大当たり令嬢は2度目の人生を謳歌する〜死にたくないので100億マニーを手に隣国へ逃亡します〜
青季 ふゆ@『美少女とぶらり旅』1巻発売
第1話 次の人生があるのなら
──寒い。
──苦しい。
──お腹が空きすぎて痛い。
薄暗くて生臭い監獄の中。
一人の少女が、膝を抱えてあらゆる苦痛に晒されている。
少女は、もう死んでいるのではと見紛う容貌をしていた。
腰まで伸ばしっぱなしの髪は燻んだ赤色で見るからに傷んでいる。
元々栄養失調気味だった身体は投獄されて水のみしか与えられなくなったので、腕も脚も骨のように細い。
16歳という年齢からして本来は瑞々しいはずの肌はガサガサ。
頬はこけ、目は一切の光を宿していなかった。
罪を犯した者に着せられるボロ切れを身に纏った少女──それが、リンドベル伯爵家の令嬢リリアだった。
(ここに入れられて……どのくらい、だろう……?)
回っていない頭で考えると、もう三日くらいになると思い至る。
その間、リリアが口にしたのは異臭が漂う水のみで、固形物は一切与えられていない。
投獄される前から栄養失調気味だった身体は、すでに限界近くあった。
「良いザマですわね、お姉さま」
不意に、嘲笑う声が鼓膜を叩く。
力無く顔を上げると、鉄格子越しに一人の少女──リリアの妹、マリンが立っていた。
陶器のように白く健康的な肌に艶やかで長いブロンドヘア。
小柄な体躯と、小動物のようなくりっとした顔立ちは社交界で“天使のよう”と評判だ。
豪華なドレスを身に纏っており、いかにも貴族の令嬢といった風貌だった
死体同然のリリアとは正反対の妹、それがマリンだった。
「ごきげんよう、お姉さま。随分とスリムになりましたわね?」
くすくすと笑うマリン。
何をしに来たの、とすら言葉にする気力が湧かなくて、リリアはマリンをじっと見つめる。
「そんな隅っこで縮こまってないで、こちらに寄って来てくださいまし。今日はお姉様に、良いものを持ってきましたの」
そう言ってマリンは、ポケットから掌サイズの何かを取り出した。
(ぱん……)
空腹の限界を超えていたリリアは、マリンが持つそれが一切れのパンであることに気づく。
舌裏から唾液が溢れ、胃がきゅうううっと縮む。
生存本能のまま、リリアは力の入らない身体をなんとか動かして、マリンの元に這いずり寄り──。
ぐしゃっ!!
「ぁ……」
パンが、命を繋ぐ食べ物が、マリンのブーツによって踏み潰された。
それからぐりぐりと、踏み躙られる。
ブーツが退かされた後、パンは見るも無惨な姿になっていた。
「ふふふ……ふふふっ……」
甲高い笑い声が牢獄に響き渡った。
「あはははっ!! あーっはっはっははははははははははは!! まさか食べさせてもらえると思ったの!? ほんと馬鹿! ほんと単純! だからこんなことになるの!」
お腹を抱えて、心底おかしそうにマリンは笑う。
リリアを見下す双眼は、自分よりも下等な生物に向けるそれだった。
頭にキンキンとマリンの笑い声が響く。
(ああ……)
わかっていたことじゃないかと、リリアは己の頭の足りなさに嫌気が差す。
マリンはずっとそうだった。
今まで、マリンの言動がリリアにとって良い方向に働いたことなど一度もない。
頭に栄養がいっていなくて、そんな当たり前のことも忘れてしまったらしい。
「あー、面白かった。最後に私を笑わせてくれたのは、少しだけ感謝しますわ。少しだけ、ね」
マリンが踵を翻す。
「それではご機嫌よう、お姉さま。せいぜい、あと僅かの人生を楽しんでくださいまし」
コツコツとブーツの音を響かせて、マリンは立ち去っていった。
一人残されてから、リリアはとうとう動けなくなった。
まだ、希望があるかもしれない。
判決が覆るか、神様が気まぐれで助けてくれるか、ほんの少しの確率でここから出られるかもしれない。
そう自分に言い聞かせて保っていた心は、マリンのせいでぽっきり折れてしまった。
(あ、だめ……)
身体を支える力すら失って、リリアは地面に倒れ込む。
何も敷かれていない石畳の床は硬く、ひんやりと冷たい。
その冷たさがじわじわと、身体中に広がっていく感覚。
死がすぐそばに来ていることを、リリアは悟った。
(もし、次の人生があるのなら……)
マリンに踏み潰され、黒ずみひしゃげたパンが少しずつぼやけていく。
「せめて、普通にパンを……」
それが、リリアの最期の言葉だった。
望まれない子として生まれたリリアは、最後まで誰にも愛されず、ひとりぼっちで監獄の中で飢えて死んだ。
16年という短い人生だった。
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