも、みーんなお姉様の敵! 今更お姉様が何をしようが、結末は変わらなくてよ!」


 全ての計画がうまくいって笑いが止まらないマリンの一方、リリアは呆然としていた。


 薄々そんな予感がしてはいた。

 だが、まさか本当に家族が自分を亡き者にしようと動いていたとは……リリアの絶望は計り知れなかった。


 とはいえ今更悔やんでも絶望しても、マリンの言う通り結末は変わらない。

 元々極度の栄養失調だったリリアは、投獄三日目にして衰弱し呆気なく死んだ。




 ……はずだった。




「…………はっ!!」


 リリアは飛び起きた。


 心臓が掴まれたように痛い。

 シャツが汗びっしょりで気持ち悪い。


 浅い息を繰り返しながら、ぎこちなく辺りを見回す。


「ここは……天国?」


 天国は、生前に暮らしていた離れによく似ていた


 簡素なベッド、ボロボロの机、足が壊れた椅子くらいしかない部屋。

 ヒビが入った窓ガラスからは、眩しい陽の光が差し込んでいる。


 壁には擦っても落ちない汚れに塗れ、天井には蜘蛛の巣。

 どう見ても困窮した平民が住むような部屋であった。


「ううん、違う……」


 鼻腔をツンと刺激するカビと埃の匂いによって、ぼんやりとしていた思考がようやく回り出し、確信する。


「ここは、離れだわ……でもどうして? 私、死んだはずじゃ……?」


 混乱の言葉を漏らしながら、ペタペタと身体を触る。


 相変わらず骨のように細いが、牢獄にいた時よりも幾分か肉つきが良いように感じる自分の身体。

 身につけているのも、唯一与えられたペラペラに薄い衣服。


 試しに頬を引っ張ってみると、確かな痛みが生じた。

 少なくとも、現実であることは確かなようだった。


「何が一体、どうなっているの……?」


 マリンとテオドールの結婚を実現するため。

 そしてアークレイ侯爵家からの資金援助を受けるために、自分はマリンを含め家族に騙され、餓死刑に処されたはずだ。


(なのに私は……生きている……)


 ひとまず、リリアはベッドから降りる。

 そして擦り切れた靴を履いた後、リリアはふらふらと離れを出た。

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