第36話 ごめんね

「んぅ……」


 暗闇から意識が浮上する。

 瞼を刺激する光を感じて、リリアはバチッと目を覚ました。


(いけないっ、寝ちゃってた……!!)


 がばっとリリアは身体を起こす。

 窓を見ると温かな陽が射し込み、外からは小鳥の唄声が聞こえてきていた。


 どうやら朝まで寝入ってしまったようだ。

 

「あ……」


 ぼんやりとした頭が、すぐ隣に横たわるもう一人の存在に気づく。


 ブロンドの髪を背中まで伸ばした、美しい顔立ちの少年。


(そうだ、私……ジルくんを……)


 昨日一日のことを思い出す。

 ジルはまだ夢の中のようで、すうすうと規則正しい寝息を立てていた。


 全く起きる気配はなく、深い眠りについているようだった。


(ふふっ、かわいい……)


やっぱり弟みたいだと、リリアは思った。

 ジルの頬に、リリアは指を伸ばす。


 つんつん、ふにふに……。


(柔らかい……)


 少年特有の柔らかい肌に触れて、リリアはそんなことを思った。


(……って、起こすといけないわね)


 きっとジルは相当疲れている。


 自然に起きるまで寝かせておいてあげようとリリアは思った。

 二度寝する時間でもないので、リリアは活動を開始することにした。


 こっそりと音を立てないようにベッドから降りて、部屋を後にする。

 リビングに降りてきて、身繕いや朝ごはんの準備をしている時に、リリアは思いついた。


「そうだ。ジル君が寝ている間に、服とか買いに行こう」


 ずっとリリアの服を着させるわけにもいかない。

 サイズ感はわかるので、せめて2,3着くらい普段着を買い揃えようと思った。


 簡単に身支度を整えたあと、しっかりと戸締りをしリリアは家を出た。


◇◇◇


「つい、買いすぎちゃったわね……」


 時刻は昼ごろ。

 両手に紙袋を引っ提げて、リリアは家路についている。


 子供用の服を買えるお店でジルの服を物色していたら、『これも似合いそう』『あれも似合いそう』とつい何着も買ってしまっていた。


 ジルのための服を買うのは、自分の服を買っている時よりもずっと楽しかった。


(喜んで、くれるかな?)


 そんな期待を胸に、リリアは帰宅する。


「ただいま……」


 まだ寝ていたらいけないので、リリアはそーっと家に入った。

 返ってくる言葉はない。


(やっぱり、まだ寝てるのかな?)


 そう思ってリビングに入って──。


「……!?」


 リリアの心臓がひやりと高鳴った。 


 暗いリビングの中、ソファの上でジルが膝を抱えていた


「ジル君……!?」


 紙袋をその場に放り出し、リリアはジルに駆け寄った。


 ジルが力無く顔を上げ、リリアは息を呑んだ。


 端正な顔立ちはくしゃくしゃに歪み、今にも泣きそうな顔をしている。


「ど、どうしたの!? どこか痛いところとか……」


 膝を折ってリリアが尋ねると、ジルは力無く頭を振る。


 そして、ぽつり、ぽつりと、言葉を空気に触れさせた。


「朝、起きたら……リリアさん、いないから……」


 また泣き出しそうな声で、ジルは言った。


「捨てられたかと、思った」


 その言葉に、ハッとする。


 胸の中が急に嵐が吹き荒れたかのように痛くなって──気がつくと、リリアはジルの背中に腕を回していた。


 ジルの小さな身体を引き寄せ、抱き締める。


 急な抱擁に、ジルの目が見開かれた。


「リリア、さん……?」

「ごめんね……」


 湿った声で、リリアは心からの謝罪を口にする。


「ひとりにして、本当にごめんね……」


 どうして、書き置きひとつしていかなかったのだろうと、自分の気遣えなさを悔やんだ。


少し考えればわかることだ。


ジルはまだ子供だ。


 そんなジルにとって、リリアはたった一人頼れる人物なのだ。


 そのリリアが、朝目覚めたら家にいない。

 不安にならないわけがなかった。


 頭が真っ白になって、家中を探し回って、それでもリリアは見つからない。


 昨日まで奴隷として扱われ精神状態もボロボロだったであろうジルが、『自分が寝ている間にリリアが買い物をしてきてくれているだけ』と冷静に考えられるはずがない。


 文字通り捨てられたのかと思ったのだろう。


 そんなリリアの予想は、おそらく当たっていた。


「ぅっ……ぁっ……」


 耳元で、ジルの嗚咽が弾ける。

 ぎゅうっと縋り付くように、ジルはリリアの服を掴んだ。


 もう堪え切れないとばかりに涙が溢れる。


 迷子だった幼子がようやく母親を見つけて安心したかのように、ジルは声を上げて泣いた。


 とめどなく溢れる涙がリリアの服を濡らす。


(もう絶対にこの子を、ひとりにはさせない……)

 

 腕の中で泣くジルを抱き締めながら、そう強くリリアは決意した。

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